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終の記憶
Till his last moment , he was faithful to his belief .
「隊長!地球連邦軍所属艦との通信繋がりました」
通信士官から手渡された通信機を耳にあて、クルーゼ隊長は敵艦へ通達する。
「地球連邦軍艦アークエンジェル級に告げる。戦闘を開始する前に本艦で拘留中の捕虜を返還したい」
ヴェサリウスのブリッジで艦長席の後ろに立ち、昂然と言い放つ彼の表情や声に迷いや弱さといったものは感じられなかった。
振り返り、見上げれば、いつもと変わらぬ彼の姿。
いつもと変わらぬ立ち位置で、指揮をする彼。
「地球軍艦艇からの返信ありません」
「どうしますか?」
通信士官の報告に指示を仰ぐ。
「かまわん。あちらも半信半疑なのだろうよ」
「こちらの出方を待っているということですか」
「そうだな。地球軍には構うな。あくまでも目標はエターナルだ。
ヘルダーリンとホイジンガーにも伝えておけ」
「はっ!」
「ポッドの用意はできたか?」
「はい。滞りなく」
私は、彼の仮面越しに目線を合わせた。しばしの沈黙。
「……そうか。指示があるまで、そのまま待機するよう伝えろ」
救命ポッドに入れられた捕虜の少女。
これから戦闘が始まるこの宙域に放り出される。
彼は、少女のことを「鍵」と言った。
扉を開く鍵。
彼の最後の賭け。
広い海原に放った鍵を誰が拾うのか。
拾い主によって、今後の展開は大きく変わる。
拾い主がどう使うかによって……。
戦争を終らせる鍵。
戦争どころか、全てを破壊する「力」を持った鍵。
禁断の扉を開ける鍵。
「この作戦―――これで見極められますね。終わりを」
私の言葉に答えることなく。彼は身を翻す。
「私はシグーで待機する。アデス、後は任せた」
「はっ!」
いつも通りの短い返礼と同時だった。
彼の手が、椅子の肘掛に置かれた私の手に重なる。
ほんの一瞬だった。
彼の指が私の指に絡む。
一瞬、心臓が大きく脈打つ。
ブリッジの喧騒が遠のいたように感じられた。
クルーの誰も戦況に注視して気づきもしない。
手袋越しの微かな体温を残し、彼の指がすり抜ける。
床を軽く蹴って、ブリッジを後にする。
彼は、行こうとしている。
私の手の届かないところへ。
彼の姿が、ドアの向こうに消えるのと、同時に私は立ち上がった。
「MS隊発進準備急げ!―――航海長!」
「はっ!」
「一分で戻る! 指揮を任せた」
「は!?…はい!」
自席の背もたれを掴むと、そのまま床を蹴ってドアへ向かう。
ドアの向こうに消えた彼の姿を追う。
このまま何も言わずに、何も伝えずに行かせたくなかった。
◇ ◇ ◇
私の後ろでブリッジのドアが閉まる。
「隊長!」
通路の向こうにいる彼を大声で呼び止めた
「……アデス? どうした。指揮は?」
彼は、天井に手を置いてふわりと身体の向きを変え、立ち止まる。
戦闘が始まろうというこの非常時に指揮を放り出して来た私を訝る。
私は無言のまま、彼の腕を取り、抱き寄せた。
「おまえっ……どうし………ンッ…」
何も言わせず深く口付ける。
ここは、ブリッジに続くメイン通路。誰が通りかかるかわからない。
部下に見られようと、そんなことは、どうでも良かった。
気が急いて仕方がなかった。
今ここで、彼に伝えなければならないことがあるのだ。
彼が、最後の賭けに出る前に。
彼を壁際に押し付ける。無理やり唇を奪い、乱暴に口腔内を荒らす。
了承も得ず、彼の仮面を剥ぎ取った。
「なにするっ……んんっ」
逃れようともがく彼の両腕を背中でひとまとめにして押さえつける。
かなり無理な体勢で深く口付けを繰り返す。
おそらく、押さえつけた腕が痛むのだろう。
眉根を寄せて、痛みに耐えるような、快感に堪えるような表情をする。
その顔にそそられた。
唇を離し、囁くように問いかける。
「見届けに行かれるのですね」
「止める気か?」
呼気を荒げて、私をにらみつける彼の眼差しを目に焼き付けた。
金糸が揺れる。
「いいえ」
「私の言った言葉、お忘れではありませんね?」
「忘れるものか」
『あなたが、必要だと思った時に、最も効果的に私の命を使ってください』
