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溶けた蝋燭
Till his last moment , he was faithful to his belief .
オペレーション「スピットブレイク」が失敗に終わり、その報復戦としてパナマ宇宙港を陥落させたザフト軍。
本国では、多くの人間がアラスカでの失敗に関する事後処理に追われていた。
そんな中、地球からクルーゼ隊長を始めとする、地球降下作戦に従事していた者たちが帰還した。
激しい戦闘の中、ニコル・アマルフィを失い、ディアッカ・エルスマンの消息は杳として知れず、赤い制服を着た少年たちの中でヴェサリウスに戻ったのは、イザーク・ジュールのみとなった。アスラン・ザラは、隊長たちの帰還以前に国防委員会直属の特務隊へ転属となっていた。
数多くの同胞を亡くし、意気消沈するヴェサリウスのクルーたちであったが、隊長の帰還で、久々に艦内は活気を取り戻しつつあった。
しかし、隊長が連れ帰った一人の少女の存在が、隊内に不吉な影を落としていた。
◇ ◇ ◇
「隊長!お待ちください!! あの捕虜の少女をどうするおつもりですか!」
「どう…とは?」
「大西洋連邦外務次官の娘です。父親は、敵の外務官僚――事務方のトップだったのですよ。ただの捕虜にしては扱いが……ましてや」
「まして…なんだ?」
「彼女の父親が乗っていた艦を撃沈したのは、我が隊です。あの娘は、それを知っているのですか?」
「知っているだろうな。私が話したのだから」
「隊長!」
(この人は…まったく……!)
あの年頃の娘が、それを聞いてどう思うかなどお構いなしだ。見張りもつけず、捕虜と自室で二人きりだなどと、何かあったらどうするつもりなんだ。
万が一にも、ナチュラルの子ども、それも少女に後れを取る彼ではないことは、重々承知の上だが、あの年頃の娘は、「少女」でもあり、「女」でもある。
親の仇を目の前にして、どう化けるか分からないから怖いのだ。
しかも、私の勘違いでなければ……あの娘、隊長に好意を寄せている。
父親を殺した敵の隊長を憎からず思うというのはどういう心境なのか。
それがまた、彼女の精神状態を不安定にしているのだろう。
問題はもう一つある。
隊長が地球から連れ帰ったナチュラルの、しかも地球軍の軍服を身につけた少女をクルーたちが快く思っていないことは、先刻承知だ。
隊長命令が行き届いている今、あの少女に無用な振る舞いをする兵はいないが、このままの状態が続けば、いずれ騒ぎの元になる。
現に、イザークなどは、周囲をはばからず不満を洩らしている。
隊の規律を隊長自ら破ってどうするつもりなのか。
あのアラスカでの一件が、クルーたちのナチュラルへの憎悪をさらに増幅させているのは確かだ。
あんな…ボタン一つで、何万もの人間を一瞬にして消滅させる装置をつくり、作動させることができた者―――それは本当に人か?
あれは、戦争ですらない。
敵も味方も、「物」も「命」も何ら区別されることなく、消されたのだ。
ナチュラル、コーディネーターの違い云々ではない。
「ヒト」として、己の尊厳をも汚す行為だったのだ。
この行為に対して、怒りと共に、背筋に冷たいものを感じたのは、私だけではあるまい。
……彼もそう感じたのだろうか。
「仇の名前ぐらい教えてやろうと思ってな。何を心配しているのか想像に難くないが、何もできんよ。あの娘は。
あの娘の憎しみが誰か一人に向くなどと…ありえんな。
あれにとっては、誰でもいいのだ。コーディネーター全てが憎いのだから」
「それはっ……しかし」
「あれは、他人というものをその成り立ちでしか捉えられない。彼女が他人を判断するのは、生まれ素性という点において。敵か味方か判断できるならまだいい。敵だから憎い――そう考えるのは至極まっとうだ。
だが、あれは……自分と違う者への「畏れ」を憎しみという感情でごまかしているだけだ。害にもならん。―――ならば、一番良い形で役に立ってもらおうじゃないか」
隊長は、口元に冷ややかな笑みを浮かべる。
「そうかもしれませんが、あの娘の気持ちはどうなるのです!?」
「―――敵だろう?」
隊長は、私の言葉に意外そうな声で言う。
「らしくないなアデス。あの娘は、ナチュラルだ。我々、コーディネーターの敵だ。違うか?」
「あなたの口からそんな言葉……聞きたくありません。それでは、あなたがあの娘を評したことと同じですよ。―――成り立ちでしか他人を判断できない」
「アデス、ここが本国なら、国家反逆を企てたクライン派だと疑われる発言だぞ」
「私は軍人です。上の命令には従います。ナチュラルは憎い敵です。しかし、ある個人をナチュラルとしてではなく、一人の人間として認識することが、同胞を裏切ることになるとは思えません」
隊長は、私の意見に一瞬、考えるような様子を見せる。
「そう……そうだな。ナチュラル全てが敵だというわけではない。地球に居座って、宇宙(そら)を、プラントを支配しようと考える者が敵なのだ。
そして、そう考えることができなくなったから、我々が今ここにいるのだ」
「それは…どういう――?」
「分からないか?ザラ議長は、ナチュラルを根絶やしにするつもりなのさ。アラスカでは失敗したがな」
「ナチュラルを殺す……しかし、それは……」
「文字通り、根絶やしにするという意味だ。ナチュラルという一つの種をな」
「それは…っ! 評議会の決定ですか!? まさか……この戦争は、コーディネーターの自由と尊厳を取り戻すための戦いだったはず――いつからそんな…」
殲滅作戦になったのか―――という声を飲み込んだ。
私の言葉に隊長が、嘲笑った。
(違う……のか…?)
彼の表情を見て、恐ろしいことに気づいてしまった。
口の端の歪んだ笑みが目に付いて離れない。
冷たい汗が背を伝う。
私は、そして知ったのだ。唐突に。
オペレーション「スピットブレイク」の真の意味を。
「……あなたは………知っていた…のですね」
頭が割れるようだ。
私の目の前に立つ男は、何者だろう?
ザフト軍のエリート部隊を率いる隊長で、唯一、白い軍服を身に付けることを許された……私の―――――
私の――――?
攻撃目標は、地球軍の拠点パナマ宇宙港だった。少なくとも国民と兵士たちにはそう公表されていた。
知っていたのは、ごくわずか、上層部の人間だけ。その中の一人に隊長がいる。
ザラ議長との関係を考えると、当然だろう。
私もあのとき、ヴェサリウスと共に地球の衛星軌道上にいた。パナマ宇宙港攻撃の戦力として。
オペレーション開始の合図と同時に伝えられた攻撃目標は、パナマではなく―――アラスカ。地球連邦軍司令部ジョシュア。
情報操作による陽動作戦。
敵の主力はパナマへ終結し、誰の目にもアラスカが手薄なのは分かっていた。
アラスカを陥落させる。
しかし、それは、敵の中枢を叩いておくことで、こちらが優位に立った講和条約を締結するための布石だったはずだ。
殲滅戦など、聞いてない――――。
だが、敵の裏をかくはずだったこの作戦は、味方の八割を失うという最悪の結果となった。
そして、プラント国民のナチュラルへの憎悪は更に増す。
一方、地球連邦はアラスカをスケープゴートにして、反プラント感情を煽る。
これは…堂堂巡りだ。
憎しみの連鎖。
その戦闘のただ中にあって、スピットブレイクの本当の攻撃目標を知っていた彼が、どうして、こんなに落ち着いていられるのか。
それはつまり―――
知っていたのではないのか。
この作戦は失敗すると。
彼の嘲笑が、誰に向けられたものなのか、分かってしまったからこそ、たどり着いたこの結論に私は慄然とした。
「何を?」
穏やかな笑みを浮かべて彼は問う。私が訊いているのに、彼は、はぐらかすように問いかける。
「アラスカは……罠だったということを。知っていたんですか!?あなたは!」
彼の笑みが深くなる。
私の神経を逆撫でするように。
「……知っていて―――なぜッ!?」
あまりの衝撃に言葉にならない。怒りよりも悔しさよりも、哀しみが勝っていた。
陰謀、スパイ、裏切り―――様々な憶測が頭の中を駆け巡る。
しかし、今の私は、アラスカで一瞬にして消えた同胞の死を哀れみ、悲しむよりも、クルーゼ隊長の心を知りたくて仕方なかった。
知らなくて悲しかった。
何が、彼をそこまで駆り立てたのか。
何を訊いても恐ろしい答えが返ってきそうで、何も言葉にできないのだ。
冷たい汗が背中を流れる。
混乱した私の頭に彼の冷静な声が響く。
「お前は、今まで、信じていたものが崩れ去ったらどうする?
今、戦場で、自分が戦っている理由が覆されたら?」
まさに、今この瞬間がそれだ。呆然と立ち尽くす私に彼は歩み寄る。
私の肩に手をおき、耳元で囁いた。甘く響く声。
「プラントのため?」
「種の尊厳と自由のため?」
言葉が出ない。喉がひりつく。
「コーディネーターの功罪を知っているのか?ナチュラルの功罪を?」
彼は喉の奥で嘲う。誰に向けての嘲笑か。
「等しく傲慢で、愚かな……罪深い二つの種を?」
「……あなたはっ、知っているというのですか!?」
やっとのことで、搾り出すように、声にする。
「…知っている。私自身がその証だ。罪の――」
「!?」
その言葉を聞いたとき―――どうしてだろうか。彼が泣いているのではないかと思ったのだ。
どういう意味なのか聞き返そうとして、彼の方を向く。
彼の仮面越しに視線が合う。
冷たい銀色の仮面。他者を寄せ付けない光を放つ。
閉ざされた心。
秘められた彼の素顔。そして、過去。
(知りたい。どうしても!)
