6.記憶






プラント最高評議会議長の執務室。
室内に佇む小柄な人物は、ザフトの赤い制服を身に纏っていた。
まっすぐ肩まで伸びた明るい金髪は毛先がしなやかに広がり、すらりと伸びた細い肢体によく似合っていた。

「おかえり。首尾はどうだった?」

部屋の主は、穏やかな声で問い掛けた。

問い掛けられた少年は、心ここにあらずといった風情で呟く。

「ギル。あのひとは―――だれ?」

ギルと呼ばれた青年―――ギルバート・デュランダルは穏やかに微笑む。

「君がよく知っている人物だ」

「私が?」

「そう。君が」

「ちがう。私じゃない。『あの人』が、でしょう?私と『あの人』は違う。ちがう人間です」

「ああ。わかっているよ。そんな顔をしないでくれ」

「させているのはギルだ」

「すまない。わかってはいるんだ。だが……いや、もうよそう」

ギルバートは、少年の腰に手を回し抱き寄せると、額に優しい口付けを落とした。
しなやかな金髪を一房掬い上げ、指を絡ませる。

デスクに置かれた一枚の写真が目に入った。

金色の髪に青い瞳。
そして憂いに満ちた表情。

「君は君だ。他の何者でもない」

一言一言確かめるように言葉を綴り、少年の顎を掬い上げると、軽く唇を重ねた。









レイはベッドの中で、幼い頃、夢の中で見た光景を思い出していた。

とても怖い夢だった。

自分の手のひらが真っ赤だった。
手のひらから血が滴る。赤い滴の落ちた先も真っ赤だ。
足下に広がる血の海。
自分が誰かを傷つけた血なのか、それとも自分の血なのか分からない。
でも、心が冷たくなっていく。

(こわい)

どうしてこんなに胸が痛いのか、わけも分からず泣きそうになった。

(こわい。こわい。―――なくしてしまいそうでこわい)

なくす?
何を?
誰を?

唐突に湧き上がった疑問。
答えを知っているのに思い出せない苛立ちが募る。

(いやだ。なくしたくない)

血の海にしゃがみ込んで、胸の痛みに耐えた。

ふと、そのとき、指先に触れたもの。
手にとってみた。

(帽子?)

ザフトの黒い軍帽だった。

そこで、目が覚めた。
そして、頬を濡らす感触に自分が泣いていることを知ったのだ。
そのことをギルバートに話すと、「こわい夢でも見たのかい?」と穏やかに微笑んで抱きしめてくれた。
ギルバートのやさしい微笑みにいつもなら安心できたはずだった。

だが、あの夜、薄闇の中でギルバートの頬に走った一条の赤い筋をレイは見つけてしまった。
そのときのギルバートの疲れた表情と悲しげな笑みを忘れられない。
理由を聞いても笑ってはぐらかされた。

(俺はあなたの力になりたいのに)

ギルバートの力になりたいと思っている自分に、何も話してくれないことが寂しかった。

また涙が出そうになったレイの頬をあたたかい手のひらが包み込んだ。
泣き笑いのような表情のレイにギルバートが心配そうに問いかける。
ギルバートの手の感触が心地よくて、レイは安堵したせいか頬をすりつけ、夢の話をした。
ギルバートは、話を聞きながら唇でレイの瞼と頬に触れる。髪をかき上げて落ち着かせるように額にやさしくキスをした。
幼子をあやすようにギルバートがレイの背中をやさしく撫でる。
ギルバートの胸にすがりつくようにしてレイは目を閉じた。
穏やかな声がレイの心の波を鎮めた。

そうして夢で見た光景を話し、最後に見た黒い帽子のことを口にした時のギルバートの反応を忘れることができない。

レイの言葉にギルバートの訝しげな声が重なり、背中を撫でる手が止まった。
自分を抱くギルバートの手の力が急に強くなったことに不安を覚えてレイが呼びかけると「何でもない」と言って、ギルバートが一層強く抱きしめた。
だが、そのことが一層レイを不安にさせた。
不安な自分の心を隠すようにギルバートの背に手を回して彼を抱きしめても、心がざわざわと揺れたままだった。

ギルバートがレイを見つめるとき、どこか懐かしいものを見るような目をすることにレイはずいぶん前から気づいていた。

(それは、俺があの人に似ているから?)

