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◆ ◆ ◆
アスランからの連絡を受けて、アデスは自宅を飛び出した。
ザラ委員長が襲われたということは、クルーゼ隊長も標的になる可能性があるからだ。いや、ザラ委員長もクルーゼ隊長も、おそらくそれを狙っていたのだ。
二人の囮と、二つの罠。
自分の身を危険にさらしてまで、敵をおびきよせるつもりなのだ。
アスランからの情報で、凡そのことは推測できた。
敵が、委員長の暗殺未遂などと派手な行動に出たからには事態の収束は早いはずだ。保安部による内通者の割り出しは、これで確定するだろう。
だが、アスランの口からベルガーの名が出た時、嫌な予感がした。
帰国したその日にベルガー隊長と偶然出会った時のことを思い出し、不愉快な気分になった。
ベルガーが、クルーゼを目の仇にしているのは、周知の事実だ。もし、彼が内通者の一人だとしたら、次に狙われるのはクルーゼの可能性が高い。
クルーゼとは、コンサートの帰りに薄暗い路地で出会って叱責を受けて以来、会っていない。
彼の傍に立つ役目は、今は特務隊のものとなっている。
本来なら、自分の場所だったところに他人がいることが、アデスにはどうにも我慢できなくなった。
しかも、クルーゼに身の危険が迫ろうとしている今、居ても立ってもいられなくなり、彼のもとへ行くことにした。
クルーゼの携帯に何度もコールしたが、電源が切られているのか一向に繋がらず、連絡が取れない。気ばかりが急いてしまう。
クルーゼの所在がつかめないまま、とにかく軍本部でアスランと合流することにしたアデスは、その後のアスランからの電話で、事態が急速に動いていることを知った。
スパイ容疑でベルガーに逮捕状が出たこと。
そして、彼が現在逃亡中であること。
国家保安部が逃亡したベルがーを必死に捜索しているという。ここまできて、容疑者をとり逃がすなど、最後の詰めが甘いとしか言いようがない。
アデスは舌打ちしたい気持ちを抑えて、車を走らせた。
ディセンベル市のほぼ中央にザフトの本部がある。
もともと教育施設が立ち並ぶ都市なだけに、軍本部といっても無機的で威圧感のある建物ではなく、周囲には緑を配した憩いの空間を持つ、一見、大学の校舎にも見えるような建物だった。
ただ、その周囲を銃を持った兵士が巡回し、警護用のMSジン二機が配置されているのが、やはりここが軍本部である証でもあった。
アデスは、正面ゲートで身分証の提示をしたあと、軍本部ビルの正面玄関で車を降りた。何人かの軍関係者と擦れ違ったが、洩れ聞こえてきた会話のほとんどがスピットブレイクの話題だった。
保安部がスパイ容疑のベルガーに対して捜査網を敷いているとはいえ、本件は極秘のことらしく、本部ビルのエントランスは普段と変わらぬ静けさを保っていた。
(――処分も内々に済ませるということか……)
アデスにも、ザラ委員長がスピットブレイク可決前の大事な時期に事を荒立てる気がないことが容易に推測できた。
ユウキ隊長の配置換えは敵の目を欺くためのものだ。ザラ委員長のもとを離れ、極秘で捜査にあたっていたと考えられる。
あの路地裏でクルーゼ隊長会ったとき、彼がいなかった理由もこれで納得できた。
すべては、オペレーション・スピットブレイク可決のため。
地球軍本拠地の一つパナマ基地攻略作戦。
形勢はすでにパトリック・ザラに傾いている。
手の込んだ罠を仕掛けてまで、念押しする必要があるだろうか。
アデスは、いまだ解けない疑問に不安を覚えながら、エントランスに続く階段を上がる。
ちょうどそのときだった。
陽は傾きつつあった。
あと、1時間ほどで本部の業務も夜間シフトに変わる。
その頃には入れ替わりの人員が多く行き交うエントランスも、今はまだ人影まばらだった。
エントランス前の階段を登りかけたところで、ガラスのドアの向こうに、アデスは探し人の姿を見つけた。
数人の護衛を従えている。
その後ろにユウキ隊長の姿もあった。
「隊――」
声を掛けようとしたアデスの視界の端を鈍い光がかすめた。
ドアが音を立てずに開く。
護衛の男たちよりも先に白い制服姿が現われる。
その時、20メートルも離れていない植え込みの向こうから、黒い影が躍り出た。
アデスの目に映ったのは、鈍く光る銃身と歪んだ笑みに縁取られた男の顔。
銃口はまっすぐにドアから出て来た人物に向けられていた。
――――隊長っ!!
