◇ ◇ ◇


アデスが目を覚ましたのは、あれから2日後のことだった。

軍本部の近くにある軍病院の一室。
患者が関係する機密を守るため、入り口には名前のプレートすらなく、入り口の両脇には、国家保安部の男2人が立っていた。
入院自体が極秘のため、一般病棟と隔絶された場所にある部屋だった。もちろん、身内ですら面会を許されていない。
そもそも、配偶者にすら入院の事実が告げられていないのだ。
アデスの妻には、『特別任務のため、2週間帰宅できなくなる』と、軍本部から連絡が一本行っただけらしい。「らしい」というのも、目が覚めてすぐに保安部の人間から受けた説明によるからだ。
保安部による事情説明といっても、半分ほどはアデスへの事情聴取だった。
ただ、被疑者扱いされているわけではないので、保安部の対応はごく丁寧なものだった。

術後の麻酔が切れた後の頭痛に悩まされながらも、いくつかのことを確認した。
まず、クルーゼの無事。
そして、オペレーション・スピットブレイクが賛成多数により、本日可決されたこと。

病室でテレビを見ることはできたが、どのチャンネルもその話題で持ちきりで、地球軍の諜報員のアジトを摘発したというニュースを目にすることはなかった。
もちろん、ベルガーの一件も同様だった。民衆の知らないところで、密かに処理されたと見るべきだろう。ザラ派の報道管制は徹底しているということでもある。
軍本部の目の前で起きた銃撃事件にも関わらず、報道されないことに少なからず驚きながらも、ザラが手にした権力の大きさを窺い知ることができた。
この件については、アデス自身にも口外無用との厳しい命令が保安部から出されていた。
軍人の守秘義務は絶対である。もとより口外するつもりなどなかった。

とにかく詳しいことが知りたかったのだが、この状況で唯一事情を知っているアスランと連絡を取ろうにも、外部に連絡がつかない。
肩の傷で動けない上、扉の外には「警護」と称した見張り2人。
携帯も所持することを許されず、通信端末らしきものは室内には見当たらない。外部に連絡を取りたくても手段がないのだ。
つまり、外部との連絡は禁止されていると考えていいだろう。

アデスが医師から言い渡されたのは、2週間の安静。つまり入院だった。
コーディネーターの身体能力ゆえか、彼自身の体力によるものなのか、出血が多かったわりに術後の経過は良好で、思ったよりも早く退院できるかもしれなかった。
アデスにとっては、早く退院しなければという意思の方が強かった。
スピットブレイクが可決された今、既に準備が進められてきた作戦だけに、クルーゼ隊がいつ本国を出発してもおかしくないのだ。
クルーゼ隊の旗艦ヴェサリウス艦長の座を、何よりもクルーゼの傍らに立つ公然たる権利を他人に譲る気は全くなかった。
この怪我を理由に任務から外される可能性が高いため、出航までに完治とまで行かないまでも動けるようにしなければならなかった。

先程、医師から投与された抗生物質と鎮痛剤のせいか、アデスは次第に眠くなる。あれこれ事件のことを詮索するよりも、今は治癒に専念すべきだと考えたアデスは、大人しくベッドの住人になることにした。

ただ、あの時、肩を撃ちぬかれ意識が朦朧としていく中で、最後に聞いたクルーゼの悲痛な声が耳に残っていた。

彼にあんな悲しい声を出させてしまったことをアデスは悔いた。



アデスが薬で眠ってしばらくたった頃、病室を訪れた人物がいた。
黒いコートを身に纏い、素顔を黒いスクリーングラスで隠した人物は、極秘の入院にも関わらず、迷うことなく病室へ向かい、保安部の男と一言二言、言葉を交わすと、音も立てず入室した。

眠るアデスの枕元に静かに立つその人物は、スクリーングラスを外すと、そっと寝顔を見下ろす。
アデスの意識が戻ったと連絡を受け、やって来たクルーゼだった。
アデスは眠りが深いのか、人の気配に目を覚ます様子もない。
クルーゼは、アデスの額に手をあて、それから頬をそっと撫でる。体温を確かめるかのように、しばらくそうしていた。
じっと寝顔を見つめていたクルーゼは、安堵したかのような息をひとつ吐いて、身を屈めた。
アデスの唇に己のそれを軽く重ねる。

