1.目覚め



声が聞こえる。

何と言っているのか自分には分からないけれど。


懐かしい声。

声というよりも、その響き。


音の抑揚に心が揺れた。



なぜ?どうして自分の胸が痛むのか。

なぜ、懐かしいと思ったのか。


よく聞けば知らない声だ。


誰だ?

私を呼ぶのは?

私を呼ぶ?
呼ばれているのか―――私は。

何のために……?








アデスは、目を覚ました。










アデスが、病室から出られるようになった頃には、戦争は終わっていた。
ヴェサリウスが撃沈されてからの記憶がない。ずっと意識不明の重態だったからである。

目覚めてからのアデスは、自分の艦を失ったことへの自責と、一人生き残ってしまったことへの後ろめたさを抱えて悶々としていた。
特に上官の戦死を聞いたとき、この世の全てが色褪せ、冷たい静寂が辺りを覆ったように感じたものだった。

なぜ、生き残ってしまったのか。

この身は、彼のために使い、彼のために最期を迎えられればいいと決意していただけに、現実の残酷さに歯噛みした。
思うように動かない体を持て余し、病室で鬱々とした日々を送っていたアデスを励まし、心の支えとなったのは、眠り続ける夫の看病でやつれた表情の中にも、意識を取り戻した夫の姿に喜びの笑顔を見せる妻の存在だった。

そして、絶望の後にやってきたのはなぜか安堵感だった。
ようやくあの人の苦しみに満ちた生が終わったのかと…。

死がすべてを解決するなんてことは、許されないことだ。
それを知っているだけに、彼の死後も続く人類の営みが、どこか遠く感じられた。
体が治っても、もう、軍に戻るつもりはなかった。あの人がいない軍に戻っても意味がない。

退院したその三日後、アデスは退役願を軍に提出した。




それから二ヶ月はリハビリと、自分の意識がなかった間の世界の動きを調べることに費やした。
軍に提出した退役願は、そのまま正式に退役届として受理された。その後、士官学校の教鞭に立たないかと誘われたが断った。

彼の想いの果てに何が残り、世界はどう動いていくのかを見届けるのが、自分の第二の人生の仕事となるだろう。
それは、アデスにとって無理やり与えられた「生」を生きる理由でもあった。




平穏な日々が続いた。
家族と共に過ごす、ごく当たり前で、だが、奇跡のような時間。
人の営みはこうして続いていく。

ふと、彼のことを思う。

彼にとって、生きていることが当たり前という言葉は存在し得なかった。

当たり前と言ってしまえる人間の傲慢。

自分もその一人だということに、どうしようもなく悔恨の思いが募る。
無理やり与えられた「生」だと、一瞬でも思ってしまった自分の思い上がり。

彼のぬくもりを、その眼差しを、想いを継ぐ者が、未来を自らの手で切り拓こうとしたあの若者たちの中にいることを切に願っていた。

アスラン・ザラはザフトを離反し、オーブへと亡命したと聞く。
彼の最期を見届けたキラ・ヤマトに会ってみたいと強く希望したが、戦後行方不明だという。
イザークは母親の後を継ぎ、一度は政治の世界へ入ったが、再びザフトに戻ってきた。あの人と同じ白い制服を身に着け、一軍の将となった。
ディアッカ・エルスマンも生き残り、今はイザークの副官を務めているらしい。

皆忙しく、大切な人のため、そして平和な世界のために戦っている。



人を殺める道具を、言葉と勇気という名の武器に持ち替えて―――。

















2.電話



妻は「遅くなる」と言って友人と買い物に出かけ、自宅にはアデス一人だった。
テレビでは、いくつかの国内外のニュースに混じって、新議長ギルバート・デュランダルが、建設中の穀物プラントを視察に訪れている映像が映っていた。
新しくプラントを導く指導者は、若く、鋭利な目元にふと、穏やかな表情を見せるところが、女性たちの熱烈な支持を受けていると言う。ワイドショーの登場率が高い国家元首というのも珍しい。
悲惨な戦争の後だけに、平和路線を貫いたクライン派の元議員だったという下地も彼の人気の一因となったのだろう。
そんなことを考えながら、前議長のパトリック・ザラや、シーゲル・クラインのことを思い出していた。
その時だった。突然の電話のベルに意識を呼び起こされた。

「――はい」

『アデス艦長ですね』

ほんの数ヶ月前までの職名で呼ばれ、無意識のうちに返事をした後で、不審に思った。
音声のみで映像なしの電話だった。相手の姿が見えないというのも不審の一因だった。しかも、今更なぜ、この名で呼ぶのか。

