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煩悶〜螺旋邂逅〜
Till his last moment , he was faithful to his belief .
ヴェサリウス艦内。
通信士官のその一言がブリッジを騒然とさせた。
「隊長機からの通信途絶!」
「なんだとっ!?」
「エマージェンシーは!?」
「ありません!」
(隊長!まさか……)
「アデス艦長!イザーク機からの通信も途絶えました。
コロニー内での不安定な磁場によるものと考えられます」
(動くなと言われてはいるが、どうする!?)
コロニー内部で一体何が起こっているのか、我々には知るすべがない。
コロニー『メンデル』。
かつてバイオハザードにより廃棄された忌まわしき過去を持つ。
このコロニー内にクライン派ら反乱分子が潜伏しているという情報を得て、イザークと二人だけで偵察に向かったクルーゼ隊長。
彼自らが動くと言ったとき、私の咎めるような発言に、やんわりと目配せをした。
「偵察」は口実。
(わかっている。何も言うな)
―――と。
ここは、彼にとってのいわくの場所だった。
『コロニーメンデル。上手く立ち回れば、いろいろなことに片がつく』
隊長のあの一言が、多くの真実を私の脳裏に蘇らせた。
いわくの場所。
全ての始まりの場所。
彼の絶望の始まりの場所。
片をつけるつもりなのだ。
彼は。
だが、『足つき』の存在。そして、フリーダムとジャスティス。コロニーの反対側の港には、エターナルとオーブの艦艇。地球軍の戦艦と新型MS―――。
不安要素が山積みだった。
連絡が途絶えてからずいぶん経つ。偵察のみにしては遅すぎた。
敵との戦闘になったのかも知れないと思ったが、それならば増援もしくは、こちらも戦闘行動に入るよう命令があるはずなのだが。
背筋に冷たいものが伝わる。
戻るはずの人―――。
いつも通り「無事帰還」の報告を待つ自分。
そして、予感。
今がその「時」なのかと……。
こちらの苛立ちを他所に刻々と時間だけが過ぎていった。
ヴェサリウスのブリッジクルーたちは、今までこれほど不安になったことがあるだろうか。
指揮官の不在。
指揮官の優れた才能を知っているだけに、この状況は苦痛だ。
我々クルーゼ隊の兵たちは、いつでも「隊長は必ず戻る」と無条件に信じていなかったか。
なぜ、疑わなかったのだろう。
彼は優れた指揮官であり、MSパイロットでもある。その才能は、尊敬と畏怖の象徴でもある。
しかし、我々と同じ人間のはずだ。戦場での生死など、誰に予測できるものでもない。
今までもそうした例は幾度となく見てきたはずだった。
戦場で友を見送り、部下の最期を見届ける。自分を含め、軍人にとって「死」というものは、常に身近にあった。
こうした状況下で、その影を感じさせないほど力強い指揮官が、ラウ・ル・クルーゼ隊長だった。
彼は、弱さや迷いなどというものを部下に見せなかった。少なくとも、意図的にそうしてきたはずだ。
それが、部下に絶対の信頼感と安心感を持たせている。
彼の心の闇を知るのは、この艦に私のみ。
限りある時間と身体の限界。
それを薬で誤魔化しながら戦う。
いつ、終わりが来るとも知れない。
今日なのか、明日なのか。
目が覚めたら身体が動かなくなっているかもしれない。
そんな恐怖との戦い。
毎日が、全てが、賭け事のようで。
明日昇る太陽を信じることなどできない。
今、生きているという実感を何で得ればいいのか。
痛みだけが、身体の存在を彼に伝える。
それら全てを仮面の下に隠し、彼は戦い続ける。
彼の指揮官としての優秀さは、単に戦術・戦略レベルにおいて語られるものではなく、人心掌握に長けていることであり、また、隊の方針や隊内の雰囲気をつくり上げるという点について特筆されるべきものだ。
それが、ザフト軍においては、一種のブランドやステータスともなっている。
「クルーゼ隊に配属」という辞令は、若い兵たちの間では、自己の力量が高く評価されたと同義であった。同期から羨ましがられ、後輩からは尊敬される。
クルーゼ隊で任務を完遂させれば、キャリアを認められる。その後、別の隊へ配置換えされたとしても、重要なポストを任されることが多かった。