触れるだけのやさしい口付け。

アデスの指先がかすかに動く。
だが、クルーゼはそれに気づかなかった。

クルーゼは身を起こすと、手にしていた包みからあるものを取り出した。それを眠る男の枕元にそっと置くと、来た時と同じように音も立てず退室した。



病室のドアが閉まり再び室内に静寂が戻ると、アデスが目を覚ました。
左手で自分の口元に触れる。

(―――夢?……だったのだろうか)

誰かが傍にいたような気がした。
ぬくもりが肌に、唇に残っていた。

少し眠ったせいか、不快な頭痛も消え、感覚が戻ってきた。
どんな夢を見ていたか思い出そうとしたが、覚えていなかった。
ただ、とてもいい夢を見ていたような気がした。

寝返りのできない身体を忌々しく思いながら、枕の上で首を傾げると視界に黒いものが入った。

(何だ?)

訝しく思い、右肩の痛みを堪えて身体を少しだけ起こし、枕元を見た。

それは、アデスの黒い軍帽だった。

アデスは軍帽を手に取り、再びベッドに身体を沈めた。
軍帽を握り締める。



なぜか涙がこぼれた。










◇ ◇ ◇


オペレーション・スピットブレイク可決から10日後、実行部隊出航の日。
多くの志願兵が港口で家族との別れを惜しんでいた。

アデスは、退院してすぐ家に戻り、家族に真実を告げることなく、慌しく出発した。
アデスはプラントからシャトルで港に停泊中の戦艦ヴェサリウスへ向かった。
いつもの黒い制服に軍帽。
制服は、被弾した時に手当てのため切り裂かれ、処分されたので、新しく貸与されたものを着ている。
病室に届けられた軍帽をかぶり直し、身なりを整えるとシャトルの床を軽く蹴って、外に出た。
傷を負った身体には無重力は都合がいい。重力下では、歩くとどうしても上半身特に腕から肩に負担がかかる。その点、無重力状態では、足や手の一部分だけで進行方向を変えることができるので楽だった。
久々の浮遊感を味わいながら、ヴェサリウスの搭乗口まで身体を泳がせた。出航準備中の兵士たちと敬礼して擦れ違う。
右肩を上げることができないので、変則的だが左手で敬礼をする。ぎこちない敬礼となってしまったが、今のところそれを不審に思う者はいないようだった。
乗員の到着確認をするための士官が書類を手に搭乗口の前に立っていた。
そのすぐ脇でアスランが待っていた。

「アデス艦長!」

アスランは、ほっとした表情で敬礼してアデスを迎える。
アデスに続いてヴェサリウスへ乗り込むと、心配そうに小声で話し掛けてきた。

「お体の方は大丈夫なんですか?」

「ああ…艦の指揮に問題はない。すまんな。いろいろ心配をかけた」

「いえ、自分の方こそ…肝腎な時にお役に立てなくて申し訳ありませんでした。あの後、保安部の監視が厳しくて、お見舞いにも行けず―――結局真相もわからないままでしたし……」

「いや、君はよくやってくれた。保安部からのお咎めがそれだけだったのは、幸いだった考えるべきだな。本来なら処罰の対象となる。
不問にしたのは、これ以上首を突っ込むなということだろう。
何はともあれ、隊長はご無事だったんだ。それで、善しとしよう」

「…はい」

アデスは、悄然とするアスランの肩を軽く叩き、あまり気にするなと笑って言ってやった。

「では、自分はイージスの調整がありますので、ここで失礼します」

ようやく表情の晴れたアスランと敬礼して別れたアデスはアタッシュケースを持ったまま、まっすぐブリッジへ向かった。
ブリッジに入るとすぐに右端に目がいった。
「彼」の定位置となっている椅子には誰もいない。

(まだ、来ていないか……)

いつもの席に望む人の姿を見出せず、ため息をつくと艦長席に腰を下ろした。

「……っ」

身をかがめたとき、肩に痛みが走った。
アスランには、問題ないとは言ったものの、アデスの怪我は完治しているわけではない。予定では二週間の入院だったが、スピットブレイクの出航に間に合わせるため、医師をなんとか説き伏せて退院を早めてもらったのだ。
ヴェサリウスに乗艦している軍医には、内密にカルテが渡され、その後の経過に留意するよう申し渡されている。
実際、椅子に座っているだけなら問題はないのだが、艦の全てを仕切らなければならない艦長職は、病み上がりの身体にはきつかった。
それでも自ら選んだことである。職務に対して手を抜くつもりはなかった。