「……あなたは?」

『ギルバート・デュランダルと申します』

「――――は?…え?」

『突然のお電話で申し訳ありません。―――実は、貴方にぜひ、お話したいことがあるのですが、今からお宅にお邪魔しても差し支えありませんか?』

「…あの……失礼ですが、お名前をもう一度…」

『ギルバート・デュランダルです』

殊更ゆっくりと告げられた名前に驚くと共に、訝しく思った。
もし本物なら、一度も面識もなければ話もしたことのない人物が、自分へ電話を掛けてくる理由が思いつかない。
アデスは困惑し、上擦った声で確認する。

「―――議長……でいらっしゃいますか?」

『そうですが…個人的にお話したいので、今は議長の肩書きはお忘れください』

「今は、軍人ですらない私に一体―――」

余計に不審さが増す。
議長が元ザフトの軍人に用だというのならば、まだ理由はつくが、個人的にとは一体どういうことか。
何かの罠か―――とも思った。

『詳しいお話は、お会いしてから。この電話も周囲に内密で掛けておりますので、他言無用に願います』

「しかし……」

渋るアデスに声を落としてギルバートが囁くように言った。

『――――ラウ・ル・クルーゼ隊長のことで……』

その言葉にアデスの心臓が大きく脈打つ。
頭から血が引いていくような感覚に、身体が水平を保っていられなかった。壁に手をついてふらつく身体を支える。

なぜ、ここで彼の名が出てきたのか。
頭の中でさまざまな想いが混ざり合い、自分が今どこにいるのか分からなくなった。

『…それで、ご諒解いただけるのでしょうか』

低く、落ち着いた声がアデスの感覚を引き戻した。

「……いえ。……もうじき家内が帰宅しますので、できれば外がいいのですが…」

『わかりました。それでは、今から三十分後に十三番地公園のサウスゲート側に車を停めますので、そこで―――。ナンバーは、RLK031です。お待ちしております』

アデスは、切れた電話の前で呆然と立ち尽くした。
電話を切った後で、めまぐるしく考えた。
妻が戻るまでには、あと二時間ほどある。ギルバートが、この時間にこのタイミングで連絡してくるということは、こちらの家庭の事情や動きが把握されていたということに思い至り愕然とした。

電話を受けた部屋から隣の部屋へ移ると、電気をつけずに壁伝いに窓際へ寄る。カーテンの陰から庭越しに街路の方を見た。
通りの向こう、路地に入る角に一人。街路樹脇の電話ボックスの影に一人。人待ちを装っているが、明らかにそれとわかる人間がいた。

(いつからだ!? 行確がついていただと!? 一体何が起こっているんだ!)

監視の素性はわからないが、こうした任務にあたる可能性がある部署と言えば、国家保安部か、情報部、そして特務隊のいずれかだろう。
さらに、監視がついていたということは、電話が盗聴されている可能性もあった。
しかし、それを知らずに議長が掛けてくるわけがない。知っていて、何らかの対処をしたか。
知っていて敢えて放置したか。わざと聞かせるためかとも思ったが、一体誰に、何のためにか全く分からない今の状況であれこれ考えるのはやめた。

内密にということであるなら、今は、張り込んでいる二人の人間の目をどうごまかして、指定された場所に赴くかが問題だった。

それにしても、アデスが、監視に気づかなかったらどうするつもりだったのか。
気づくと思っていたにしても、一言忠告なりしておいて欲しいものだ。それともこれも何かの布石なのか。

権力者、特に頭の切れる人物の行動には、無意味なことは何一つない。
アデスはこれまでの経験から嫌というほど学んでいた。
ふと、かつての上官の姿が頭をよぎった。
彼の行動も、命令も無駄がなく、その時は理解できないことでも、後々考えると、なるほどと思うことが多々あった。
そのことで、何度か衝突したが、彼の深謀遠慮は、凡人の知るところではなかった。

(似ている…)

議長の口から出た名前一つに動揺し、すべて彼のことを思い出すきっかけになってしまう自分に苦笑した。


アデスは、クローゼットから暗褐色のジャケットを出し、手を通した。
居間の電気とテレビをつけたまま、庭木の一番よく茂っている側の窓からそっと外に出た。
そのまま隣家の垣根の樹の陰を伝いながら、裏道に出ると、ゆっくりと歩いた。後をつけてくる気配がないのを確認し、大通りでタクシーを拾うと、わざと遠回りをして指定された場所へ向かった。





