| やさしさの意味と偽りの理由 Side / Klueze + Ades 4.ある種の終わりと更なる始まり 薄闇にコートを翻す男の姿。 目元は黒いスクリーングラスに覆われていた。 黒いコートは闇と同化し、彼の姿を隠すのに役立っていた。 ザフト軍本部前で血が流された日の真夜中。 工業プラントの一角に立ち並ぶ工場群のはずれにある繁華街。 繁華街の賑わいから一歩道を外れると、暗く雑然とした小路が続く。その裏通りをいくつかの影が走り回っていた。 国家保安部が、地球軍諜報員アジトの摘発に乗り出したのだ。 ザラの仕掛けた罠が功を奏し、アジトすぐに判明した。2ヶ所あるうちの1ヶ所は既に制圧済み。もう一方の摘発にはクルーゼが参加していた。 5名の諜報員のうち3名は、抵抗されたので国家保安部が射殺。1名はなんとか生きたまま取り押さえることができた。そして、残りの1名が逃亡を図った。 クルーゼたちは、その男を追跡中だった。 ザフトの機密情報を奪取するために地球軍諜報員が行ったザフト軍上級士官官舎の爆破からの一連の諜報活動について快く思っていない者たちがいた。 ブルーコスモスの情報機関である。 この目先の欲に踊らされた迂闊ともいえる陽動作戦は、同じ立場にあるブルーコスモス側の諜報活動さえも危うくした。 そこで、功を焦った組織を切ることにした。ザフトの仕掛けた罠を利用し、地球軍の諜報員を始末することにしたのだ。 クルーゼは、ブルーコスモスの一党からいくつかの情報を得ていた。 主に地球軍諜報員に関する情報と、アラスカにある地球軍本部についての情報である。 その見返りとして、真のオペレーション・スピットブレイクについて情報を流していた。 問題だったのは、ある地球軍の諜報員の男がブルーコスモスにも出入りしていたことだった。クルーゼの存在を知っている可能性があった。 クルーゼ独自の情報ルートは別に確保してあるので、今後もブルーコスモスと連絡をとるのに問題はない。 ザラからの命令は、地球軍の情報ルート解明のため、できるだけ殺さずに捕獲しろとのことだったが、クルーゼにとっては、その男に口があっては困るのだ。 クルーゼの撃った弾が、男の銃を弾き飛ばした。 素顔を見せたわけではないが、地球軍の諜報員の男はクルーゼの存在を知っていた。知らなければ、少しは命を長らえただろう。 だが、生き延びてもスパイの末路は決まっている。 クルーゼは今、その男に向かって銃口を向けていた。 「きっ…貴様っ!裏切る気か!?」 追い詰められ既に手負いの男は、引きつった顔面に恐怖の色を浮かべていた。 「………あれでは陽動にならんよ。下手に警戒を強めさせただけだ。 もっと上手くやるんだな。スパイが入ったと気づかせては、諜報活動の意味がないだろう?」 クルーゼは、一呼吸おくと、なんの躊躇いもなく引き金を引いた。 「貴様等の頑張りすぎだ」 消音装置のついた銃は、かすかな破裂音を響かせた。 直後に人間の倒れる音が続く。眉間に穿たれた穴から血が流れ出した。 その流れは、薄闇の中では、黒い水にしか見えない。 昼間見たような鮮やかな紅い流れではなかった。同じ生き物から流れる血なのに、どうしてこうも違って見えるのか。 あの時、自分の盾となった男から流れる血の紅を見た時、心臓を鷲掴みにされたような恐怖を覚えた。 一瞬の喪失感に眩暈を起こしそうだった。 (こんなことで、失うのか!?) クルーゼは震えが止まらなかった。 戦場でも、日常でも、常に自分は命を奪ってきた。 これからも奪い続けるだろう。 命の尊厳を汚された自分だからこそ、他者に対し命の価値を問うことができる。 