◇ ◇ ◇


その夜のコンサートは、いろいろ考え事をしてしまい、ほとんど内容を覚えていなかった。
帰り道、車の運転をしながら、妻の話を半分うわの空で聞いていた。
反応の鈍い私に妻がため息をついていることすら気づいていなかった。
信号待ちの長い車列の中からようやく抜け出し、ふと前方の歩道を見たときだった。

偶然。本当に偶然だった。

その姿にどきりとした。
何の根拠もなかった。
ただ、直感だった。
だが、見間違えようもない。あの後ろ姿。

金髪にグレーのコート。

その人物は、メインストリートから暗く細い路地へ入っていった。

(――彼だ!)

車を急停止させる。
急に車を止めた私に驚いた妻が、どうしたのかと心配そうに尋ねた。
すまないと詫びながら、一人で帰るように告げた。よほど、せっぱ詰まった顔をしていたのだろう。妻は何も言わず、「気をつけて」と言って私を送り出してくれた。

「すまん!早めに帰るから!君も気をつけて帰るんだぞ」

「あなたこそ無理しないでね」

「ああ!」

車から飛び出すようにして、先程の人物の後を追った。
レストランやバーなどが建ち並び、人が賑やかに行き交うメインストリートから一歩、道を外れると、意外なほど静かだった。人通りもなく、路地に面したバーの看板が一つ二つ、見えるだけだ。
このあたりの都市計画図を思い浮かべる。都市計画当時の基本方針で、行き止まりの道はないはずだった。必ず、どこかへ抜ける道であることは確かだった。

だいぶ歩いたが、私の前にいるはずの人物の姿は見当たらない。
見間違いだったのかと、諦めて引き返そうとしたとき、首筋に冷たい金属の感触がした。

「動くな」

低く押し殺したような声。

「何者だ。なぜ、後をつける?」

頭に突きつけられたのが、銃だと分かって、抵抗しない意の証に両手を挙げる。
彼の声ではなかった。
冷や汗が流れる。背後を突然襲われたので、相手の姿すら分からなかった。
危険を感じたが、このまま何も収穫がないのでは、ここまで来た甲斐がない。
思い切って問い掛ける。

「……そちらこそ何者だ?『彼』に何かあると言っているようなものだぞ」

「黙れ。質問に答えろ。氏名と所属を言え」

まるで、警察の職務質問だ。
そこで、あることに気づいた。「まるで」ではなくて、「そう」なのだということに。
これは、本当に職質なのだ。では、この男の正体は―――

「銃を下ろせ。その男は問題ない」

突然、物陰から聞きなれた声が聞こえた。

「しかし……」

「いいと言っている」

「は…」

男は渋々と銃を下ろす。
私はようやく、振り返り、銃を突きつけていた男の姿を見ることができた。顔を見て、やはりと思った。
地味なスーツを着ているものの、あの時ホテルで会ったクルーゼ隊長の護衛を務める特務士官の一人だ。
そして、銃を下ろすよう命じたのは、やはりクルーゼ隊長だった。

「アデス。なぜお前がここにいる」

詰問口調で私に問い掛ける。

「隊長……」

隊長の姿を見て、つい追いかけてしまったなどと、言うわけにもゆくまい。
返答に窮していると、隊長がため息をついて、返答を促す。

「アデス、私は任務中だ。時間が惜しい。ここにいる理由を言え。これは命令だ」

最後の一言に私は反応する。
軍人の哀しい性だ。「命令」という言葉に逆らえない。居住まいを正して敬礼する。

「失礼しました!お一人で歩いている姿を見かけたものですから…先日の爆発騒ぎのこともありますし、大事な時期ですので一人歩きは危険かと思い後を追いました」

私の言葉に護衛の一人がクルーゼ隊長になにやら耳打ちする。

「お前の言い分は分かった。先程まで、夫人と一緒だったことも確認した。帰っていいぞ」

「! ――はっ」

私の言葉に偽りが無いか、この短時間で裏まで取ったことに驚いた。
疑われているのだろうか。

(何を?)