私にできる唯一の償い。
「今から私がすることを『許す』と仰ってください」
「何をする気だ?」
「あなたに印を……」
怪訝な顔をしたものの、彼はすぐに応えてくれた。
「……?よかろう。許す」
その言葉に、片手で彼の腕を押さえたまま、もう一方の手で軍服の襟をはだけさせる。現われた白い首筋に口付ける。軽く吸い上げると歯を立てた。
「アッ…っ!」
痛みに上がる声に色めいたものを感じてしまう。
白い肌に跡が残り、血がにじむ。
滲んだ血を舌で舐める。
湿った舌の感触に彼は、ビクリと反応する。
犬がミルクを舐めるように湿った水音をさせて、丁寧に血を舐めとった。
舌先がわざと噛んだ傷跡に当たるようにすると、痛みによるものなのか、快感によるものなのかわからないが、くぐもった呻きが洩れる。
彼の首筋を散々苛んで、ようやく顔を上げる。
思えば、彼の肌に歯を立てたのは初めてかもしれない。
彼の身体に傷を残すのは……。
何かを残したかった。
彼の心に何かを刻みたかった。
たとえ、それが傷跡でもいい。
この傷跡が、彼に与える痛みが、彼に「生」を知覚させることができればよかった。
このまま、彼をどこかへ閉じ込めて、ここから連れ去りたい。
戦いや策謀、復讐といった俗世のしがらみから彼を解き放ちたい。
「鍵」のことなど忘れて、穏やかに生きてもらえたら…。
何度も、自分の中で問い直したその考え。
(この期に及んで、私の覚悟はまだ定まらないのか!)
彼を戦場から遠ざけて、穏やかだけれど、静謐な死に覆われた檻の中に隔離して―――そうして、彼を朽ちるように死なせるつもりなのか!? 私は!
己の生そのものを人類全てに贖わせようとしている彼を止めることなど、私にできるわけがない。
迷いは―――この苦しみは、彼がもたらすもの。
この胸の痛みも、この苦しみも、あなたが生きている証なのだから。
それを否定してはならない。
「……アデス、気が済んだか?」
痛みに耐える様子はそのままに、額にうっすら汗を浮かべて、それでも冷静な隊長の声に我に返る。
「腕を―――放せ」
強く掴んでいた腕を解放する。
手首には朱く跡が残っていた。
彼は、軽く手首をさすり、片手で首筋の傷に触れる。
「……ッツ…。随分、激しいな。所有印のつもりか?」
「申し訳ありません。印には違いないのですが、私の記憶とでも思ってください」
「?――まあいい。……アデス、口直ししたくないか」
「は?」
問い直す暇もなく、今度は、私が壁に背を押し付けられた。
彼の柔らかな唇が、私の口を塞ぐ。
彼の手が、私の軍帽を取り、宙に放る。
そのまま髪をまさぐるように、頭に手がまわされる。
私も彼の腰を抱き寄せた。
口付けが深くなる。
金色の髪が私の頬をくすぐる。
指先で彼の頬を優しく撫で上げる。
その手をそのまま彼の髪に差し入れる。
宙に乱れる髪を梳くように玩ぶ。
アラートが響き渡り、艦内放送が流れた。
『MS隊発進準備完了!五分後に各ブロック隔壁閉鎖』
名残惜しげに唇が離れる。
「……時間だ。行かねば」
彼の手が私の頬に触れる。その手を自分の手で包み込んだ。
「はい。……ご無事で」
彼の手がゆっくりとはずされる。宙を漂っていた仮面を取り、顔を覆う。
襟元を直し、身を翻す。
その後姿に向かって私は呼びかけた。
「隊長!」
振り向く彼の姿をこの目に、心に刻みながら、伝えたかった一言をようやく口に出す。
「敬愛しています。あなたを」
彼は、驚いた顔をした。
「初めて知ったぞ」
「ええ、初めて申し上げました」
笑顔で答える。
「ご武運を」
私の敬礼に、彼も敬礼で応えた。
◇ ◇ ◇
「MS隊発進!」
『イザーク・ジュール、デュエル出るぞ!』
MS隊が発進した。隊長のシグーもこの後すぐに出る。
『私が出たらポッドを射出しろ』
「はっ」
隊長からの命令に短く答える。
禁断の扉を開ける鍵が放たれる。
もう、後戻りはできない。
誰が気づくだろうか、
この小さな救命ポッドの中の少女が持つ鍵が、
人を最後の審判に導くものだと―――。
見極めるのは、人。
試されるのも、人。
『隊長機発進!続いて、ポッド射出します!』
MS隊管制官からの報告を聞きながら、彼の行く先を想った。
敵は、エターナル。そして、オーブ軍艦艇と『足つき』。その後ろには、地球軍の戦艦が控えている。この陣容では、恐らく死に物狂いで撃って来るだろう。