断罪することができる。 自分が命を哀れむことなどあるはずがない。 自分も他人も例外はない―――はずだった。 あの時、クルーゼはアデスの命を惜しんだ。 死ぬなと願った自分が確かにいるのだ。 人類を滅ぼそうとしている自分。 たった一人の命を惜しむ自分。 矛盾し、対立する感情がクルーゼの中で荒れ狂う。 自身への問いかけに答えが出ることはなかった。 近づく幾つもの足音が聞こえてきた。 クルーゼの後を追ってきた国家保安部の者たちのようだった。 徐々に大きくなる黒い血だまりを踏まないように気をつけ、倒れた男の上に屈み込んで、懐を探る。目当ての品を見つけ、拾い上げた。 その手には、地球軍の情報ルートが記された小さなディスクがあった。力をこめるとそのままディスクを割った。 「私の血こそ……黒いのかも知れんな……」 呟いたその言葉は、男の耳に届くことはなかった。 クルーゼは、後から駆けて来た国家保安部の男に死体の処理をするよう命じた。 「任務完了だ。発砲されたため、やむを得ず射殺した」 死体の方を振り返り、一言付け加えた。 ◇ ◇ ◇ 夕日が窓から差し込む部屋。 調度品や家具は軍の支給品のみで、およそ生活感の感じられない部屋だった。 ザフト上級士官用の官舎の一室。 部屋の主は、ベッドの上で白い寝具を頭からかぶるようにして、何度も苦しそうな寝返りをうっていた。 時折、激しく痙攣する身体。洩れ聞こえる苦鳴。 背を丸め苦痛を退けようとしてもとうてい叶うものではなく、サイドボードの上の薬に手を伸ばす。ピルケースを上手く掴むことができず、ベッドの上から転がり落ちた。 散らばる水色のカプセルと夕日に鈍く光る銀の仮面。 なんとかカプセルを飲むことができたが、それでもすぐに発作が収まる様子はない。 常用する薬の量は、以前に比べて増えていた。 発作の間隔は短く、そして、苦しみは長く―――。 いつ、薬が効かなくなるのか。 今日沈む夕日を明日また見ることができるのか。 自分の世界が閉ざされていく閉塞感と、数分先の自分の生を信じることのできない絶望感。 一人で耐えることの苦痛と恐怖。 幼い頃から何度も身に覚えのある感覚は、痛みと共に何度でも蘇る。 荒い息と苦痛が収まるのをじっと待つ。 その時、耳障りな電子音が鳴り響いた。 舌打ちし、サイドボードの上の携帯を手探りで探す。 コールに答えた声は、今まで苦痛に喘いでいた男のものとは思えないくらい冷静だった。 「クルーゼです」 『私だ』 「これはザラ委員長閣下。このお時間では、まだ評議会の最中では?」 『こちらの案件は通った。あと2・3あるがね。終わったら夜にでも、君と細かい話がしたい。どうかね?』 「わかりました。お伺いいたします」 『君の協力であちらも無事片が付いた』 「ホワイト議員ですか」 『ああ、奴め、自ら我らの駒になると言ってきた』 「ベルガーの件は?」 『今はまだ、事を荒立てるわけにはいかんからな。後日、あくまでも一個人に対する殺人未遂及び軍規違反で片をつける』 「了解しました」 『ふっ、我らが本気になれば地球など…だな』 ザラは嘲笑を含んだ言葉を吐くと電話を切った。切れた携帯を床に放り出し、クルーゼは再び苦鳴を洩らす。 「…く……うっ」 オペレーション・スピットブレイクは無事可決されるだろう。そして、ザラの言うところの「真のオペレーション・スピットブレイク」が始まる。 そう、始まるのだ。滅びの刻が――――。 自ら破滅を望む人類の終末が刻一刻と近づいてきていた。 「せいぜい思い上がれよ、パトリック・ザラ」 苦痛に耐え、吐き捨てたクルーゼの言葉を聞く者はいなかった。 |