彼に関する様々な噂があった。
彼が、仮面で素顔を隠すのは、醜い傷跡があるからだとか、逆に美貌を隠すためだとか。
プラントに亡命した某国高官の御曹司という噂や、軍の特殊任務につくために普段は顔を隠さなければならないという軍部の裏情報まで。そして、ザフトの遺伝子研究所で開発された新人類だという噂もあった。
これだけの戦果をあげれば、彼の実力に誰もが注目する。自然と、重要な任務を任され、戦場へ出る機会が増える。そして、そのために有能な人材が集まる。
それは、クルーゼ隊がエリート部隊と呼ばれる所以ともなった。
軍内で彼の名前を知らない者はいなかったし、誰もがクルーゼ隊への配属を願ったりもした。
上からも下からも、過度な期待をされる。そして、彼はその期待に応えてきた。
そのための「力」が、彼にはあったから。
戦果をあげ、昇進して、政界へ出るというような栄達に興味があるようにも思えない。彼は、常に命を危険に晒す戦場にあろうとした。
人の目は、常に彼の動向に集中した。
彼は、そうした状況に息苦しくなることはないのだろうか。
戦場から戦場へ――戦いばかりにその身を置く若き隊長にとって、心休まるところなどあるのだろうか。家族はいないと聞いている。
戦場から戻っても誰も待つものはいない。
一人官舎へ戻る彼の後姿を何度も見送ってきた。
その姿に悲哀を感じるとかそういうわけではない。
ただ、ふと思っただけなのだ。
誰が、彼の傷を癒すのか―――と。
軍人ではなかったら、普通の生き方をしていたら―――彼は、どんな人生を歩んだのだろうか。
誰かを愛し、家庭を築き、生きていく……彼のことを想うとき、そんな当たり前の生き方が想像できない。
彼の命の輝きは、戦場でしか見ることがかなわないのか。
命の輝き……いや、生きているというのだろうか、この状態を。
ゆっくりと時間をかけて、死んでいくような感覚。
死に至る病。
「教えてください。あなたが罪の証?どういうことです?
そんな言葉をどう解釈しろと?」
私は、混乱のあまり早口にまくし立てた。
「それを訊いて、どうする?真実を知って、お前にできることなど何もない。できるとしたら後悔ぐらいだ。何の役にも立たん」
「ナチュラルの罪もコーディネーターの罪もそれぞれが負うべきもの。あなたが一人負うものではないでしょう!
それなら、私も罪を犯しているわけですから、私も償わなければならないのでしょうね。しかし、何が罪なのか知らなければ償うことすらできない」
知らないということは時に罪となる。
そう、知らなければ何もできない。
あなたの絶望と悲しみの根底にあるものを知らなければ―――
(あなたを救えない)
誰かを救うなどと、おこがましいにも程があるのかもしれない。
しかし、これが私の素直な気持ちなのだ。決して、安易な同情などで考えたわけではない。どうしたら、この人にそれを分かってもらえるのだろう。
彼は私の肩を突き飛ばすように、身体を離す。
金糸の髪が無重力の室内に揺れた。
「知らないのではない。知っているのにそれを罪だと自覚できなくなった人の心のありようが、もはや罪なのだ」
激昂しているわけではない。ただ、淡々と語る彼の言葉に苦渋の色が見える。
「聞けば、私はおまえのすべてを否定するぞ。それでもか!」
血を吐くような彼の言葉。それを聞いて、私は言葉に詰まった。
(私に否定させるのか、お前を!)
彼の心の叫びが聞こえたかのような感覚。
この人にここまでの覚悟を強いたのは自分だ。私も覚悟を決めなければならない。
今まで、見て見ぬふりをしてきた。
気づかないふりをしていた。
彼が、それを望んでいないことを知っていたから。
己の弱みを他人に見せることを何よりも厭う人だったから。
彼の身体の不調。
敵方にいる彼とよく似た風貌の男。
銀色の仮面と白い手袋。
青いカプセル。
この中に謎をとく鍵があったはずだ。
知らずに見過ごしていたかもしれない幾多の要素。
彼を知るためのその鍵。
もう、見ないふりをするわけには行かない。
例え、彼を傷つけることになっても、知りたかった。
いや、知らなくてはならない。
彼の傷を深くしないために。
致命傷に至らぬうちに。
「たとえ、自分が否定されても、私はあなたを肯定します!」
彼の目をまっすぐ見て、自分の言葉が彼の心に届くように宣言する。
「ですから、教えてください!」
黙って、私の言葉を聞いていた隊長は
「お前が私を殺すかもしれない…」
驚いて目を見張る。聞き違いかと思った。『私がお前を』ではなく…?