指定された場所に着いたのは、約束された時間の二分ほど前だった。
腕時計に目を落とし、時間を確認したが、待っているはずの車はまだ無かった。

やはり、何かの罠かと緊張し、辺りへ鋭い視線を投げる。
公園の庭園灯の灯りが照らし出すのは、黒い木々の影と自分の姿だけだった。
周囲には自分以外の人影はなく、不審な気配もなかったので一応気持ちを落ち着かせた。

再び時計を見る。
定刻だった。
車の走行音がしないか耳をすませた。

しばらくして、公園の角を曲がってくる車のライトが見え、すぐにライトが消えた。アデスの目の前を通り過ぎて五十メートルほどのところで停車した車のナンバーは「RLK031」。
黒い車体に慎重に近づくと、運転席のドアが開いて中から身を乗り出した男の姿が目に入った。
つい先ほどテレビの映像で見た顔がそこにはあった。

「乗ってください。話は中で」

アデスは頷くと、助手席へと座った。それを見届け、ギルバートは車を発進させた。
アデスは、ちらりと目線を運転席へ投げる。
その横顔は、確かに議長本人であった。私服姿にサングラス――おそらく偏光グラスをかけたギルバート・デュランダルは、本人が「個人的に」と言っていた通り、運転手はおろか護衛すらつけず、単身で現れた。
そのことでも十分驚きに値するのだが、彼の口から語られたことは、アデスの鼓動を一瞬止めるほどの内容だった。

「ラウ・ル・クルーゼが生きている―――という噂があります」

「!!」

「あくまでも噂ですが…」

「そ…れは……」

アデスは我知らずつばを飲み込む。心臓が早鐘のように打ち続け、逆流した血が一気に頭に上ったかのような驚愕と歓喜と、その後にやって来た軽い恐怖。


『彼』についての正式な戦死の確認はされていなかった。

ただ、彼の機体が―――プロヴィデンスの機体の一部が確認され、最後に機体が確認された位置が、まさにジェネシスの射線上だったということだけだ。
軍の公式記録では、MIAとされたが、アデスは彼と最後に戦った人物のことを聞き及んでいた。
彼の最期を見届けた者を――――。

自分の心の中では、無理やり整理してきた想いがまたくすぶり始めた。半信半疑、いや、信じたいという気持ちが強くなる。
だが、その反面、戸惑いもあった。


終わったはずの彼の「生」。

見届けられなかった悔しさ。

生き残ってしまった自分。

彼がいないのに、なぜ自分はここにいるのか。


そうした疑問と葛藤にようやく自分なりの答えを出したばかりだったのに、その決意が揺らぎ始めていた。
胃の中に熱い塊があって、その重さと熱さに苦しくなる。
押し黙って唇を噛み締めているアデスを一瞥し、ギルバートは車を郊外へと走らせた。

「そこで、貴方にお願いがあります」

「?」

「旧ザラ派と反ザラ派の者たちが動き始めました。彼らに身柄を拘束される前にあの人を探し出してください。生きているならその消息を、死亡しているのならその事実を知りたい」

(あの人…?)

アデスは、ギルバートの言葉に何かひっかかるものを感じたが、先ほどからの衝撃でそれ以上考える余裕がなかった。

「…それは……どういう…」

「クルーゼ隊長は、ザフトの英雄だ。彼の真意がどうであれ」

「!」

アデスは息を呑む。

(この人は知っている。彼の過去を―――そして、真の望みを)

それは直感だった。

「―――これは、私の個人的な事情ですので、正規軍も情報部も国家保安部も使うわけにはいかなかった。そして、何よりも秘密を守れる人物―――私も含めて他のどんな権力にも屈しない人物でなければならなかった」

「それが私だと?買い被りです」

「いや、これは、貴方でなければならなかった」

「―――なぜ?」

冷やりとした予感があった。なぜか相手の次の言葉が頭に浮かんだ。

「貴方が『彼』を知る者だから」

「――――――― !」

軽い衝撃が走る。




言ってはいけない言葉。

言わせてはいけない言葉。




なぜ、この男からこんな言葉を聞かされなくてはならないのか。

彼のことを『あの人』と言う男。
なぜ、他人の口から彼のことを聞かされなくてはならないのか。
嫉妬―――いや、憎悪にも近い感情が胸の中で荒れ狂う。

(あの戦いで、当事者にすらなり得なかった男が何を言うのか!?彼の戦いを、生きるために…いや死への道程をