◇ ◇ ◇


軍本部庁舎は広大で、各隊が打ち合わせや連絡に使うのは、ほとんどの場合Bエリアだ。
Aエリアは、中枢指令本部や幹部の執務室などがある。
Bエリアには、情報部や総務部、戦略部など、軍運営の各事務をこなす各部署があり、一般の兵士たちが頻繁に立ち入るエリアだ。
Cエリアには、兵士食堂やトレーニング室、戦術資料室のような兵の福利厚生施設や重要度のそれほど高くない部署が配置されていた。

C‐13フロアは、ほぼ無人といえるのではないかというほど、静まり返っていた。
自分の足音が奇妙なほど廊下に響く。
思えば、私もこのフロアに足を踏み入れるのは初めてかもしれない。
目当ての04会議室は、このフロアの一番奥まったところにあった。

会議室のドアは通常ロックされ、利用者がIDカードを通すと開錠される。室内の操作盤で利用時間の延長や会議中のドアロック解除などができ、通常、会議室の貸し出しを受けた代表者が、利用時間中はロック解除の操作をしておくものだった。
だが、私が会議室の前に立ったとき、ドアロックはされたままだった。
一応、ノックしてみたが、何の応えもない。
しばらく逡巡した後、自分のIDカードでドアロックを解除した。

ピピッという電子音とともにドアが横滑りに開いた。
室内は明かりもなく真っ暗だった。
一歩足を踏み入れ、室内を見渡す。
目の端に白いものが映った。壁際に白い―――制服。

「隊長!」

白い制服の人物は、背を壁にもたれさせ、ぐったりと床に座り込んでいた。
仮面は、床に転がっている。顔は俯き、表情を覆い隠すかのように髪が乱れていた。私は、クルーゼ隊長のもとに駆け寄って、呼びかけてみたが反応がない。
意識を失っているようだった。肩に手を掛け、軽く揺する。

「隊長!しっかりしてください!隊長!!」

髪をかき上げてやろうと肌に触れて驚いた。異常に体温が低い。

(あの時と同じだ……)

以前にも倒れた隊長を介抱したことがあった。
もっとも、あの時は、怪我をしていたため、失血によるショック症状で体温が下がったのだと思っていたが、今回は、どこにも怪我らしいものは見あたらない。
ここに至って、私はようやく、隊長が低体温体質というわけではなく、何らかの病気をもっているのではないかということに思い至った。
身体機能が高く、ほとんど病気にかからないコーディネーターとしては珍しい。
しかも慢性的な病気を抱えているとあれば、異常なくらいだった。
このまま、意識が戻らなかったらすぐに医務室に連絡をすることも考えたが、隊長がわざわざ手の込んだ呼び出し方をした理由が、この状態にあるとしたら、第三者を呼ぶのは適切ではないと判断した。
隊長の頬に手をふれたまま、身体を横たえてやったほうがいいのだろうかと迷っているうちに、彼の瞼がわずかに開く。

「隊長…」

ほっとして、呼びかけた途端、隊長の身体が怯えたようにビクリと揺れ、突然、頬に触れていた私の手が払いのけられた。
その激しさと拒絶されたことに驚きながらも声を掛けた。

「隊長、アデスです。大丈夫ですか」

隊長は、片手で額を押さえながら、しばらく視線が彷徨わせた。
その視線が私の顔の上で止まる。

「アデス…?……ああ、すまない……大丈夫だ」

自分に触れていた人物を確認し、明らかにほっとした様子で息をつく。
先ほどの拒絶は、状況が判断できていないための警戒だったのだろうか。
―――何を、誰をそんなに恐れたのか。

「……今、何時だ?」

「九時前です」

「だいぶ待たせてしまったようだ……すまなかったな」

「いえ、そんなことより、医務室へ行かれたほうがよろしいのでは?」

「大丈夫だ」

きっぱりと言う彼の姿に、素直に引き下がる。
大丈夫であるわけがないのは、お互い分かっていたが…。
私も隊長が委員長室で何をしてきたのか詮索するのは控えた。できるだけ事務的に告げる。

「打ち合わせは、日を改めましょう。今日は、このままお帰りになったほうがよろしいかと。官舎までお送りします」

「ああ…そうさせてもらう」

「立てますか?」

「ああ」

隊長は、立ち上がろうとしてよろめく。私は、とっさに身体を支えたが、彼を抱きしめる格好になってしまった。

金髪が私の顔をくすぐる。
かすかに石鹸の香りがした。
委員長と同じ……。

隊長が誰と寝ようが、どんな顔で抱かれようが、私には関係ないことだ。
私との幾度かの関係は、恋愛ですらない。
恋人でもない彼を束縛することなどできない。

そう頭では分かっているのに。

(どうしてこんなに苛立つんだ!)

苛立ちの理由も、自分の気持ちも、隊長と委員長の関係も、これ以上は、知りたくなかった。自分の気持ちをなんとか押し込めて、平常心を保とうと努力した。
それなのに…隊長は、私の沈黙を許してくれなかった。