妬みの対象になることもあるが、それは致し方ない。
その彼に限って―――。
隊長からの通信が途絶えたとき、誰もが抱いた感覚だ。
戻らない人。
隊長不在の今、彼の代わりに指揮を執るべき任にある自分が一番動揺している。
無意識に自席の肘掛を指先で叩く。
頻繁に時計に目をやる。
自分の落ち着きのない様子が、部下たちの不安を煽っているのだが、どうにもならない。軍人として訓練を積んだ自分が、こうまで自制がきかないとは思わなかった。
これが、クルーゼ隊長ではなく、別の誰かだったらこうまで動揺することもなかったのかもしれない。
居ても立ってもいられないとは、こういうことを言うのかと妙に納得した。
「索敵!警戒を怠るな! 通信士官、呼びかけを続けろ」
先程から同じ指示ばかりを口にしていた。
脳裏に浮かぶ彼の素顔。
昨夜、彼の体温を感じたばかりだというのに。
なぜ、今、ここは、こんなに寒いのだろう。
私が触れるたびに上がる体温。
白い軍服の下から現われる肌の白さに息を呑む。
朱い印を付けるのを躊躇うくらいに。
唇で瞼に触れ、彼の唇を啄ばみ、こめかみから頤を唇で辿る。
仰け反った白い首筋に唇を落とすと、私の頭に手が回される。
短く刈り込んだ私の髪を玩ぶように彼の手が動く。
彼は、決して手触りが良いとも思えない私の髪に触れるのが好きだった。
深く口付けながら、私も彼の首の筋に沿って手を髪の中に差し入れる。
柔らかな金色の髪の感触を楽しむかのように髪をまさぐる。
彼は、とろけそうな顔をする。
こう安心しきった顔をされると、嬉しい反面、正直戸惑う。
―――私でいいのですか?
その問いに彼が、どう答えるかも分かっている。
彼にとって最後の一人、絶対の一人になり得ないのは分かっているのだ。
選ばれない自分を知っているから、私が、この問いかけをすることはない。
それでも、彼が私の腕の中にいる時だけは、自惚れてもいいだろうか。
この瞬間だけは、
私でいいのだと……。
自惚れはあった。仮面の下の素顔を見た時から。
彼に触れることを許されたのだと。
だが、彼のことを深く知れば知るほどに、彼の心が遠くなっていくような、自分とは確実に隔ててられた何かがあるように感じたのも確かだった。
そして、その予感は的中する。
彼の心の闇は、私を含む全ての人を飲み込んだ。
彼が時折洩らす甘い吐息も、快感を堪えるような声にならない喘ぎも、自分だけに許されたものだと勘違いしていたのだろうか。
戦闘中、ブリッジで私の席の横に立ち、厳しい声で命令を出す彼と、私の下であえかなる吐息を洩らす彼と、どちらが真実の姿なのか。
彼のそのギャップに溺れている自分がいるのも確かなのだ。
まるで、生き急ぐかのような彼の姿に胸が締め付けられる。
最初は、何かに独りで立ち向かおうとする彼を休ませてやりたかっただけだ。
彼のほんのひと時の憩いの時間と場所をつくってあげることができれば、それでよかったのだ。彼の心まで欲しいなどとは思っていなかった―――はずだった。
自分の心の奥底に熱く不可解な感情が眠っていたことを知るまでは……。
敵方にいる彼とよく似た面差しの男。
彼の身体を蝕む病い。
彼の抱える闇。
真実を知ってなお、私にできることは一つしかなかった。
彼の心の闇に寄り添うもう一つの闇になれればいい。
彼を癒そうなどと思うことはもうやめた。
いかに、自分が傲慢だったかも知った。
身体を繋げるだけでは、分かち合えないもの。
彼の孤独と絶望感。
「地球連邦軍アークエンジェル級戦艦よりMS三機の発進を確認!」
「アデス艦長!」
その声に我に返る。
「隊長から通信は!?」
「依然。応答ありません!」
「くそうっ!隊長は!? 内部はどうなっているんだ!」
苛立ちと不安が声に出るのを止められなかった。
「地球軍のMSとジャスティスが戦闘に入りました!」
「足つきとエターナル、オーブ軍艦艇もコロニーから出ます!」
こちらの位置は、地球軍にもとうに捕捉されているはずだ。
本格的な戦闘に入る前に、隊長の安否だけでも確認したい。
この不安な状況のままで、戦闘になることだけは、避けたかった。
「アデス艦長!ヘルダーリンとホイジンガーの両艦から入電!
