3.記録



ギルバートは、別れる時にアタッシュケースをアデスに手渡した。

「必要なものは中に入っています。もう、気づいているとは思いますが、自宅は監視されています。『彼』の情報を聞きつけた国家保安部が動き始めました。ただ、盗聴はされていないはずです。私が、命じていませんし、貴方の軍属時代の身分もあって、そのときの盗聴防止システムがそのまま稼動しているはずですが、念のため回線を使用した発言には注意してください」

その言葉に、ギルバートの矛盾した行動が表れていた。
議長として、公人としては、プラントの平和と利益を守るために保安部に調査を命じ、一方では個人的な目的のため、保安部には内密でアデスに接触を図る。

アデスは、彼の微妙な立場を思いやり、権力者の孤独を少し気の毒に思った。
軍属時代には、自宅の電話を使用しての打ち合わせの連絡や出頭命令の受領などがあり、軍の機密に関わる会話の傍受を防ぐため、軍関係者の自宅には盗聴防止のシステムが配備されていた。
しかし、国家保安部がその気になれば、システムを黙らせることなど造作も無いはずだ。
その態度から察すると、元ヴェサリウスの艦長という立場は、ラウ・ル・クルーゼの生存説を裏付ける要素としてそれほど重要視されていないようだ。

周囲の目からは、二人の関係は、上官と部下以外の何者でもないはずだった。真実を知るのは、自分たちだけでいい。
それにしても、クルーゼの生存を確認したい者たちは、一体何を望んでいるのだろうか。

「彼らは、恐れているのですよ。彼の人望とその力を」

そうギルバートは語っていた。
新体制となって、力が全てだった時代の、正にその力の象徴とも言うべきザフトの白い英雄の存在は、新たな争いの火種になるかもしれないと。
それを望むもの、望まないものたちが、ラウ・ル・クルーゼの生死を確かめようと躍起になっていた。

しかし―――とアデスは思う。

彼の生存を望まない最たる者が、現最高評議会議長ではないのか。

もし、彼の生存が確認されたら、議長としてのギルバート・デュランダルは、彼をどうするつもりなのか。
秘密裏に処分―――という考えにアデスは慄然とした。

(だから…なのか)

ギルバートは、彼の生存が確認された場合、逃がせと言っているのか。


ギルバート自身の手からも―――。


あの二人の間になにがあったのかは知らない。だが、ギルバートも「知る者」なのだ。
何よりも彼に会いたいだろうに、己の権力が及ばないところへ彼を遠ざけるつもりなのだ。
自分の力が彼の身を傷つけないように……。

アデスは、ギルバートという男に最初とは違う印象を抱くようになった。実際に会った時間は、一時間にも満たない。それなのに、ずいぶん前から知っていたような感覚。互いが一人の人物への想いを共有しているからだろうか。
『彼』を通して、二人は同盟者のような思いを抱くようになったのだ。



(やはり…あなたは独りではありませでしたね)



空を見上げ、そう心の中で呟いた。










アデスは自宅に戻り、出たときと同じルートを辿って、窓から家の中へ入った。妻はまだ、帰宅しておらず、時刻は九時半過ぎ。
カーテンを閉める振りをして、そっと道の向こうを見ると、先ほどとほぼ同じ場所で監視を続ける人間の姿を確認した。つけっぱなしにしていたテレビを消して、二階にある自室にこもる。

渡されたアタッシュケースを開けた。
中には、一枚のディスクと携帯電話、クレジットカード、そして、二種類の身分証明書があった。
一つは、外交官扱いの政府関係者用ID。そして、もう一つは、ザフトの情報部員用のIDだった。この二つのIDがあれば、ほとんどの場所で制約を受けずに行動できるはずだ。
ディスクには、ラウ・ル・クルーゼのこれまでの経歴や調査データが入っていた。


 
◇世界樹攻防戦においてMA三十七機、戦艦六隻を撃沈。ネビュラ勲章の授与。

◇ローラシア級戦艦「カルバーニ」の艦長職を拝命。グリマルディ戦線において、地球連合軍第三艦隊撃破。

◇隊長職拝命と同時に、新造艦ナスカ級戦艦「ヴェサリウス」を受領。クルーゼ隊を指揮する。

◇クルーゼ隊、オーブ領ヘリオポリスに潜入。連合のMS四機を強奪。

◇低軌道会戦において地球連合軍第八艦隊を壊滅させる。

◇オペレーション・スピットブレイクを指揮。

◇パナマ基地攻略。グングニールの使用。

◇ビクトリア基地陥落。プラント評議会は宇宙戦力強化のためラウ・ル・クルーゼを本国へ召還。

◇エターナル追撃のためコロニー「メンデル」へ。ヴェサリウス撃沈。

◇クルーゼ隊解体。単独にてザラ議長の指揮下に。

◇ドラグーン・システム搭載MS「プロヴィデンス」に搭乗。第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦に参戦。