ブリッジに着席済みの管制官に出航準備の指示をいくつか出し、乗員待機を告げると荷物を置くため艦長室に向かった。

アデスは、ヴェサリウスが新造戦艦だったころからこの艦の艦長だった。
住み慣れた自室で一息つくと、鞄の中から化膿止めと鎮痛剤を取り出し水と一緒に飲み下す。しばらくの間、薬に頼らなければならない。
しかも、たった10日間の入院生活の間に体力がかなり落ちていた。

(体調を見ながらリハビリとトレーニングをしなくては…)

いざという時、隊長の役に立たないようでは無理を押して戦場に戻った意味がない。アデスが、新たな決意を胸に今後の艦の運行について考えていた時、部屋のインターホンが鳴らされた。
出航前の慌しい時間、誰も訪れる者はいないと思っていたので、机の上に広げた薬の袋を慌てて引き出しへ隠す。

ロックを外しドアを開けると、ずっと想っていた人の姿があった。

「隊長……」

「今、少しいいか?」

「あ……はい」

ほぼ10日ぶりの再会。
それほど長く離れていたわけでもないのに、随分久しぶりに姿を見た気がする。
休暇中にいろいろあったせいだろう。なぜか、アデスの態度もぎこちないものになってしまった。
相変わらず、仮面で表情は見えなかったが、クルーゼの態度は厳しいものだった。
会えば厳しく叱責されることを覚悟していただけに、アデスは緊張した。
アスランと色々と嗅ぎ回ったことは、命令違反の上、越権行為とみなされ、処罰されても仕方のないことだった。

「…隊長、申し訳ありませんでした。ご命令に背いて勝手な行動を――」

「ああ、今回のことは不問に伏す。理由は分かるな?」

クルーゼの厳しい口調にアデスは、深々と頭を下げて謝罪する。
肩の傷が痛んだが、そんなことに構ってはいられなかった。

「はい」

「もちろん、今回の件は他言無用だ。二度はないとそう思え!」

「はっ」
アデスは頭を下げたまま短く答えた。
痛みのためか、緊張のためか額に汗が浮かぶ。

続く沈黙。
静寂に押しつぶされそうだった。

「―――いや、本当はこんなことを言いたかったわけではないな……」

呟くようにひと言洩らした後、俯いて押し黙ってしまったクルーゼに、アデスは何を話せばよいのか言葉が続かない。
次の瞬間、クルーゼの口から洩れた言葉の響きにドキリとした。

「……傷は?」

苦しいものを押し殺したかのような、悲しみに彩られた声。

ふと、銃弾に倒れた時に自分の耳に届いたクルーゼの悲痛な叫びを思い出した。
アデスは、クルーゼのこんな声を二度と聞きたくなかった。

「もう、大丈夫です。指揮に問題はありません」

アデスはクルーゼを安心させようと軽く微笑む。

「……本当にいいのか?」

心配そうに問い掛け、クルーゼが手を伸ばす。手袋をはめたままの手がアデスの頬を優しく撫でた。アデスの存在を確かめるかのようにゆっくりと瞼や唇に触れた。
病室で眠っていたアデスの唇に残されたぬくもりが蘇る。
手袋の感触に物足りなくなったアデスは、指を絡めてクルーゼの手から手袋を脱がせると、優しく握り返した。
アデスもまた、クルーゼの存在を確かめるかのように手のひらから、甲、指先に口付けた。

「貴方が無事でよかった…」

アデスは頬に触れたままのクルーゼの手に自分の手を添える。
眉根を寄せ、切なげな表情で囁かれる声にクルーゼがアデスを抱きしめた。

「二度と…馬鹿な真似はするなっ」

クルーゼの声は、激しい口付けに遮られた。
舌を絡め、互いの熱を奪い合おうとするかのようなキス。



出航前のわずかな時間。

アデスは、クルーゼの心に触れることが叶った。






ただ、それは、彼の心の深遠を覗く前のほんの小さな出来事に過ぎなかったと、
後にアデスは気づくことになる。











END








「やさしさの意味と偽りの理由」〔side/Klueze + Ades , Athrun〕 2003.12.29




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