5.始まりの地へ 廃棄されたL4コロニー「メンデル」。 思えば、すべてはあの場所から始まったのだ。 あの時、彼の血を吐くような告白を聞きながら、自分は何を思ったのだろうか。 彼のためにできることなど、なにも無いことを知り、人類と自分の罪を知った。 アデスは、ギルバートの依頼に承諾し、独自で動き始めた。 ジャンク屋に繋ぎをとって、L4行きの船に便乗し、彼らが根城にしている廃棄されたコロニー群の一つへ向かった。そこからは、小型艇を借り受け、帰りにまた拾ってもらうことを確認し、アデスはたった一人で、「メンデル」へ向かった。 久しぶりに見る宇宙。 この宇宙で死にかけたというのに、不思議と恐怖は感じなかった。 船の隔壁一枚を隔てた向こうは極寒の世界だ。生物の生存を許さない環境。 見つめていると、真っ暗な闇に引き込まれるかのような錯覚を覚える。 あの時、自分は待っていることしかできなかった。 不安に苛まれながら彼が無事帰還するのを待ちわびていた。 血と愛憎の螺旋から抜け出せなくて、足掻いていた人々の姿が目に焼き付いている。 こうして、彼の憎しみが始まった場所へ行くことに何の意味があるのだろう。 それは、ずっと自問し続けていたこと。 GARM R&D社の研究所に残された資料を求めて、アデスはここまで来た。 バイオハザードを引き起こしたコロニー内は、強力なX線照射で殺菌され、赤茶けた荒野と化していた。 その中に、白い幾何学的な建造物が立ち並ぶ。コーディネーター全盛期には、子供を望む多くの人々でにぎわった施設内は、今は荒廃し、見る影もなかった。 研究所は病院のような構造だった。子供を望む夫婦が訪れ、診察を受け、入院する外来棟の奥に続くのが研究棟だった。 アデスは病院の待合室のようなフロアを通り抜け、奥の棟へと歩く。電力がまだ生きていた。 長い廊下に続く非常灯の緑色の灯りが、不気味に辺りを照らす。 その暗く長い廊下を通り抜けると、まるで工場のようないくつもの機器が並ぶ広い部屋に着いた。 目の前の光景に、アデスは口元を押さえて立ち尽くした。 薄明かりの中に同じ形のカプセルがいくつも並んでいる。 未だに稼動中と思われるその機器に付随するモニターには、成長途中の胎児と思えるものが映し出されていた。 人であって、未だ人ならざるモノ。 母胎を離れ、機器につながれ、身体の機能は数値として表される―――生き物。 研究所の機能が停止してから何年も経過しているはずなのに、なぜこの「生育プラント」だけはまだ動いているのか。 いや、正常に動いているわけがない。すでに胎児の心肺は停止し、機器の電源だけが入った状態なのだ。 アデスの目の前に生命になるべき存在の残骸が並んでいる。 嫌悪感とともに軽い吐き気がした。 醜悪な人の欲望が生み出し、放置され、死んでいった、小さな生命たち。 消えていった光。 あの時自分は彼に言った。 これは「償い」だと……。 しかし、現実の前ではその言葉は空々しく脳裏に甦った。 失われていったこの小さな生命たちに一体どう償えばいいというのだろう。 アデスは、しばらく動くことすらできなかった。 ◇ アデスは、研究棟の一番奥まった場所にある研究室に辿り着いた。 ドア横のプレートに刻まれた『Prof.Ulen Hibiki M.D.Ph.D』という文字。 ここは、ユーレン・ヒビキの遺伝子研究室だった。 彼の口から断片を聞いていたとはいえ、こうして実際にこの場所を見るのは初めてだった。 ―――かつて、彼と彼の血に連なる者が、そしてキラ・ヤマトが出会った場所。 彼が生まれた場所。 彼の孤独と絶望が始まった場所。 割れた薬瓶。散らばった書類やファイル。ガラスや金属の破片が散乱する室内。 薬液がこぼれた跡は変色し、壁には銃弾の痕が見て取れた。研究室の机の上に散らばったいくつものカルテ。 書棚には、背表紙の色が既に退色してしまったらしい専門書やいくつものファイルが並んでおり、その内のいくつかは床に落ち、中身が散乱していた。 アデスは、ファイルの背表紙に記された文字の中から「R.F」を探した。 彼の本名は『ラウ・ラ・フラガ』。その頭文字を探したのだが、それらしい記録は案の定なかった。 そこで、「A.F」と記されたものを数冊取り出した。 『アル・ダ・フラガ』 確か、そういったはずだ。彼のオリジナルの名は―――。 何冊かのファイルを順にめくっていく。