◇ジェネシスの崩壊と同時に行方不明に。軍MIAと認定。





それは、誰もが知っているザフトの英雄の、栄光と終焉までの軌跡だった。
その影にひっそりと隠れた真実の彼の姿を伝える情報など何一つなかったのである。

これが、公式に語られているラウ・ル・クルーゼという人物のすべてだった。

アデスは、机の上に手を組んで額を預けると、深く息を吐いた。
しばらくして、意を決したように立ち上がると、部屋の隅にあったクローゼットを開けた。
その奥にしまい込まれた一つの箱を取り出した。
蓋を開け、きちんと折りたたまれた黒い衣服の上に重ねられた軍帽にそっと触れる。

もはや身に着けることはないと思っていたザフトの制服。
白い制服のあの人の傍らにいつも立っていた自分。
その姿を思い出そうとして、自分がどんな顔をしてあの人を見ていたのか分からなくなった。

最期にあの人を見送ったとき、自分はちゃんと告げることができただろうか。自分の本当の気持ちを。


一人で逝かせてしまったあの人に―――。





アデスはたった一人、黒い制服を握りしめた。












4.再び



「アデス艦長が軍に復帰するって本当か?」


「なに!?聞いてないぞ、そんなこと。どこからの情報だ?」

「いや、本部で制服姿を見たって奴がいてさー」

白いザフトの制服を着た―――「青年」と言うには少し早い気がするが、「少年」というほどの幼さは残していない―――銀髪の人物は、副官と共にザフト本部の廊下を歩いていた。
すぐ隣を歩く緑色のザフトの制服着た男は、副官とは到底思えないような言葉遣いで上官に話し掛ける。それを叱責するわけでもなく、会話が続いていることから、二人は旧知の間柄だということが知れた。

「そいつの見間違いじゃないのか。俺は、退役したと本人から聞いているんだぞ」

「そっか、そうだよなぁ」

白いザフトの制服を着ているのは、隊長に昇進したイザーク・ジュール。そして、その副官として従っているのは、ディアッカ・エルスマンだった。
二人とも、ザフトの中ではある特別な意味で有名だった。もともとザフトきってのエリート部隊に属していた二人だったが、諸事情あって戦い半ばで相対する陣営に属することとなった。

第二次ヤキン・ドゥーエ宙域戦後、二人は、個人的な理由により、それぞれ微妙な立場にいた。イザークは大戦中に民間人の乗ったシャトルを撃墜した罪により、軍法会議にかけられ、また、母親が強硬派だったこともあり除隊は免れないとさえ言われた。
ディアッカについては戦線放棄と利敵行為という極刑判決が下されてもおかしくないほどの罪状になぜか、かなり甘い裁定が下り、降格となっただけだった。
二人とも、その実力ゆえか周囲の不満を押さえつけ、今の地位にいることが許されていた。それは、現議長ギルバート・デュランダルの弁護と前議長アイリーン・カナーバの配慮が反映された結果だったとも言える。

「第一…あの人がいないのに―――アデス艦長が軍に戻ってくるとは思えない」

一瞬、躊躇うかのように吐き出された言葉は、ひどく重い。辛く悲しい過去を思い出さずにはいられない。

「…お前はクルーゼ隊長びいきだったからな」

「なんだとぉ!貴様はそうじゃないとでも言うのか!」

「いや、尊敬はしていたさ。隊長としてはね。だが、あの人の本当の望みは―――俺には到底受け入れられないね。それを知ってなお、変わらないお前を尊敬するよ」

「変わらんだと!?本当にそう思っているのか」

「違うのか?」

「それは…あの時は、裏切られたと思ったから……だが――それまで自分はクルーゼ隊長の何を見て、何を知っていたというのか分からなくなった。自分の理想を勝手に押し付けていただけだったのかもしれない」