はじめはそれが嬉しかった。
あの人に似ていることが。
だが、いつの頃からか、その眼差しを受けとめる時、ふと不安になった。

『誰を見ているの?』

ある時、そう訊いたレイに、ギルバートは一瞬訝しげな表情をして、その後何かに気付いたように口を開きかけた。
何を言おうとしたのかレイには分からなかったが、すぐにギルバートは、レイの心をとろかすようにやさしく微笑んだ。

『レイを見ているよ』

レイは、その言葉にだまされた振りをした。
ギルバートが誰を見ているのか知っていたが、たまに叫びたくなるのだ。

(―――俺を見て!)

(―――ここにいる俺をちゃんと見て)

それは自分の我が儘だということも、ギルバートを悲しませるということも知っていたからレイは決して言わなかった。
だから、ずっと棘は心に刺さったまま……。
時々どうしようもなく苦しくなることがある。
だが、それ以上にあの人の存在を感じられるから嬉しいと思うこともある。
辛いのに、切ないのに、涙が出るくらい嬉しいと感じてしまう。

(俺はおかしいんだ…)

どこからがあの人で、どこからが自分なのかわからなくなる。

(こんなに違うのに。違うことが悲しい。そして、違うことが嬉しい)

レイは、ずっと思い続けていた。
ギルバートの眼差しを受け止めるたびに、ギルバートの微笑を見るたびに。

(あなたが、微笑みかけているのは誰?あなたが今、触れて抱きしめているのは?)


「あなたは――――――誰を見ているの?」


その小さな囁きは、隣で眠るギルバートには届かなかった。

レイはそっと瞼を閉じた。





◇ 





空が白み始めていた。

隣で眠るレイの横顔を見つめ、ギルバートは、いとおしげに髪を梳く。
安らかな寝息をたてるレイの姿が、かつて見た人物と重なった。

『彼』は、こうして自分が触れることを許さなかった。
その記憶は、甘やかな痛みと共にギルバートの心に傷を残した。

その傷さえも愛しく思えてしまう自分に自嘲する。



ギルバートの手元には一枚のレポートがあった。
それは、ギルバートが個人的に所有している部屋の入退室記録だった。
部屋の管理レポートとして、約一年半に及ぶ入退室の時間が記されていた。
最後の記録は、今から三日前の日付。

『IN 23:25 OUT 23:34』

その日から遡ること約一年半の間、入退室記録はゼロ。
誰も立ち入っていないのだ。
ギルバート本人さえも……。

そして、三日前といえば、ギルバートは視察で工業プラントを訪れていた。
あの部屋に立ち寄ってなどいないのだ。

(一体誰が…まさか、本当に彼なのか)

ギルバートは、議長就任前に住んでいたマンションのキー所有者の情報をそのままにしていた。
研究所生活が長かったため、仮眠用に職場に近い区画に部屋を借りたのは今から十年程前。
その間、部屋を訪れたのは、自分ともう一人しかいない。
そして、あのマンションのキー所有者は二人。

一人はギルバート自身。

もう一人は―――ラウ・ル・クルーゼ。

かつて、ギルバートの部屋をまるで隠れ家のように使っていた男。

議長に就任し、居宅を公邸へと移す際、部屋を引き払うことも考えたが、そのままにしておいた。
恐らく、二度と使うことはない部屋だ。
なぜかは自分でも分からなかった。

『彼』が戻ってくると信じることは難しかった。
彼の望みを知っていたから―――。


無意識の願望だったのかもしれない。




もう一度会いたいという―――――。












7.葛藤



アデスはメンデルから戻ると、すぐに与えられた携帯で議長に面会希望のメールを送った。
どうしてもギルバートに問いただす必要があったのだ。

すぐに返信があり、その日の夜に郊外にあるホテルの一室を指定してきた。
アデスは指定されたホテルに向かう途中、新しく建設されたプラント交通システムの開通式出席する議長の姿を偶然見かけた。
隣には、ザフトの赤い制服姿のレイの姿があった。
おそらく護衛の任についているのだろう。周囲に鋭い視線を投げる様子は毅然としていて、傍に立つ何人ものSPや護衛兵に指揮を出す姿は堂に入っていた。

辺りは一目議長の姿を見ようと詰め掛けた民衆で溢れかえっていた。まるでアイドルのコンサートのような状態だった。
議長の熱烈なファンなのだろうか、数人の女性が花束を抱え、ギルバートの名を必死に叫んでいた。花束を本人に手渡したくて人ごみを抜け出そうとした一人の女性が、警備兵に制止されていた。
制止を振り払うことができず、女性は思い余って花束を議長に向かって投げた。