どういうことだ?
「言葉は何のためにある?」
「……?他人を知るためです。自分以外の誰かを愛すためでしょう」
我ながら、歯の浮く…いや、綺麗事かとも思ったが、理想論を言ってみる。
「・・・そう、平和なご時世ならそれも良いが、今この戦場で言葉など何の役にも立たない。語り合って、戦争が終るのなら、人はここまで愚かにはならなかった」
案の定、否定される。そう、彼が何度も言ってきた言葉だからだ。
「言葉は、何の役にも立たない。それを知っているお前が、私にそれを言うのか」
「それでも。何も言わなければ、何も始まらない」
「言ってみたところで、何も変わらない! かえって状況は悪化するだけだ」
「それは、極論です!」
「言葉が全ての元凶だとしてもか! コーディネーターの、生みの親の!!」
「……ジョージ・グレン? 彼が衛星軌道上から地球へ送ったメッセージが?」
あまりにも有名な一節。コーディネーターの語源ともなった彼のメッセージ。
そして、それがもたらした混乱。
『僕は、僕の秘密を今明かそう……』
彼は、乾いた笑い声とともに吐き棄てる。
「あれから人は、おかしくなってしまった。最高のコーディネーターを造り出すための研究。その研究の果てに、人が何をしでかしたか。お前は知らない」
彼の口から語られるコーディネーターとナチュラルの功罪。
「命は造り出すものではない。生まれ出ずるもの。そうだろう?」
可笑しくてたまらないかのように笑いながら、語り出す、その真実。
「命の蝋燭は、人一人に一本しか与えられない。それが、自然の摂理。神の摂理だ。人がいくら足掻いて、もう一本作り出そうとしても、溶けた蝋燭は元には戻らない」
くっくっと笑い声を立てるその声が、なぜか泣いているようで。
「私は、コーディネーターですらない。人が造り出した、"ヒト"の紛い物だ」
そうして、私は彼の心の闇を知る。
◇ ◇ ◇
血を吐くような彼の告白。
彼の憎しみは、「ヒト」と呼べるもの全てに向く。
もちろん私にも。
両手で顔を覆い、肩で大きく息をして、必死に何かに耐える彼の姿が滲んで見えた。
私は、手を伸ばして彼を抱き寄せた。
涙がこぼれるのを抑えられなかった。彼の肩口を涙で濡らした。
制服越しに伝わる彼の体温。
抱きしめた身体から伝わる彼の鼓動。
自分の傲慢を思い知る。
救うことなど―――できはしない。
私にできること、それは―――
「あなたが、必要だと思った時に、最も効果的に私の命を使ってください」
そう言うのが、やっとだった。
今ここで、彼を止めれば、人は生き残るのかもしれない。何も変わらずに、何も知らずに、闇の中の悲劇を繰り返して……。
プラント本国には、妻もいる。家族もいる。
彼女たちの命を危険に晒してもなお、償わなければならない。
私だけでも……。
私たち全ての人が、彼に対して贖罪の義務を負う。それを知るべき者は、片手に余るほどしかいない。皆、自己の幸福と、利益のために日々生きるのに忙しい。
それでいいのだ。人は。
彼の死を越えて、世界は、何も変わらないかもしれない。
何かが変わるのかもしれない。
何も変わらずに営みを続ける―――それが、人類の業。
それでも、何か変化するものがあることを祈りたい。
だが、彼は、負わせようとしている。全ての人に。
正しいとは思わない。
止めなくてはならない。
けれど、誰かが、知らなくては。
彼の意思を。
彼の想いを。
彼の決意を。
人には、もって生まれた役割がある。
今、携行している銃を彼に向け、引き金を引くことは容易い。
だが、彼を止めるのは、私の役目ではない。
止めるのは、熾天使の名を持つあの艦にいる男と、未来を担う子どもたち。
「自由」と「正義」の名のもとに。
震える手で彼の身体をきつく抱きしめる。
私の背に手をかけて、彼が口を開く。
「……同情か?」
「いいえ、―――償いです」
私の言葉に彼は静かに息を吐き、答える。
「わかった。おまえの命、せいぜい利用させてもらおう」
その声には、何の感情も感じられなかった。
ただ、私の肩を掴む手に力がこもったのが分かった。
その夜の彼は、常になく乱れて。途中、何度も意識を失いかけた。
自分が語ったこと全てを忘れようとしているかのように、熱に浮かされた情交の中、何度も私を求めた。
私は、その都度、繰り返し彼の手の甲と手のひら、足先、そして、唇に口付けた。
それは、まるで誓約の儀式のようだった。
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