エターナルには、バルトフェルド隊長がいる。
ジャスティスを駆るアスランや新たな勢力の盟主となるラクス・クラインがいる。
ディアッカの乗っていたバスターも敵方にまわった。厳しい戦いになる。
「主砲照準!各艦、火線をエターナルに集中せよ!」
我々がエターナル一艦を標的としたように、あちらも旗艦ヴェサリウスを狙ってくるだろう。クルーゼ隊長が乗る艦を。
彼が戻るべき艦を。
守らねばならない。
彼の帰る場所を。
「撃てぇっ!」
戦いが始まった。
◇ ◇ ◇
ヴェサリウスは、エターナルとクサナギの両艦からの集中砲火を浴びていた。
敵の火線が本艦に集中した際、敵の考えは、すぐに知れた。
彼らにとっての敵旗艦―――ヴェサリウスを突破し、この宙域を抜ける。
追撃を受ける可能性が低い効果的な戦術だ。
既に直撃弾を何発も食らい、装甲の強度が保たなくなっていた。
機関部に直撃を受ければ、艦自体の航行が危うい。
「敵主砲発射!直撃――来ます!!」
「回避―っ! 取舵10度」
「間に合いません!」
直撃弾の衝撃に艦が揺れる。
「機関部に被弾! 火災発生!」
「シリウスに異常発生!!」
「艦の推力低下!艦稼動率40%切りました!艦長っ!!」
「機関部の隔壁を閉鎖しろ!」
「シリウス反応炉異常加熱っ! 危険域です!! アラート発令!」
「航行不能!舵がっ……」
「プラズマ残滓、抑制できません!!」
ブリッジの各管制官からの悲鳴が聞こえる。
( くそっ! こんなところでっ…!)
艦の立て直しを試みるも、この状況ではもはや間に合うまい。
せめて、我が方の損害を最小限に―――
「ヘルダーリンとホイジンガーに打電! 本艦の損傷大。誘爆の危険あり……うっ!」
指示を出そうとした瞬間、ブリッジ内でも爆発が起こる。
炎と煙の中、倒れるクルーたち。自席のすぐ横でも爆発が起きた。
爆風で飛ばされ、ブリッジの内壁に背を強く打つ。
わき腹のあたりの激痛に、手を当てると、機器の破片らしき物と濡れた感触がする。手が紅く染まった。
小さく咳き込む。口の中に錆の味が広がる。
肺も損傷しているようだった。
致命傷なのはすぐに分かった。
(――ここまでだ……)
鍵は地球軍の手に渡り、隊長の思惑通りに事は進んだ。
だが、人が本当に試されるのはこれからだ。
使うのか、使わざるのか。
彼の最後の賭け。
その行方を見届けられないのが惜しいが、これで良かったのかもしれない。
私の愛する人たちの死を見なくて済む。
爆風で飛ばされた軍帽がすぐ傍に落ちていた。
身体に刺さった破片を抜き、軍帽をかぶりなおす。もはや痛みも感じない。
一歩ずつゆっくりと窓際に寄る。
ヴェサリウスの横を掠めるように最大船速で通り過ぎる『足つき』の姿が窓越しに視認できた。
艦上には、フリーダムとジャスティス、バスターの姿。
互いに敵同士になってしまったが、幸運にも後を託せる者たちの存在がある。
艦が沈む。
軍人として、一艦を任された艦長としてこれほど、悔しいことはない。
――が、敵が一枚上手だったということだけだ。
それだけの敵にめぐり会えたということで良しとしなければ。
相手がエターナルならば、「自由」と「正義」の名をもつ彼らなら、相手にとって不足はない。
分かっていたはずだ。
多くの戦友を見送って、多くの敵を屠って、その度に心に刻み込んだはずだ。
明日は我が身―――と。
(―――また妻に泣かれてしまうな……)
この期に及んで、苦笑が洩れる。
彼女には、心配ばかりかけてしまった。
艦長として、一度任務につけば、数ヶ月は艦を降りることはなかった。
ほとんど、家に戻らない生活。
それでも、お互い大切に想っている。
心の中で彼女に詫びた。
ただひとつの心残りは、
あの人を一人で逝かせてしまうこと。
彼の孤独も絶望も分かち合えなかった。
彼を縛る「生」の苦しみと「死」の喜び。
彼の心の闇―――
悔やむべきは
そこから彼を救い出すのが、私ではなかったこと。
炎に包まれるヴェサリウスの艦橋で、
万感の想いを込めて敬礼を捧げる。
憎しみと愛情の螺旋の上に立つ、すべての人に―――――。
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