◇ ◇ ◇


気象部の予報どおり、午後7時をまわったころ雨が降り出した。
プラント内の気象は、コントロールされており、コンピュータが定期的に雨を降らせている。予報どおりというより、予定どおりといったほうが適切だろう。
24時間稼動する軍本部のロビーには、軍服を着た者たちの姿が途切れることはない。
24時間業務といっても、通常の事務官たちは残業しない限り、午前9時〜午後6時の勤務が普通だった。
それはもちろん幹部職員も同じことだが、定時退庁できる者などごくわずかだろう。夜間業務シフトに移行され、午後8時を過ぎると、人影もまばらになってきた。

クルーゼ隊長からの伝言を受け取った私は、今後の作戦の打ち合わせをするべく、指定された会議室へ向かった。
司令部から与えられた作戦資料ディスクに眼を通しながら、隊長を待っていたが、彼は一向に現れない。手持ち無沙汰になってしまったためコーヒーでも飲もうかと、飲料ディスペンサーを探しに廊下へ出る。

「アデス艦長!」

背後から自分を呼ぶ声に振り向く。
私は、自艦に搭乗している若い兵の姿を認めた。

「ああ、アスラン。そちらはどうだった?」

「はい…一応終わりました」

アスランは、心なしか眼を伏せて答える。
同行したニコルとはつい先程別れたようだ。ニコルは、まっすぐ家族のもとへ帰ったという。
私と同じく彼らもまた、仲間を失った。
生き残ったものの使命として、戦死した兵の遺品を家族のもとへ届けに行ったのだ。

「こういう役目も…つらいですね」

「ああ…。だが、生き残ったものがやらねばならん。戦死した者の想いを彼らの大切な人たちへ届けることができるのは、共に戦い、その死に様を見届けた我々だけだ」

「…そうですね。……いつか自分の想いも届けてもらえるんでしょうか」

私は、彼のその言葉に胸を衝かれた。まだ16歳の少年にとっても、死はこんなにも身近に日常的にあることが切なかった。

「大切な人がいるのなら、死んだ後のことを思い悩むより、今はその人のところへ行った方がいいぞ。これは、上官としてではなく、人生の先輩としての忠告だ」

笑って言ってやると、アスランもその言葉に応えるかのように微笑む。

「そうします。艦長もすぐ帰宅されますか?もしよろしければお送りしますが」

「いや、いい。まだ、隊長への報告が残っているのでね。気持ちだけありがたく受け取っておこう」

「そういえば、隊長はどちらに?」

「ザラ委員長閣下に帰還報告に行っているはずだが……それにしても遅いな」

私はゼルマン夫人のもとへ行くため、隊長はザラ委員長の執務室へ行くために、別行動を取ってからもう4時間近く経つ。互いに報告が済んだら、本部で合流後、次の任務の簡単な打ち合わせをして、解散する予定だった。

「委員長閣下への報告が長引いているのかもしれないな」

「では、私が確認してきましょうか。自分も父に…いえ、委員長閣下に報告がありますので」

「いや、自分で行こう。君も久しぶりにお父上と会うのだろう?団欒を邪魔する気はないからな」

私は、笑いながらアスランの背に手をかけて、彼を促した。



ロビーから委員長室があるA-50フロアまでは、一般兵士が無断で行くことはできない。A‐1にあるフロア受付で、IDとセキュリティチェックを済ませてから直通エレベーターで向かわなければならなかった。
私とアスランは、Aフロアの受付(Aフロアには、委員会室をはじめ、軍幹部の執務室がある)で、ザラ委員長の秘書官を呼び出す。
アスランが、所属と氏名を名乗り、クルーゼ隊長の所在を確認する。

『ラウ・ル・クルーゼ隊長は、一時間ほど前に退出されました』

「帰られた?」

意外な回答にアスランが秘書官を問いただす。

『はい』

「では、委員長閣下は、いらっしゃいますか?」

『委員長は、たった今――』

秘書官の言葉が終わらぬうちに、私たちのすぐ後ろでエレベーターのドアが開く。
護衛官を伴って、ザラ国防委員長がエレベーターを降りてきた。
私は、姿勢を正し、敬礼する。
アスランもまた直立不動で敬礼し、口を開いた。

「ザラ委員長閣下、ただいま戻りました。ちょうど今、ご報告に伺おうとしていたところです」

「詳しい報告は、クルーゼから聞いた。地球軍の新造戦艦とMSの地球降下を防げなかったそうだな。次の任務については、クルーゼから説明があろう。とりあえずお前は休暇となる。ゆっくり休め」

