夏期休暇・後編 【SAMPLE】 1




高速道路のインターチェンジを降りて、曲がりくねった山道を一時間ほど走ると周囲を山に囲まれた小さな盆地に出た。カタギリが語っていた通り、民家は山裾に集中していて、盆地の中央は見渡す限りの田園風景だった。
一面に広がる青々とした田園の真ん中にはこんもりと茂った杜があり、その杜には赤い小さな鳥居が見える。グラハムには、赤い支柱がどういう意味を持つか分からなかったが、緑色の絨毯の中では、その赤い色がとても鮮明に目に焼き付いた。

車載ナビに従って車は山裾の民家の間を通り抜け、更に盆地の奥へと進んだ。

「たぶん、あれかな?」

カタギリが指差した方角に寺の屋根らしき建造物が見えた。山の斜面の杉林の合間に見える瓦が強い真夏の日差しを浴びて光っている。

「駐車場ってあるのかなぁ。ちょっと道を聞いてくるよ。君は車にいて」

車載ナビで寺のだいたいの場所は分かったが、車での進入経路がわからなかったので、近くの民家で道を尋ねることにした。
カタギリは車から降りると、垣根に囲まれた住宅の周囲をぐるりと回って人影を探す。すると、庭先で植木の手入れをしている老人がいたので、日本語で話しかけた。
祖父直伝の日本語はさび付いてはいなかった様子で、老人にもすぐに意図が伝わったらしい。
寺の門前小路が狭く、かつ、長い階段があるので車では進入できないこと、そして少し離れた場所に駐車場があることを確認し、丁寧にお礼を言って車へと戻った。

「あれ?」

だが、そこには車で待っているはずのグラハムがいなかった。カタギリは首を傾げ、辺りを見渡したが、周辺にも姿がない。

(まさか!?)

誘拐でもされたらと思うと、自然とカタギリは駆け足になった。
辺りの路地を見渡しても人影はない。
何のハンデもない(要警護者がいる、または負傷などのマイナス要素をもたない)状態のグラハムを簡単に拉致することなどできないだろうから、きっとまた、どこかへフラフラと行ってしまったのだろう。
そう願いながら、車道から百メートルほど離れて、舗装されていない小径を足早に進んだ。小石が転がる砂利道には、雑草が茂っていたが、人の行き来はある様子だ。

ふと、耳を澄ませば、すぐ近くに川が流れているらしく、水音と子供達のはしゃぐ声が聞こえてきた。
土手は小さな丘のような盛土の連なりで、上には青々と葉が繁る桜並木が続いている。子供達は土手の向こうにいるらしく、姿は見えないが複数のようだ。
楽しげな笑い声に混じって、ふいに馴染みのある声が聞こえてきて、カタギリはほっと息を吐いた。 

草が茂った土手の急な斜面に、小石や土が剥き出しの部分がある。人が何度も通って自然と道になった坂道だ。
道とも言えないようなその斜面をカタギリは、バランスを崩さないように登った。
ほんの少し走って坂を登っただけなのに息が切れた。自分の運動不足を後悔しつつ、木の幹に手をかけて大きく呼吸すると、土手の上に立って川原を見下ろした。

案の定、黒い髪の子供達に混じってはしゃぐ金髪の大きな子供がいた。グラハムだ。

(まったく、いつの間に)

スーツのズボンを膝までたくし上げて、腕まくりをしたグラハムが川の浅瀬にいた。
言葉が通じなくても子供同志はすぐ仲良くなると言うが、どうやらそれはグラハムにも当てはまるようだ。
川原の石の上には、ジャケットと靴が無造作に放り出されている。

腰を屈めて何かを狙うような恰好から、魚を追っていることが分かった。
時折、人差し指を唇に当てて、子供達に静かにするように身振りで伝える。獲物が近くにいる様子だ。
子供達もそれを真似て「シー!」とわざと大きな声で人差し指を立てた。

グラハムが、「それでは魚が逃げてしまう」と、大仰に肩をすくめ首を振る。
子供達はますます面白そうに笑った。
そのうち、グラハムは魚を追うのを諦め、バシャバシャと水音を立てて、子供を追いかけ始めた。
歓声を上げて子供達が逃げる。

真夏の日差しが水面に反射し、水しぶきをまぶしく煌めかせた。

(こうしてみると、本当にガキ大将だよねぇ)

のどかな田舎の雰囲気に、カタギリの身体から緊張がほぐれていく。
ここ数日、いろんなことがあったせいで、すぐに悪い方へと考えてしまう自分を苦く笑う。様々な屈託を感じさせないグラハムの笑顔に救われる思いがした。

子供達と戯れるその輪に自ら入りたいとは思わないが、曾祖父の生まれ育ったのどかな田舎で、ただそうして眺めている時間がなぜか楽しかった。
そうこうしているうちに、真っ黒に日焼けした少年がカタギリの方を指さしてグラハムを呼ぶ。水しぶきでシャツやズボンを濡らしたグラハムもようやくカタギリの存在に気づき、大きく手を振った。
暑いので木陰から出ずに木の幹にもたれて眺めていたカタギリは、呼び掛けに軽く手を挙げて応える。互いの会話は距離があるので、大声で叫ばないと聞こえない。
ふと気づけば、少年がグラハムのシャツの裾を引っ張って何かを必死に訴えては、カタギリの方を指さしている。

「え? なに? 僕?」

カタギリは自分を指さし、首を傾げる。変な格好だと言われているのだろうか。
グラハムは、少年に何度も聞き返し、首を振ったり頷いたりして、片言の日本語で意志の疎通を図っているようだ。問題となっているのは、どうやらカタギリのことのようで、子供達もしきりに手を振っている。
訳が分からず不安になったカタギリは、子供達に曖昧に手を振り返しつつ、引きつった笑いを浮かべた。

グラハムは、相変わらず少年の言葉に耳を傾けていたが、ようやく意味が分かったのが、ポンと納得したように手を打つと、カタギリに向かって叫んだ。

「カタギリ! そこからすぐに離れろ!」

「え?」

襲撃か、と思った瞬間、頭上からボタリと小さな何かが目の前に落ちた。
そしてもう一つ、今度は肩の上だ。
自分の肩の上に落ちた物体を確認しようと、ずれた眼鏡を直して、眼をこらす。
それが何なのか視認した直後、悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。いや、驚きすぎて声が出なかったというのが正しい。

「そこの木は、毛虫の巣だそうだ!」

グラハムが笑いの混じった声で宣告した瞬間、カタギリは見なければいいのに、つい頭上を見上げてしまった。
桜の枝葉の至る所に、黒い毛の生えた奇妙な瘤が見えた。それらが蠢き、時折、地上に落ちてくる様を見て全身に鳥肌が立った。

「ひゃあぁ!」

滑稽なほど慌てて肩の上の毛虫を払い落とし、飛び退いた。
近年希にみる反射神経を披露することになったカタギリを川原から見ていたグラハムと子供達が大笑いしたのだった。





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