一体、これは何の任務なのか。
詮索することは許されないが、ここまで、徹底するとなると、不信感が湧くのは仕方のないことだろう。

「あの、隊長…」

軍人にあるまじきことだが、どういう状況なのかと尋ねようとして言葉を遮られた。

「この件については、詮索・他言は無用だ」

「しかし―――」

「アデス!上官命令だ」

それでも食い下がろうとした私は厳しい声で一喝された。

「―――っ、失礼しました!」

反射的に敬礼したが、片手の拳を握り締め、内心の葛藤をどうにか耐える。
もう用は無いという風情で、軽く指先を振って追い払われるように遠ざけられた。



暗い路地裏で、遠ざかる彼の後ろ姿をただ、見つめることしかできなかった。










◇ ◇ ◇


翌日、アスランとの待ち合わせに軍本部へ向かった。
軍本部を指定したのは、任務外で部下に会うのに一番不自然ではない場所だからだ。
しかも、アスランの護衛がそれほど周囲を警戒しなくてもいい場所でもある。
アスランの昨夜の様子では、あまり他人に聞かれたくない話であることは間違いないだろう。
次回の作戦の打ち合わせと称して、会議室を利用することにした。
作戦に関する打ち合わせと言うことであれば、例え軍属であっても、機密保持のためSPの同席はできない。それを見越しての約束場所だ。

「ご足労をおかけして申し訳ありません」

SPに本部1階ロビーで待機するよう伝えたアスランは、いつもの通り赤い軍服を身につけている。

「ああ、君の方こそいいのか?その……」

おそらく父親であるザラ委員長は、今日ここで、アスランがクルーゼ隊長に関する情報を私に伝えようとしていることを知らないだろう。
そして、それを許すはずもなさそうだ。

「いえ、大丈夫です。父は―――恐らく自分に構っているどころではないと思っているはずです」

少し、寂しそうに微笑んだ後、気持ちを切り替えて真剣な眼差しで話し始めた。

「アデス艦長。艦長は、クルーゼ隊長の護衛の任に、特務隊長のユウキ隊長が就いたことをどう思われますか?」

「―――爆発騒ぎが陽動で、本来の目的は今度の作戦に関する妨害工作だと上層部が考えていることは知っている。クルーゼ隊長が、スピットブレイクの実行部隊の指揮を執ることは、周知の事実だ。犯人の狙いが、要人の暗殺または、我が軍の機密情報の入手であるなら、隊長が狙われる可能性が高くなる。だが……実行部隊の指揮官は代わりがきくが、ザラ委員長の代わりはいない。
私が気になるのは、特務の連中が、委員長の身辺警護を敢えて手薄にしてまでクルーゼ隊長の安全を確保する―――その理由だ」

「ええ、やはり不自然ですよね。それで、自分も不思議に思い、調べてみたのですが―――この件について、特務隊や情報部だけでなく、国家保安部も動いています。これは、地球軍の工作員と通じている内部の人間がいるということでしょう」

官舎へ向かう車中で隊長が言っていた話が、こうしてアスランの口から語られる。
一介の軍人には知り得ない情報も、彼ら中枢に近い者たちは容易に手にすることができる。
時には、あどけなさの残る笑顔を見せるアスランも、確かに政治家の息子であった。情報を手に入れる方法と、それの使い方を良く知っている部類の人間だ。

「ああ、その件については隊長から聞いている……」

「では、クルーゼ隊長が、近頃頻繁に工廠を訪れているということは?」

「工廠?―――いや、初耳だ」

軍の兵器を開発・製造する工場で、ザフト軍直属の機関の一つでもある。
MSやニュートロンジャマーなどの開発を一手に手がける機関である。
ニコルの父でもある、最高評議会委員ユーリ・アマルフィは、MS開発部門・工廠の責任者でもある。

「スピットブレイクの実行部隊指揮官が、作戦前に工廠を頻繁に訪れることには特に問題はありません。
しかし――この時期に、父よりも厳重に警護されたクルーゼ隊長が工廠を訪れているんです。それも何度も!」