命令は依然待機のままかと聞いてきています」
「待機だ!!動くなと伝えろ!」
「了解」
(限界だ。今、動かねばこちらがやられる)
『シリウス作動』と言いかけたとき、通信が入った。
「艦長!イザーク機との通信回復しました。……えっ…」
「どうした!?」
「た…隊長機損傷大!……ですが、隊長はご無事のようです。
両機これより帰投します」
クルーたちから安堵のため息が漏れる。ブリッジの空気が元に戻ったようだ。
(しかし―――隊長機が損傷大だと!?)
「メインモニターで視認できます。映像、まわします!」
映し出されたデュエルとゲイツの姿に息を呑んだ。クルーたちも隊長機の損傷の大きさに驚いている。
ゲイツは、胴体部と大腿部を残すのみ。
(―――これでは、自立航行不能ではないか!まさかここまでとは……)
「隊長機が……ここまで…」
クルーの一人からも呆然とそんな言葉が漏れる。
隊長機の損傷。
しかも、あの様子から考えると一方的にやられたように見える。
隊長に絶対の信頼を寄せるクルーたちにとって、この事実は衝撃だった。
(兵の動揺が士気に影響しなければいいが……)
不安要素ばかりが増す一方だった。
◇ ◇ ◇
「クルーゼ隊長機及びイザーク機、帰還しました」
その報告にようやく一息ついた。ようやく戦闘に集中できる。と思ったのもつかの間だった。
ピピッという電子音がして、艦内通話が入る。隊長室からだった。
『アデス!』
「隊長!! どうなさっ……」
(自室からの通信!? いつの間に? それに声の調子が……)
私の問いをさえぎるように隊長が矢継ぎ早に命令を出す。
『ヴェサリウス発進する! MS隊出撃用意! ホイジンガーとヘルダーリンにも打電しろ!』
「しかしっ…」
『このまま見物しているわけにもいかんだろうッ!! あの機体、地球軍の手に渡すわけにはいかんのだからなッ!』
「……ですが!」
(――おかしい。指示としては間違ってはいないが、こんな言い方をする人ではない。まして、今参戦したら、三つ巴の混戦になる。いつもの隊長なら、真っ先に避ける状況だぞ!?)
『私も出る! シグーを用意させろ! すぐブリッジに上がる』
彼は、ほとんど怒鳴るようにまくし立てる。
一体どうしたというのか。彼が冷静さを欠いているのは明らかだった。
コロニー内部で何があったのか。
(まさか…出会ったのか)
全ての絶望の始まりの地で。
同じ螺旋で繋がる者たちが。
憎しみと愛情の螺旋で縛られる者たちが……。
すぐにでも隊長のところへ行きたかったが、職務上それが許されるわけもなく、彼がブリッジに上がるのを待つしかなかった。
彼の姿をこの目で見て、この腕に抱きしめて無事を確かめたかったのだが、そうも言ってはいられない。
だが、これを「無事」といえるのか? 本当に?
冷たい汗は、乾くことなく私の背を濡らす。
私は、私の務めを果たさなければならない。
「シリウス作動! ヴェサリウス発進する。MS隊出撃用意! ホイジンガーとヘルダーリンにも打電!」
戦闘が始まる。
かつて共に戦った仲間と殺し合う。
互いの正義のために。
正義がどこにあるかなど、問題ではない。
自分が、何を、誰を、信じ、守りたいのか。
ただそれだけが―――我らの戦う理由。
―――だが、それすら無くした者の生に意味はあるのだろうか。
「その時」は着実に近づいている。
隊長の声を聞いたばかりなのに、私の身体は依然として冷たいままだった。
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