「よく…ここがわかったな」

乱れた吐息を洩らし、私の耳元で囁くように問いかける。

「検索システムに暗号みたいなメッセージを残したでしょう?
それに……先程、ザラ委員長閣下と擦れ違いましたので」

言おうかどうか迷ったが、何気ないふうを装いながら告げる。

「……ああ、それでか」

私が言外に匂わせた言葉に納得したようだった

「それで、お前は、何をそんなに怒っているんだ?」

「私はっ…!」

見抜かれたことへの羞恥と、あまりに無神経なひと言につい、声を荒げてしまった。しまったと思ったのだが、気づいた時には、もう相手の術中だ。

「ふふ……お前の予想通りだよ」

自嘲気味に笑う隊長の表情が癇に障った。
彼の身体を突き放し、両腕を強く掴んで、口を開く。

「でしたら、ひとつだけ申し上げます!ご自分を大切にしてください。
その身体も、心も。以上です!」

自分でも驚くくらいの勢いで、まくしたてた。
隊長は、私の剣幕に驚くでもなく、静かにこちらを見ていた。言ったこちらが、気まずくなるくらいに真摯な瞳だった。
病気云々はさておき、この人がこんなに体調を崩すほど、酷い抱き方をした委員長に怒りを覚えた。
明らかに、愛し合う者同士の情事後という雰囲気ではない。
なんのために、委員長にその身を預けているのかは知らないが、できることならその後の姿を部下に晒すような真似はやめてもらいたかった。
でないと、私の方がおかしくなりそうだ。

「……やめろとは言わないんだな」

苦悶と戸惑いと悲しみと…そういったものがない交ぜになった表情の隊長の声は、私の気のせいではなければ、嗚咽を抑え込んだかのようにかすれていた。

「そうしなければならないと判断したのでしょう?あなたが、ご自分で。
事情を知らない他人があなたの決意に口を挟めるわけがありません。
しかし、ご自分の決意で傷つくあなたの姿を見たくない。私の我儘です」

隊長の表情を見て、幾分冷静さを取り戻した私は、素直な気持ちを話した。

「わがまま……か。お前の我儘は初めて聞く―――」

そう言った隊長の身体が大きく傾ぐ。倒れかかる彼を再び抱きとめた。

「すまない…立っているのがつらい。しばらく肩を貸してくれ」

驚いた。隊長の口から『つらい』などという言葉を聞いたのは初めてだ。
同時に、それ程せっぱ詰まった状況だったことを知った。
足の力が抜け、崩れ落ちそうな隊長を支えて床に座らせ、私も隣に腰を下ろす。
彼は、私の肩に頭を預け目を閉じた。
頬に触れる柔らかな金髪が心地よかった。

「30分したら起こしてくれ。……お前の身体は温かいな……落ち着く」

呟くように言った隊長を私は初めて「愛しい」と思った。



自分のすぐ隣で、柔らかな寝息が聞こえる。

右肩にかかる心地よい重さ。
「誰かを支えている」という満足感と安堵感。
精神的な支えにならなくとも、「誰かが身体を休める場所」に自分がなれるという充足感。
その「誰か」によって自分の価値観が決まってしまうような錯覚。
それを幸せと感じてしまう危険な想い。
その想いを知ったら、人は、独りでは立てなくなるのではないだろうか。

―――それはいけないこと?
―――否。




30分経ったが、起こすのが忍びなく、五分ほど迷った末にそっと、声をかける。

「…隊長。時間です」

隊長は、私の呼びかけに身じろぎもせず、ゆっくりと目を開けた。
私は、けぶる睫毛が、開くさまをじっと見つめていた。
きれいだなとぼんやりと思っていた私は、気づいた時、彼にそっと口付けていた。
軽く唇に触れて離れる。
あまりに自然な動きに、自分の頭がついていかなかったようだ。
全くの無意識だった。

彼は、驚くでもなく、拒絶するでもなく、私を見上げ、少し微笑んだ。

「おはようのキスか?」

「あ……すみません。つい……」

つい――なんだというのか、自分でも分からないままだったが、心の中はとても穏やかだった。普段の私が、こんなことを隊長にしたら、(普段ならとてもできないが)赤面して、慌てて、無様な姿を晒しただろうことは想像に難くない。
だが、このときの私には、それが「自然」と思えるような口付けだったのだ。
そんな私を珍しそうに見つめながら、彼は微笑む。

「アデス。物足りないな」

その言葉に私は、今更だが、本当に今更なのだが、こんなことを口走ってしまった。

「………あなたに触れても?」

あの時、意識のない彼が目覚めてすぐに見せた拒絶。
誰を恐れたものなのかわからないが、本来なら、他人が自分の身体に触れるのを厭う人だというのは知っている。そして、その嫌悪感を自分の意思と理性で抑え込めることができる人だということも―――。
自分に踏み込む一切を許さず、誰とも関わりを持たず、独りで生きる―――そんな彼が、唯一執着するもの。
彼とよく似た面差しの男。
彼とあの男の間には何人たりとも立ち入ることはできない。
二人が許さない。

私はただ、見ていることしかできない。

彼の生を。


彼の生を共に歩くことはできない。
私が共に歩むべき人は他にいる。
しかし、私は、傍観者に過ぎないのか。
彼の生に何ら刻みを残すことすらできないのか。
熱は―――触れる体温は、確かな彼の生を私に伝える。
この熱を感じている間だけは、彼の生に触れている気がする。
本当に見届けることしか許されないのか。

目の前に、こんなに近くにあなたがいるというのに?

あなたに触れたい――――。




(あなたが、もしも命を落とす時、そばにいることができなくてもいいですか。
別の誰かのことを想っていても?)

(あなたの生を見守ることしかできなくてもいいですか)

(それが、あなた自身を想うことだと考えても?)


自分の心の中にだけ響く言葉で問いかけたはずなのに、彼はまるでその言葉が聞こえたかのように答えた。

「アデス―――お前には、もう許しているだろう?」

彼の手が、私の軍帽を取り上げた。

私は、彼を抱き寄せる。
私の目の前に膝立ちになった彼が、手のひらで私の頬を優しく包んだ。

そのままどちらかともなく口付けた。







深く―――。









★illust


「やさしさの意味」〔side/Ades〕2003.08.16



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