アスランは、一言ひと言噛みしめるように言葉を綴る。

「……そうか、囮か!」

私の言葉にアスランが、頷いた。

アスランがもたらした情報から、一つの推論が浮かび上がった。
軍上層部は、先日の官舎での爆発事件が、地球軍の諜報活動のための陽動と断定し、敢えて餌をちらつかせることで、犯人の特定と確保を目的としたということか。
ザラ国防委員長の警護を手薄にし、逆にクルーゼ隊長の身辺警護を厳しくすることで、工作員の目をオペレーション・スピットブレイクの実行部隊となる隊長へ移す。
また、並行して行われる工廠への厳重警備。
そして、隊長が工廠へ足繁く通うことで、工廠でスピットブレイクに関する新兵器の開発が行われていることを暗示させる。
工作員は、データを盗むため、様々な手を使うだろう。
活動が活発になれば、網も張りやすい。
つまり、クルーゼ隊長は、囮役ということだ。

「―――それでか…」

ようやく昨夜の出来事がつながった。
昨夜の路地裏で、私は網にかかった工作員と間違えられたということか。疑われたと思ったのは間違いではなかったようだ。

(自分が思っているほどに信用されていないのか……)

疑われていたということに、軽い衝撃を受ける。胸がちくりと痛む。

「アデス艦長、どうか…?」

「ああ、いや…昨夜、偶然街中で隊長にお会いした時にな…」

簡単に昨夜の顛末を語ってやる。すると、アスランは、急に難しい顔になって考え込んでしまった。

「どうかしたのか?」

「……艦長、昨夜、クルーゼ隊長にお会いした時、ユウキ隊長が傍にいらっしゃいましたか?」

「?いや。そういえば―――」

いなかった。そうだ、ホテルで見た彼の部下しかいなかった。
ユウキ隊長の姿を見かけなかった。
あの時は動転していて、気にも留めていなかったが、アスランに指摘されて、ようやく不審な点に気づいた。
敵の目を引き付けるべき特務隊長の存在がないのだ。
どういうことだろうか?

「…そうか、囮は……」

アスランが小さく呟く。
そして、急に何か思いついたように顔を上げる。

「すみません!少し調べたいことができましたので、これで失礼します。……今回の件、意外と根が深そうなので……」

「アスラン?」

慌しく敬礼し、会議室を出て行こうとしてアスランが小声で囁くように告げる。

「アデス艦長、ここまでお話を聞いていただいたのに、申し訳ありませんが、あまり深入りしない方がいいかもしれません。
艦長の方から探りを入れるのは控えてください。少し……危ない感じがするので」

発言の内容もそうだが、あまりに真剣な声色に驚いた。
彼には、まだ何か気にかかることがあるらしい。しかも、私をこの件から遠ざけるつもりらしい。
そんなこと、許せるはずがない。

「待ちたまえ!」

回れ右して、部屋を出たアスランの腕をとっさに掴む。
なりふり構っていられなかった。私の立場に気を遣ってくれているのは分かるが、一応部下にまで、部外者扱いされたくなかった。
なによりも隊長が関わることなのに、知らないわけにはいかなかった。

知りたかった。

彼が、見ているものを―――


「アスラン、君が知り得た情報は、一応上司である私にも報告したまえ。
これは命令だ」

「しかし…」

命令という言葉を無視できるような軍人はいない。多少卑怯な手ではあったが、使えるものは全て使うことにした。

「私の立場に気を遣ってくれているのは分かるがね、そうも言っていられる状況じゃないんだ」

「艦長……」

「それにあの人は放っておくと、自分自身のことが疎かになるからな」

最後に笑って、一言付け加えると、アスランが仕方ないという風情で、頷いた。

「――分かりました。確かに心配ですからね」

「おや、そもそも今回の君の相談事は、その『心配事』についてだったんだろう?」

からかうような口調で訊ねると、少し照れくさそうに答える。

「そうでした……言い出したのは確かに自分です…」

この件を持ち出したのは、アスランだ。
最初は、父親のことが心配だったからなのかとも思ったが、どうやら心配だったのは隊長の事だったようだ。
アスランもまた、隊長の魅力に嵌っている一人なのだ。

「必ず、ご連絡します」

「ああ、頼む」

改めてお互い敬礼をした。



まるで共犯者が交わす挨拶のようだった。









「やさしさの意味」〔side/Ades〕2003.12.29




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