実の親子のはずなのに完璧に公私を分けた物言いだった。
息子にねぎらいの言葉を掛けたのはいいが、委員長の表情はとても愛する我が子を見る親の顔ではなかった。
アスランの表情も幾分緊張している。奇妙な違和感があった。
私は、ひと言も発することなく、敬礼したままザラ委員長を見送った。
ちょうど私の目の前を通り過ぎた時、かすかに憶えのある香りが鼻孔をくすぐった。

「?」

どこで、嗅いだのか思い出せないが、確かに知っている香りだった。男性用のコロンとも違う。
何の香りか思い出せずにいると、敬礼を解いたアスランが肩の力を抜いて、ほっとしたような息を吐いていた。
アスランは、受付の担当官を振り返り、クルーゼ隊長の退出時間を再度確認する。

「Aフロアの受付を通ったのも一時間ほど前だそうです。本部内にはいらっしゃると思うのですが…携帯は?」

「いや、委員長閣下とお話中に呼び出しても悪いと思って、まだ…」

アスランの問いかけに、私は慌てて携帯を取り出し、隊長の携帯ナンバーをコールしながらながら答えた。

「………出ないな。鳴っているから、圏外にいらっしゃるわけではないらしい」

「おかしいですね。この時間ですし、艦長とのお約束を忘れて、そのままお帰りになったなんてことは…?」

普段、連絡がつかなくなったりする人ではないことを二人とも承知していた分、不安になった。

「隊長が?まさか!次の任務の打ち合わせをするというのにか?」

「…ですよね。それでは、一体どちらへ……?」

自分だけ忘れていた用件でもあったのかと、本日の日程を反芻していたとき、唐突に思い出した。

あの香り、いつ、どこで、嗅いだのか。



―――あの人を抱いた時だ。

全てが、つながったような気がした。



香水でもシャンプーでも石鹸でも、香りというものは、香料成分が気化することによって知覚できるようになる。
温度によって気化する成分が違うから、普段香りを感じることがないものでも、温度が上昇したり、湿度の高い場所にいると香るようになる。

ザラ委員長から感じたのは、隊長が普段使う石鹸の香りだった。
普段は低い隊長の体温が上がると、香り出す。
石鹸程度がこんなに長時間香るわけがない。ましてや、他人への移り香など。
たった今まで、二人が非常に近くにいたというならまだしも。

軽いめまいがした。と、同時に無性に怒りが込み上げてきた。

(何をやっているんだ、あの人は!)

急に顔が険しくなった私を見て、アスランが気遣わしそうに声を掛ける。

「アデス艦長?……どうか?」

その声に我に帰る。

「アスラン、隊長のことは、心当たりがあるので、私に任せて、君は帰りなさい。久しぶりの休暇だ。会いたい人がいるのだろう?」

「しかし……」

「隊長からメッセージを受け取っていたのを思い出したんだ。心配は要らない。気を遣わせてしまって悪かったな」

「…そうですか。…では、お先に失礼させていただきます。あの…差し出がましいことを申し上げますが、何かありましたらお呼び下さい。すぐ、出頭いたします」

「ああ、よろしく頼む」

アスランは聡い少年だ。何でもないという雰囲気ではないことに気づいたようだが、何も詮索をせず引き下がった。



アスランを見送ると、すぐに私は庁舎内のネットワークにアクセスし、会議室予約の履歴を検索した。
この検索システムでは、会議室の利用状況確認、空き室案内・予約等をすることが各兵の個人情報とIDナンバーによって可能である。
隊長との打ち合わせに使用する会議室も私がこのシステムで手配した。
履歴には、利用時間と利用者名(利用団体名)・連絡先が掲載されている。もちろん私の名前もある。

『B-2505会議室 20:00〜21:00 クルーゼ隊 C20157-1』
これは、先程私が予約した内容だ。そして、予想通り同じ時間にクルーゼ隊の名前で、もうひとつ予約が入っていた。
『C-1304会議室 20:00〜21:00 クルーゼ隊 K1219610』
連絡先の番号は、ヴェサリウスの船外電話の予備回線ナンバーだ。この番号を使うことは、まずない。
第一、知っている者など、私を含めても片手に余る。間違いなく隊長だ。

「エリアCの13階か……」

C‐13フロアには、戦術資料室がある。
過去の戦術データや、戦史資料を収集・管理する部署だ。この室付けの職を命じられた者は、出世コースから外れたことを意味する。普段から人が立ち寄らないフロアである。
わざわざ、そんな場所に行ったのは、人に見られたくないという気持ちの現われか。しかし、私宛の不可解なメッセージを履歴に残したということは、私に「来い」と言っているということだろう。そう解釈した。

胸騒ぎがする―――。
はやる気持ちを抑えて、足早にエレベーターへ向かった。








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