銃声が響き渡った。
◆ ◆ ◆
銃声。
血を流して倒れるはずの人物の前に黒い影。
クルーゼは、床に打ちつけた背中の痛みに顔を歪ませて、自分の視界を覆い隠すように盾となった男の存在に驚く。自分を抱え込むようにして身をかがめた男が何者なのか一瞬わからなかった。
「怪我はありませんか」
自分の身を案じる低い声を聞いて初めて誰なのか気づいた。
アデスが、クルーゼの無事を確認して、ふっと微笑む。
「アデス!? どうしてお前――」
直後、アデスはクルーゼに体重を預ける形でよろめく。よろけたアデスを支えようと肩にまわしたクルーゼの手が濡れて滑る。
アデスの軍帽が地に落ちた。
その時、初めて気づいた。
ザフトの白い制服が血に染まっていた。
彼を庇った者の血が、白い衣を紅く染めたのだ。
「アデスッ!!」
数発の銃声と悲鳴。
荒々しく響く軍靴の音。
怒号と叫び。
「取り押さえろ!」
「救護班を呼べ!担架持って来いっ!」
アデスは右肩を撃たれていた。出血は肩と鎖骨の下あたりから。
「…お前っ!」
「……大丈夫です。弾は抜けています…」
「馬鹿か!? 貫通銃創だっ!」
クルーゼは撃たれた箇所を手で圧迫し、止血を試みた。
血は鮮やかな紅。
出血の量が多く、見る見るうちに白い制服が紅く染まる。
それを見たユウキ隊長が、部下に指示をする。
「動脈損傷の危険がある!至急搬送を…」
「救急車呼べ!」
護衛兵の一人が襟元につけた無線のインカムに向かって怒鳴っているのが、クルーゼにはやけに遠く聞こえた。
失血のショック症状でアデスの手足は冷たくなってきていた。
このまま体温が下がり続けると危険だった。
クルーゼは、空いている手でアデスの手を握る。自分の体温を分け与えるように手を握りしめた。
「……隊長―――ご無事で…よかった………。制服汚して…申し訳……」
「そんなこと……っ、もう、しゃべるな」
喉から搾り出すかのようなクルーゼの声。
容態を確認しようと駆け寄り、すぐそばに膝をついたユウキが、耳を疑うような悲痛な声だった。
冷静沈着で、時には冷徹とも冷血とも評される、仮面の男、ラウ・ル・クルーゼ。
ユウキは、仮面に隠されたクルーゼの素顔を垣間見た気がして、驚くとともに動揺した。他人の秘め事に居合わせてしまったかのような気まずさもあった。
まもなく、サイレンの音と共に救急隊が到着した。
失血で意識を失ったアデスの身体はクルーゼから離れ、慌しくストレッチャーに移された。救急車で病院まで搬送され、緊急手術を行うことになるだろう。
クルーゼは、その様子を見届けると、血に染まった制服のまま起ち上がる。
白い制服を紅く染めた血が、雪の上に散らされた真紅の花びらのようだった。
「一緒に行かなくていいのか?」
険しい表情で問いかけるにユウキに答えることなく、取り押さえたベルガーの元へ行く。
ベルガーは後ろ手に手錠を掛けられ、冷たい石の床にうつぶせに押さえつけられていた。特務の士官に腕と腿を撃たれ痛みのあまり失神している。
クルーゼは、ベルガーを見下ろして口を開く。
「―――これで、ようやく片がついたな」
独り言のような小さな呟きだったが、何の感情も感じられない声に、ユウキの背筋に冷たいものが伝わる。
「ユウキ隊長。後を頼みます。私はこれからもう一件の方を片付けに行きますので」
何事もなかったかのように響くクルーゼの声。
自分を庇った者が重傷で死ぬかもしれないこの時に、なぜこんなに冷静でいられるのかユウキには不思議だった。
ユウキは、アデスの人柄について語った時のクルーゼの自然な笑みを思い出した。
かつて自分は、冷徹と評されるクルーゼの下で働くアデスに同情していたこともあった。だが、その笑みを見て、二人の間には何かしら信頼関係のようなものがあるのだと直感したのだ。
彼等の関係は、一般の軍人が想像するような命令の上下の流れを表す関係――
「上官」と「部下」という形だけのものではないのかもしれない――と。
そう思っていただけに、事務的に用件を告げるクルーゼの声の冷静さに、先程垣間見た彼の悲痛な叫びと姿は幻だったのだろうかと訝った。
だが、次の瞬間目にした光景は、自分の感覚が誤りではなかったことを証明していた。
クルーゼは去り際に、階段に残された血だまりへ歩み寄った。
先程までアデスが倒れていた場所に転がる彼の軍帽を拾い上げた。