どれが彼のことを記したものなのかは定かではなかったが、頁をめくる手が期待と不安とで震えた。 医学の知識のないアデスには分からなかったが、いくつもの数値やグラフが並ぶレポートには、手書きで書き入れられた数字やメモが至るところにあった。 それらに目を通しながら、何か手がかりがないかと逸る気持ちを抑えつつ、一枚また一枚と紙をめくっていく。 瞳の色の指定から肌の色、髪の色、強化能力の種別など、さまざまな指示がその固体ごとに記されていた。 親の外見特徴を示した写真、胎児の成長過程の写真、その状態など、数多くのコーディネーターの子どもたちがこの研究室で成長していたことがわかった。 そして、その個体のどれもが、途中で経過記録が終わっている。 文末には「処分」「廃棄」「中断」などの残酷な文字が機械的に並んでいた。 ヒビキ博士が研究していたのは、母胎を介さないで誕生させる真のコーディネーターだった。 ここにある記録は、その全てが途中までしかなかった。 つまり、これらの子どもたちは――――失敗作だったのだ。 アデスは、その事実に気づき、身震いした。 それでも、頁をめくる手をやめない。常識的な倫理観よりも、知りたいという欲求の方が勝っていたからだ。 更にもう一冊、書棚から取り出そうとしたところで、積み上げられたファイルの山が崩れ、足元に散らばった。 軽く舌打ちして、机の下にまで散らばったファイルを拾おうと屈む。 その手が止まった。 ちょうど机の真下、死角になる部分の床に裏返しになった一枚の写真があった。 書類の間に挟まれていたために褪色を免れたのだろう、真っ白な印画紙の裏面には手書きで記された『R.F』の文字。 白い紙片を裏返した。 アデスの視線は小さな紙片に釘付けになった。 金色の髪。 青い瞳。 整った容貌。 そして憂いに満ちた表情。 幼き日の『彼』の姿がそこにあった。 アデスは、時が経つのも忘れてその小さな紙片に見入っていた。 その写真に映る人物の姿がふと揺らいだ。その人の姿が滲む。 目の奥が熱くなり、今まで堪えていた想いが流れとなって溢れ出す。 ギルバートが、アデスにもたらした一つの可能性。 それを追ってここまで来た。 この場所に来ることに意味があるのか……はじめはそう思っていた。 彼の過去を掘り返す必要など―――暴くような真似をすることなどできないと、そう思っていた。 だが、この場所に来なくては、アデスの中では何も終わらず、何も始まらないのだ。 これは、アデスにとってのけじめでもあり、第二の生を一人で歩むことになってしまった自分の儀式でもあった。 ギルバート・デュランダルという人物が、『彼』とどんな関係だったのか、今となっては知る由もない。 だが、ギルバートの望みがプラントの平和であり、コーディネーターとナチュラルとの融和であるならば、『彼』の本当の望みを知ってなお、想い続けられるということはどういうことだろうか。 互いの望みは、当然相容れないものだったはずだ。 写真の傍には、封蝋が解かれた封筒があった。 差出人の名は、『D』という頭文字一字のみ。住所などは書かれていない。 宛名は、ユーレン・ヒビキだった。封筒の中は空で、その大きさから写真が入っていたと見て間違いないだろう。 データ通信が一般的なこの時代に封蝋とは古風なことである。郵便やメール便などの機関を使用せず、信頼のおける人の手を介して、直接届けられたものだろう。 手紙があるかもしれないと、周囲を探したが見つからなかった。 『D』とは何者だろうか。 クルーゼとの会話の中では、出てきたことのない名前だった。 だが、彼に近しいものであることだけは確かだ。 まるで、成長過程を報告するかのように写真を一枚だけ送ってくる人物。データや観察記録があるわけではなく、ただ姿だけを知らせるための手紙。 そこには、事務的な報告義務のような冷たい印象ではなく、何かしら血の通った人の温かみのようなものが感じられた。 この人物なら何か知っているかもしれない―――アデスはそう直感した。 彼の過去を知る者……本当の彼を知る者が、この世に一体何人いるというのだろうか。 『D』、そして、ギルバート。 『彼』へ至るための手がかりを握っている人物たち。 アデスは、ふと疑問に思った。 ギルバートが、クルーゼの生存の可能性を確信したのは、自宅のパソコンのデータが消去されたことだという。 そもそもデータの消去をするためには、そのパソコンに侵入しなければならない。 