その瞬間、場が緊張した。
SPが議長を取り囲む。レイが緊張に顔を強張らせ、議長を振り返る。

まるで、時間が止まったかのような一瞬だった。
その時、アデスは思いがけない場面に遭遇した。
ギルバートがとっさにレイを庇おうと手をかざしかけた瞬間を見てしまったのだ。
興奮したファンが投げた花束にSPたちが爆発物だと過剰に反応して、議長の盾になろうと動いた瞬間の出来事だった。
ほんの一瞬の出来事の上、幾重にも警護の兵に囲まれた中でのことだ。
人垣の隙間から垣間見えた議長の仕草に疑問を投げかけた者はアデスのほかはいなかっただろう。
アデスが見た姿もその一瞬だけで、ギルバートの姿はすぐに警護の人垣の向こうに消えてしまった。

その直後、ほんの少し頬を上気させて怒っているレイの姿が人壁の向こうにはあったのだが、アデスが知る由もない。



護衛が警護対象者に庇われていたら本末転倒だ。レイの怒りも尤もなものであった。













指定されたホテルの部屋では、ギルバートがただ一人、アデスを待っていた。
命を狙われる恐れがあるプラントの議長としてはかなり無防備だ。
そこまでの危険を冒してギルバートが会おうとするからには、相当の覚悟を持っていると思って間違いないだろう。
ただ、ホテルの敷地に入らない範囲で、周囲に私服の護衛を配置しているかもしれなかったが、それでも部屋の前には護衛兵の姿はないし、ロビーにもそれらしい姿はなかった。

部屋のソファでゆったりと寛いだ様子のギルバートは、スクリーングラスをはずし立ち上がる。
アデスを迎え入れ、向かいのソファに促す。

「どうですか、その後の経過は」

「あなたにお尋ねしたいことがあります」

議長の問いを遮るようにアデスが厳しい表情で言い置いた。

「何かな?」

はぐらかすような微笑。

「あなたが…『彼』が生きていると思った本当の理由は何ですか」

「言ったでしょう?自宅のパソコンのデータが消去されていたと。それができるのは彼自身――」

「――だけではないはずだ」

アデスは、言い逃れを許さないとでも言うかのように、相手の目を捉えて離さない。

「あなたは、知っていたはずだ。データを消去したのは『彼』ではないと。そもそもそんなデータがあったかどうかも怪しいものだ」

「なぜ?」

ギルバートは穏やかに微笑したままだ。

「……メンデルへ行きました。そこで一人の少年に会った」

アデスの言葉に、ギルバートの口元から笑みが消える。

「―――あなたは、何をするつもりなのか!」

アデスの声に非難の響きを感じ取って、ギルバートは諦めたかのように大きくため息をついた。
立ち上がると、ゆっくりとソファに座したままのアデスの背後にまわる。


「君は知っているのでしょう?……彼の『力』を」

ギルバートの口調が変わる。いくつもの思惑を秘めた怜悧な政治家の口調だ。

ラウ・ル・クルーゼの持つ力。
他人に言われるまでもなくアデス自身が一番よく知っている。

「彼の血が持つ『特殊な能力』を」

その言葉にはっとする。
ギルバートの言う『力』は、別の意味を持っていた。

「それは……確かに隊長は、人並みはずれた勘の持ち主だった。敵の…あの男と共鳴するかのような素振りを見せたことはあったが、まさかそれが――?」

いくつか思い当たる節がある。
モニターや機器が感知する前に、彼が危険や異常を察知する姿を何度も見た。

「コーディネーターという種の限界。君は我々コーディネーターの未来に何を望む?」

ギルバートはアデスの問いには答えず、話題を急に変えた。
「未来?我々の?」

「そうです。―――誰もが幸せで、安らぎに満ちた生涯を送れる。平和な世界―――」

「理想を語るのならそうでしょう」

そう語るアデスをギルバートはどこか揶揄するような表情で見た。

「そう、理想ですよ。そんな世界が本当に来ることを信じて我々は戦うのです…」

「平和のためには、それを勝ち取るには戦わなければならない――ということですか」

「そのためには『力』が必要なのだ」

力の行使を厭わない男の言葉だった。

「私たちの脳の半分以上が眠ったままなのだそうです。そのあと半分を機能させるためのきかっけが、彼のもつ『力』……」

(彼の持つ『力』?)

アデスは呆然とギルバートの顔を見ていた。

「コーディネーターの未来は閉ざされている。低下する出生率。種としての限界にきているのですよ、我々は。彼の血は、彼の血に連なるものは、新たな人の歴史をつくるはずです」

(この男は何を言っているんだ!?)