その手は、微かに震えていた。
★illust
◆ ◆ ◆
アデスよりも先に軍本部へ来ていたアスランが、騒ぎを知って駆けつけた時には、アデスはもちろんのこと、クルーゼの姿はなく、襲撃犯として身柄を拘束されたベルガーが、軍警察に引きずられるように連行されていくところだった。
血だまりが残る現場を見たアスランは息を呑む。
現場に見知った顔を見つけて駆け寄ると激しい口調で問い詰めた。
「ユウキ隊長!これは、どういうことですか!?」
「……クルーゼ隊長が襲撃された」
アスランが息を詰める。
「クルーゼ隊長は無事だ。ヴェサリウスの艦長が盾になって撃たれた。彼は重傷だ」
「アデス艦長が…!? そんなっ……」
アスランの顔が青ざめる。恐れていた事態になってしまったことに後悔の念が絶えない。
父親が議案の可決を巡って暗躍していたのは知っていた。父親の護衛を務める兵に犠牲が出ていることも周知の事実だ。しかもその犠牲は、ザラが敢えて敵をおびき寄せるように画策したことによって生まれたということにアスランは気づいていた。地球軍のスパイを捕らえることは重要だが、クルーゼが父親の策謀に巻き込まれることだけは避けたかった。
これ以上無用の犠牲者を出したくないとアスランは思ったのだ。
だが、アスランは知らない。
今回の件、クルーゼは命令されてザラに従っているように見えるが、実はそうではない。ザラの策謀の影には、必ずクルーゼの存在があった。
アスランだけではない。
国家保安部も、ユウキをはじめとする護衛隊も、そして、パトリック・ザラ自身ですら知らないのだ。
ある男の望みに沿って、戦争はより激しく、凄惨なものになっていくことを―――。
ナチュラル、コーディネーターの区別なく、全ての「ヒト」を滅びに向かわせている力があることを―――。
男は、人々の前に姿を現すことはない。
ただ、そっと背を押すのだ。人が望む「カタチ」を実現するために、後押しをしているだけなのだ。
その「カタチ」が自らの滅びだと気づかない人々は、それに気づかす、疑わず、抗わず、それが運命だと信じて突き進む。
「搬送先はどこです!?」
アスランは、病院へ駆けつけようとユウキに訊ねる。
「君に教えることはできない」
ユウキは、きっぱりと告げた。
「!?」
「この件は極秘に処理される」
ベルガーは、軍警察によってしかるべきところに収監される前に、秘密裏に国家保安部へ身柄が移管されるであろう。
クルーゼを襲撃した事実は外部の記録に一切残らないよう処理される。戦時中の身内の裏切りをわざわざ吹聴するほど、愚かなことはない。軍全体に動揺をもたらすことは、士気の低下に繋がる。
大きな作戦を控えた今、するべきでないことは確かだ。
「――そんなこと……これだけ目撃者がいるものをどうやって?」
「君は父上の力を甘く見すぎている。―――君とヴェサリウス艦長の独断行動は、本来なら軍規に抵触する恐れがあるぞ」
そう言われたアスランは、今回の事件について調べていた自分たちの行動がすっかりばれていたことを知り驚く。
ザラは、息子の行動も探らせていたということだ。アスラン自身につけられたSPは護衛ではなく、監視役だったということか。
「よく――ご存知で。父の命令ですか?」
「そうだ」
言外に「自重しろ」と匂わすユウキの言葉に、アスランは唇を噛み、挑むような眼差しでユウキの目を見る。納得できない父親のやり方にそれでも従うしかなく、自分の力不足を悔しく思った。
「……わかりました。失礼します」
ユウキが暗に示唆した事実は、若いアスランにとっては、屈辱に感じたことだろう。
彼は硬い表情で形どおりの敬礼をした。
その場を立ち去るアスランの背を見送った後、ユウキは、改めて現場周辺を見渡した。
現場に残された生々しい血の跡に眉をひそめた。
戦場では見慣れた血の色も、プラントの、しかもザフトのお膝元ともいうべき場所では見たくはなかったと言うのが正直な感想だ。
ザラの命令どおり、囮も務めた。
影の部分では自ら手も汚した。
これで、この件については片がつく。
スピットブレイクの可決にも間に合った。
全ては、プラントの平和のため。
―――なのに、この後味の悪さはなぜだろう。
ユウキは胸に重く圧しかかる何かを感じていた。
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