++やさしい波風++




スーツ姿のグラハムが、ある人物に会うために出かけたのは雪の降る寒い夜のことだった。


指定されたホテルの部屋で、長めの赤毛を後ろで緩く結わえた男が微笑してグラハムを出迎えた。

「珍しいこともあるものだ」

今、グラハムの目の前にいるのは、国連大使を務めるアレハンドロ・コーナー。
グラハムが苦手とする相手であり、カタギリの大学時代の知人でもある。

「悪いか?」

そっけなく答えたグラハムに、アレハンドロはますます笑みを深くした。

「いや、君の方から会いに来てくれるなんて、嬉しいよ。外は寒かっただろう? 髪が濡れている」

小雪の舞う道を歩いてきたせいか髪に降り積もった雪が溶けて、金糸が幾筋か額に貼り付いていた。

「別に会いに来たわけではない」

「では、なぜ?」

穏やかな微笑を湛えて、俯いたグラハムを見やる。
アレハンドロは、グラハムの答えに薄々気付いていたのだが、問わずにはいられなかった。彼の口からその言葉を聞きたかったからだ。
案の定、アレハンドロが歩み寄ってもグラハムは、その場から動かなかった。

いつも自信に満ち溢れた男が気弱げに俯いたまま立ち尽くしている。しかも、苦手な相手を前にして、虚勢を張ることすら忘れて……。

なぜ?と問われたグラハムは、口をわずかに開きかけて、すぐに唇を閉ざした。よほど言いにくいことがあるらしい。

「何か気に掛かることがあるのかな? どうやら仕事のことではなさそうだが」

「…………」

「ビリーは元気かい?」

「ビリー」という名前にグラハムの肩がビクリと揺れた。
アレハンドロは、いささか意地が悪いなと自分でも思いながら、つい、かまをかけてしまう。
そして、予想通りの反応が返ってきて、自然とため息を洩らす。

「私に……聞きたいことがあるようだね?」

更に核心を突く言葉を吐いたアレハンドロだが、その声音はどこか優しくグラハムには感じられた。この男のもとに来た理由は、確かに『あること』を聞くためだった。
だが、自分から口に出すには憚られ、何かきっかけはないものかとこの部屋に来る道中もずっと思い悩んできた。

「だんまりかい? では、当ててみようか」

「ビリーの大学時代のこと? 彼の実家のこと? それとも、ビリーが昔付き合っていた女性のことかな?」

最後のひと言に反応して、勢いよく顔を上げたグラハムにアレハンドロが「やれやれ」といった顔で困ったように微笑した。

「どうしてカタギリの名前ばかりが出てくる……」
グラハムは、唸るように呟いた。

「おや、違ったかな? 君の顔にはそう書いてあるのに」

どこか痛みを孕んだ表情と、揺れるグリーンアイズを間近に見つめ、アレハンドロが肩を竦めた。

グラハムの特徴とも言うべき自信に満ちたまっすぐな眼差しと強い光を放つ瞳は、今は揺らぎ危うい光を内包している。彼の心の揺らぎをそのまま表しているかのようだ。
苦しげに寄せられた眉根。
言い返そうとして開きかけた唇は、何も言葉を紡がずに再び閉ざされた。
唇をぎゅっと引き結び、何かを堪えるように拳をきつく握る。

痛々しい……とひと言で表現できるようなグラハムの風情にアレハンドロの心もまた動かされた。
手に入らない相手であることは分かっている。
自分ではない他の男に心を預ける人物にどうしてこうも惹かれるのだろうか。それが、無性に苛立たしい。

―――ああ、そうか……

ふと、気付く。
自分がとうに忘れた熱い感情を、未だに持ち続ける男が目の前にいるのだ。
辱めても、貶めても汚れない輝きを放つ存在を好ましく感じる自分がいる。

そして、その輝きを消すも生かすも、今の自分の言葉一つ、行動一つにかかっているという満足感と優越感。

歪んだ愛情とも言える、執着。


カタギリへの執着と恋慕に苦しむグラハムの表情は、世界を、他人を突き放して見つめることに慣れたアレハンドロの心に痛烈に訴えかけるものがあった。
今、アレハンドロの前に立つのは、都合の良い時だけ、慰めを求めてくるような人物だ。それなのに――――。

アレハンドロの心に相反する感情が芽生え、燻っている。
どこかすがるような深い緑の瞳で見つめられて、彼が欲しい言葉を望み通りくれてやりたくないと思う反発心と、それに反する庇護欲。

はじめに感じた苛立ちは、もうどこかへ消え去っていた。

「―――前にも言ったね。辛いなら辛いと言った方が、より人間らしいと」

「……忘れた」

グラハムは、小さく呟くと再び顔を背けてうつむいてしまった。
髪が揺れ、滴がポタリと絨毯の上に落ちる。

アレハンドロが手を伸ばす。
グラハムの耳を掠めるように指先を触れ、冷たく湿った髪の中に指先を潜らせる。
その手は払いのけられることなく、グラハムに受け入れられた。

柔らかなくせ毛がアレハンドロの手に絡む。
触れたところから互いの熱が伝わる。

抗わないグラハムの様子から、よほど堪えているらしいことが分かり、アレハンドロは内心軽く驚き眼を細めた。
そうして、そっとグラハムの頭を抱き寄せた。

「君を放っておいて……ビリーは、何をやっているのやら……」

溜息混じりで呟いた。


誰でも時に人肌が恋しくなる時がある。
誰かの体温が無性に欲しくなる時がある。


本当に欲しいと思っている相手の体温を求められない時に、すがることができる他人がいる者はまだ幸福だろう。
いや――――ひょっとしたら、いないことの方が幸せなのかも知れない。

「……言うな」

アレハンドロの胸に額を押しつけたグラハムが小さく呟く。
その声には苦い響きがあった。

アレハンドロは溜息をついて、目の前の金髪を見下ろし、背中に手を回した。
我ながら、らしくないことをしている―――と内心自嘲しながら。

肩を抱き寄せてやると、耳元で囁く。



「寂しいのかい?」



ほんの一瞬、静かな沈黙が二人を包む。



「……たぶん」



小さな、本当に小さな囁きにも似たひと言がグラハムの口から零れた。

ようやく本音を吐露したグラハムに、アレハンドロは降参したように微苦笑した。


「君がこうも素直だと苛める気も起きないな……」


そう言って、未だ冷たい滴を降らせる金色の髪にそっと口づけた。








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うっひゃぁああ! 甘い!甘いぞ! アレハンドロさん! 甘やかしすぎです!
でも、たまには、こんな波風のたて方もいいかなー。意地悪するばかりが波風じゃないな、とふと思ったり。
カタギリが昔の女に気を取られている内に、グラハムが横からかっさらわれそうですよ!
早く戻ってこい!カタギリ!