アデスの背筋に冷たい汗が流れた。嫌悪感に震えた。

「それはっ!あの人が最も忌み嫌っていたことだと、知っていて!それをあなたが言うのかっ!!」

「私は、よくも悪くも議長なのですよ。プラントの未来を考えなければならない。個人の利益よりも国家の利益を優先させなければならない」

「そんなことっ……果たしてできますか!? あなたに! 彼の命の尊厳を踏みにじるような真似が!あなたを慕うあの子の信頼を裏切ることになるんですよ」

ギルバートは、アデスの言葉に一瞬だけ、痛みを堪えるような表情をした。様々な葛藤が彼の心を乱している。そんな様子だった。

「……私は、あの人を手に入れられなかった。あの人の心は―――」

ギルバートは、そう言ってアデスに視線を移す。最後の方は小さな呟きとなった。

「―――だから、君に頼んだのだ。彼を見つけてほしいと。 君なら私の手の届かないところへ彼を連れて行ける。私の持つ権力という名の飢えた獣の牙から、あの人を守ることができる!」

「――― !」

穏やかな口調のギルバートの様子が一変した。
厳しくアデスを糾弾するような口調へと。

「なぜ、レイをそのまま帰したのです? なぜ、連れて行かなかった!?」

苦しげに顰められた眉。
苦いものがこめられたその言葉は、アデスの心を激しく揺さぶった。

「……あなたは…やはりそのつもりで――――」

アデスが息を呑む。
メンデルで出会った少年に問い掛けた言葉を思い出す。

幸せかと尋ねたら、不幸ではないと答えた少年の姿。
仄かな笑みを湛えた口元を思い出し、ギルバートへの信頼の深さを思い知らされた。
その少年を連れて行くことなど自分にはできるはずもない。
自分の出る幕はないと思ったからだ。

「なぜ、そこまで想っていながら、彼を最後まで守ってやれないのです!? あなたなら、できるはずでしょう!?」

ギルバートが自嘲気味に笑った。

「私に何ができる!? 私は、未来を望んでしまったのだ。今よりも力を、平和を! そのためにできるならどんなことでもする。たとえ、愛する者を利用しても!」

「それで得られる平和に何の意味があるというのですか!」

「意味!? 意味だと!? それを考えるのは私ではない、民衆だ。評価するのは、それを望むのは私ではない。国民だ! 彼らの望みに私は応えなくてはならない。そもそもそういうものだろう。我々為政者は!」

吐き捨てるような議長の言葉。
アデスは、ギルバートの葛藤が理解できた。
しかし、彼のやろうとしていることに納得できようはずもない。

「それは欺瞞だ」

「それでも…やらねばならないことがある」

冷たく言い放ったアデスの言葉に動じる素振りすら見せない。
落ち着きをとり戻したギルバートは、すでに新たな決意を胸に秘めているように感じた。

(この感じ……また……)

アデスには覚えのある感覚だった。


覚悟を決めた者特有の――――潔さ。
他者の想いを断ち切るほどの―――。
誰にも揺るがすことのできない決意。そして、望み。

自分はまた目の当たりにすることになったのか。 
あの人と同じ―――己の決意に苦しむ人の姿を見なくてはならないのか。
歴史は繰り返すとはよく言ったものだ。

しかし、他者を巻き込む時代の流れを作り出そうとしている男が、最愛の者を犠牲にしようとすることが許せなかった。

守る力を持ちながら、時代に抗う力を手に入れながら、そして達成するまでの時間を与えられた者が、これ以上何を望むのか。

アデスの胃の中がかっと熱くなった。不意に湧き上がった怒りに、ギルバートの胸倉を掴みあげた。

「それだけの力を持っていながら諦めるのかっ!?」

抵抗もせず、されるままになっているギルバートは、アデスを見据えたまま視線をそらさず、目の前の男に挑むように声を荒げた。

「私には『力』などない! 本当に欲しかったものも手に入らないような男に力があると言えるものか!」

アデスがその言葉にひるんだその時―――――

「その手を離せ!」

鋭い制止の声とともに銃口がアデスに向けられた。
その手に拳銃を持つ少年は、ギルバートを背中に庇うようにしてアデスの前に立ちはだかる。

「警備の兵を呼びます。いいですね」

レイが視線と銃口をアデスからそらさずに背後の人物に了解を求める。

「いや、呼ばなくていい。―――レイ。銃を下ろしなさい」

「しかし…」

「いいんだ。彼にはその権利がある」

レイがしぶしぶ手を下ろす。普段の落ち着きを取り戻したギルバートがレイを窘めた。
先ほどの激昂が嘘のような穏やかさだ。
レイは、ギルバートに目線を移し、ほっとしたような表情で一瞬だけ目元を緩ませた。
再び眼差しに厳しい色を加えてアデスを見る。