「お前―――言ってること矛盾してるぞ」

呆れるように苦笑するディアッカ。イザークの言いたいことは理解できるのに、つい茶化してしまうのはディアッカの悪い癖だった。

「うるさいっ!とにかく、クルーゼ隊長は、クルーゼ隊長なんだ!」

「イザークあんまりおおっぴらに言うなよ―――下手すりゃ、戦犯だぜ?」

ディアッカが周囲を憚って声をひそめる。
最後までザラ議長に従い、最前線でフリーダムと戦い散ったザフトの白き英雄の名は誰もが知っている。
一般市民には、最後まで連合と戦った悲劇の英雄として知られていたが、一方で、ザラ議長を中心とした大量殺戮兵器への関与、クライン議長の暗殺など、強硬派の行動を知らなかったはずがないと、一部の軍関係者・政府関係者は考えている。
政情不安な現状を考慮して、最高評議会では新体制の下、彼ら強硬派に寛大な処置をした。文官ならせいぜい更迭か、武官なら除隊だ。プラントを守るために戦ったという目的は、誰に対しても卑下するものでない。ただ、方法が間違っていただけだ。
公には、そう言ったものの、内部で事情に精通している者たちは、ザラ議長の一派に対して影で囁くのだ。

『戦犯』―――と。

戦争を拡大させ、何万もの兵を死なせた犯罪者だと。

「それが悔しいんだ!俺は!!あいつら何を見て、何を知ってクルーゼ隊長を貶めるのか!」

憤りを露にするイザーク。彼もまた、強硬派の議員だった母親の更迭、そして辞任という事態の影響を受け、謂れのない非難を浴びた者だった。

「怖いんだよ、みんな。ザフトも新体制になって……誰についていけばいいのかわかんなくなっちまってるからな。そこんとこいくと、クルーゼ隊長の名前は絶大な効果がある。それに―――嫌な噂まであるしな」

「噂?」

「知らないのか!?」

驚いたように聞き返すディアッカ。
が、すぐに「しまった」というような顔をした。知らないのなら、あえて聞かせるような話ではない。よりによってイザークに。
あまり気分が良い噂ではなかったからだ。

「なんだ!?話せ!」

言いかけてしまったからには、最後まで話さないとイザークの癇癪玉が炸裂するのは分かっているのだが、こればかりは言葉を選ぶのに慎重にならざるを得ない。

「いや――」

頭を掻きながら、どうしよっかなーと悩む。

「ディアッカ!上官命令だ!噂とは何だ!?」

「うわー、お前ここでそういうこと言う!?」

「茶化すな!」

低い声で威嚇され、ディアッカはイザークが自分を睨む真剣な眼差しに、これ以上はぐらかすのは無理だと判断した。










アデスが聞いた『噂』は、久しぶりに戻った軍の中でまことしやかに囁かれていた。
ザフトの中でも狂信的な強硬派の一部隊がどこかに潜伏しており、それを率いるのが大戦で戦死したはずのザフトの英雄ラウ・ル・クルーゼだというのだ。

(まずいな…)

その噂を熱心に聞き入っている者の大半が比較的若い兵だった。

(ザフト内部がこうも浮き足立っているとは)

アデスは、強大な指導者を失った軍がこうも弱いものだと改めて知った。
ようやく戦後処理に一段落つき、国内も安定を取り戻しつつあるというのにこのような状況では、プラント国内が一体となって復興に向かうなど無理な話だ。

パトリック・ザラとラウ・ル・クルーゼの存在が周囲に与えた影響は、アデスの個人的な感情を抜きにしても、戦後の国勢を揺るがすほどに大きかったのだ。
特に『噂』が広まってから、もともと連合との和平に納得のいかない者たちの不満が一気に浮上した。彼らにとっては、担ぐべき玉が現れたということで、ザフトに留まるか、もう一つの勢力に組みするかで揺れているのだ。

(デュランダル議長の恐れていたことはこれか)

ザフトに揺さぶりをかけるのにこれ以上の噂話はないだろう。
最高評議会議長としては、クルーゼに生きていてもらっては困るのだ。
それを改めて思い知り、背筋に冷たいものが流れる。

「アデス艦長?」

突然名を呼ばれ、我に返ったアデスが声のした方を振り向いた。

「やっぱり…アデス艦長ではありませんか!お久しぶりです。復隊されたというのは本当だったのですね!」

馴染みの顔に思わずアデスの表情も緩む。イザークとディアッカが背筋を伸ばし、敬礼をしていた。

「……恥を忍んで戻ってきてしまったよ」

自嘲気味に笑うアデスに二人は言葉に詰まった。
アデスが、どんな思いで戻ってきたのか想像に難くない。
その胸中を思うと、復隊したことを喜んでばかりもいられなかった。