では、ネットワークにつなげていないパソコンに一体どうやって侵入する? 直接、そのパソコンに触れるしかないはずだ。 しかし、セキュリティの厳しい議長宅にどうやって人間が侵入するというのか。 そこまで考えて、ふと、アデスの中に疑惑が生まれた。 ギルバートは、アデスに対してクルーゼが生きているかもしれないと言った。 生存の可能性を示唆した。 あの時、自分は、彼の言動からその可能性は高いと判断した。そうでなければ、噂ごときで議長が自ら動くはずがない。そう思ったのだ。 (なぜ、議長はあの人が生きているという確信に至ったのだ?) それは、侵入し得る人物が彼以外にいないという証拠を掴んでいるからではないのか。 まして、ザラ前議長のもとに彼が自分の生体データを残すことなど果たしてあるだろうか。 疑い出したらきりがない。 ただはっきりしているのは、議長が何かを隠しているということだ。 そう思ったのは、ギルバートの言葉の矛盾に気づいたからだった。 議長は、一体自分に何をさせようと言うのか。 (なぜ嘘をつく?なぜだ) ギルバートの真意を測りかね、アデスは、改めて手元の封筒と写真を見た。 もし、クルーゼが生きているのなら、真っ先に研究所のデータや記録を消そうとするだろう。 それこそ、この研究所もろとも。 だが、まだここにあるということは……どういうことだろうか。 (彼がまだここに来ていないということか、それとも―――) ――――全てが幻だったということなのか。 アデスは手を握り締めた。 (彼の幻影を追ってここまで来た―――そういうことか) 掴みかけていたものが指の隙間から零れ落ちていく。そんな感覚。 もう一度、あの人に会いたい。 そう望んだのは自分。 生きることが苦しみだったあの人に、ようやく心の平安を手に入れたあの人に―――それでも生きていて欲しかったと望む己の傲慢。 これは、そんな自分への罰なのか。 絶望して、再び希望を見出して、もう一度、心砕かれる。世の中の無情を、運命の非情さを思い知った。 アデスは写真を胸に抱え、うずくまるようにして心の痛みに堪えた。 その時だった。 「それをこちらに」 突然、室内に人の声が響く。 アデスは驚いて振り向いた。 白いパイロットスーツ。 その人物は、アデスに向かって片手で銃口を向けながら、手を差し伸べて言った。 「あなたには必要のないものだ。こちらへ渡してください」 アデスは、呆然と立ち尽くした。 一歩一歩、歩み寄るザフト兵。 その人物の顔を凝視した。 もはや聞くことは叶わないと思っていた声。 落ち着いたテノールに、少年のやや甘さが残る。 艶やかな金髪に青い瞳、そしてなによりその目に宿る強い意志の光。 (ああ…彼そのものじゃないか……) 涙がこぼれそうになっる。 アデスの中で、全てがつながった。 唯一、彼と違うとすれば、少年の面影を残すその顔には、冷静さと生きることへの希望が見えたことだった。 それが嬉しくもあったが、一方で、彼の生のしがらみが―――愛憎の連鎖が途切れていなかったことに心を痛めた。 人の欲望が、またも『彼』という存在を傷つけようとする。 アデスは、少年の顔をじっと見つめたまま目を潤ませる。 呆然と立ち尽くすアデスを少年は訝しく思ったようだ。 「?……何か?」 問い掛けるその声にアデスの胸が詰まる。 滲む涙を振り払うかのように首を振り、封筒を手渡しながら震える声を飲み込み、尋ねた。 「いや―――議長の命令かね?」 「答える必要が?」 ザフトの兵ならば当然の応え。 だが、その声の響き。 なんという――― アデスの胸は熱いものでいっぱいになった。 何かが零れそうな、感情が溢れ出しそうなそんな感覚がした。 「ここがどんな場所か知っているのか?」 「知っている。何が行われていたのかも」 「君の探し物はこれだけか?」 封筒を手にした少年が写真を確認する。 「ええ」 写真を目にした少年の目がほんの少し和らいだ。 アデスは、ふ…と口元を緩めた。 少年のその表情で何もかも分かった気がした。 躊躇いがちに口を開く。 「名前を―――教えてもらえないか?」 「レイ。―――レイ・ザ・バレル」 「君―――いや…あなたは今、幸せか?」 「――?……不幸ではないつもりだが?」 不思議そうな顔をして少年は応えた。 「……そうか」 アデスの口から吐息に近い一言が洩れた。 「よかった………」 next |