「ギルが何を依頼したか知らないが、私は『私』だ」

「……わかっている」

ギルバートがやさしくレイの背に手を添える。

レイの言葉は、自身とクルーゼの関係を既に知っているということに他ならない。
その言葉の重みと、レイの抱える秘密と過去を思いやって、アデスが切なげに眉を顰めた。

「―――それに、ギルの望みを私は知っているつもりだ」

ギルバートが目を見張った。

「…知って……いたのか」

レイが軽く頷き、今度はギルバートが痛みを堪えるような表情を見せた。
ギルバートは、レイに知らせるつもりもなかったし、知られていないと思っていたのだろう。
彼の苦悩もまた、想いの強さに比例したものだった。

「私は私が望むまま、願うままに生きる。そのための力であり、そのための身体を得た。だから今、私はここにいるのだ」

強い意志をその瞳に宿して、レイの口から語られる真実。

かつて―――聞いた言葉。あの人の想い。

『彼』とは違うと言いながら、図らずも同じ想いを抱くレイに痛みにも似た懐かしさをアデスは感じた。
そっと目を閉じれば、浮かんでくる彼の姿。



身体を重ねた一瞬だけは、自分のものだった彼の素顔。




それらが、手の届かない、遠い過去のものとなってしまったことに深い悲しみを覚えた。













ギルバートはまだ話があると言って、レイを退出させた。
レイは一瞬不服そうな、心配そうな顔をしたが、ギルバートに逆らわず部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送るギルバートの眼差しのやわらかさに気づき、アデスは深いため息をつく。

「―――もう私は必要ないのでしょうな」

その言葉にギルバートが振り向く。

「探し続けるつもりはない……と?」

「もう―――見つけましたから」

ギルバートの問いに答えるアデスもまた、目を細めてレイが消えた扉を見ていた。

「そうか……」

ギルバートもまた、閉じた扉に眼差しを送る。退出したものの、レイは中の様子が心配で扉の外に立ったままなのだろう。その姿が容易に想像できてギルバートの口元がふ…と緩む。

そのギルバートの微笑にアデスは心揺らいだ。そして、同時に納得もした。
レイとギルバートの絆、そして、クルーゼとギルバートの関係を――――――。

(隊長……あなたのいないこの世界の行方を、あなたの本当の願いを叶える者の未来を私が見届けます。あなたが絶望し、憎み、それでも愛した『ヒト』の世界は続いていきます。あなたの願いも私の想いも飲み込んで―――)

心の中で語りかけるアデスの瞳が切なげに揺れた。

(でも―――あなたは……決してひとりではないのです)

部屋を去る際、改めてギルバートに向き直る。
ある決意を胸にすべてを犠牲にしても望みを果たそうとする人物を目の前にして想いを託す。



「……あなたは手放してはいけない。あなたはひとりではないのだから」



ギルバートは一瞬、目を見開いたが、その後、曖昧に微笑んだ。
ほんの少しの後悔と、なにかを諦めたかのような瞳の色にこめられた悲しみ。





その微笑に見え隠れした悲哀には気づかない振りをしてアデスはギルバートに背を向けた。








「―――待ってくれ」

ドアノブに手をかけた瞬間、アデスの耳に届いた制止の声。
ギルバートが拳を握り締めたまま、思いつめた眼差しでアデスを見ていた。



「君に言わなければならないことがある」



怪訝な顔でギルバートに向き合うアデスは、ギルバートの拳が微かに震えていることに気づく。葛藤の末にようやく言葉に出しているとでもいうような姿に胸がざわめく。


何か聞いてはいけないことをこれから相手が口にするのではないかという、予感。

背中を駆け上がる冷たい感触。




(だめだ、今すぐここから立ち去らねば…)




だが、足は動こうとしない。

目の前の男が口を開く様子がスローモーションのように見えた。











「―――ラウ・ル・クルーゼは、生きているのだ」









アデスは呆然とその場に立ち尽くした。














END
「もしもBOX Side/Ades」2005.08.12



Side Klueze