「久しぶりだな。二人とも、元気そうで何よりだ。活躍は聞いている。艦長と言うのはやめてくれ。もう艦長ではないからな」

アデスは、二人の表情からいらぬ気遣いをさせてしまったことに気づき、自分の発言に少し悔やみながら努めて明るい調子で言う。

「いえ、我々にとってはアデス艦長はアデス艦長です!」

しかつめらしく答えるイザークにアデスは苦笑する。かつてヴェサリウスの中で、似たようなことをクルーゼに言っていたことを思い出し自然と笑みが浮かぶ。

かつての部下も今では、一軍の将となり、ザフトになくてはならない存在となっている。
何よりもイザークの身につけている制服の色がそれを物語っていた。

イザークの白い制服は『彼』と同じ意匠を凝らしてある。
アデスの目は懐かしいものを見たかのように眇められた。

新しい体制になってからは、白い制服をよく見かけるようになった。
パトリック・ザラの体制下では、クルーゼただ一人に許されていた白い制服は、今では指揮官クラスの者たちの制服となっていた。
ザフトに復帰してから、軍本部で白い制服を見るたびにアデスは「あの人か!?」と錯覚してしまった。
白い制服が目の前を過ぎるたび、彼のことを思い出し、過去の幻影に囚われる。
懐かしさとともに拭い去れない痛みを感じるのだ。

「申し訳ありません!」

イザークの白い制服から目を離せなくなってしまったアデスにイザークが突然頭を下げた。
アデスは驚いてイザークの顔を見た。

「イザーク、どうした?」

「こんな…この制服を自分が身につけるには力不足でありますし、何よりも自分にはその資格がないことは重々承知しております。ご不快に思われても仕方のないことだとは思っておりますが……」

「おいおい、待ちなさい。イザーク。何を言っているんだ君は」

「いえ、ですから…」

イザークは、自分が民間人殺しの罪で軍法会議にかけられるはずだったことを指して「資格がない」と言っているのだ。

本来ならザフトの英雄だけが身に着けることを許された『白』。

体制が変わったとはいえ、ザフトの白に対する憧れは誰よりも強かった。
それだけに、自分でその『白』を汚しているとでも思い込んでいるのだろう。
何よりもあの人までも貶めることになりはしないかと怖れているのかもしれない。

指揮官として今では泣く子も黙る「ジュール隊」の隊長を務めるイザークが、相変わらず少年のようにまっすぐな性根をしていることをアデスは喜ばしく思う。
そして、頭を下げたままのイザークの隣に立つディアッカと目が合うと、イザークが道を間違えないで成長しているのはいつも傍にいたディアッカの存在が大きかったことに思い至る。
一時は敵味方に分かれた二人が、誤解を解き、互いを理解しあう関係にまでなったことは、少年たちの成長をこの目で見ることができたようで、かつての上官としては妙に誇らしい。アデスは、イザークの肩に手を置いた。

「よく似合っている。それは、君の実力が勝ち取ったものだ。違うかね?あの人もきっと喜んでおられると思う」

その言葉に一瞬イザークの目が揺らいだが、すぐにいつもの彼らしい凛とした目つきに戻った。

「はい!ありがとうございます。この制服に恥じぬよう人々の自由と平和を守護する者として、誠心誠意尽くします」

「ああ。期待している」

イザークが「プラントの自由と平和」と言わなかったことにアデスは、イザークもまた戦いの本質とその先にあるものを知ったことに気づいた。
そして、同時に自分でも不思議なくらい自然に『あの人』のことを口に出せたことに驚いていた。

(痛みはいつか薄らいで消えていくものだ。人はこうして未来を望めるのか…)

「ところで、アデス艦長は、今はどちらに配属ですか?」

ディアッカの問いにアデスは、幾分声をひそめた。

「特務隊だ」

「では…議長直属の?」

「そういうことになるな。だからもう艦長ではないのだが」

「しかし、なんとお呼びすればいいのか…」

「一応、班長待遇になっているから、班長とでも呼んでくれればいい」

「班長待遇ですか?しかし、それでは……」

「出戻りだからな。特務隊というだけで大した仕事もできない私にとっては破格な待遇だ」

「しかし…」

ザフトの精鋭を集めた艦の指揮をしていた人物をまったく勝手が違う職場に配属したとは、人事部はなんてもったいないことをしているのかとイザークとディアッカは、内心舌打ちした。
尤も特務隊所属と言えば、他の隊の同じ班長クラスでも持つ権限と情報量は雲泥の差だ。

「おっと、すまないが、会議があるのでこれで失礼する。ジュール隊長、またよろしく頼むよ。ディアッカもお目付け役しっかりな」

アデスは軽い口調で敬礼すると、足早に去っていった。



後ろ姿を見送りながらイザークとディアッカは、同時に同じことを考えていた。
わざと明るく振る舞っていたようだが、アデスの目は笑っていなかった。そのことに不安が募る。

「特務隊所属……もしかすると、あの噂のせいか?」

「…だろうな」



二人は再び険しい顔になって考え込んでしまった。








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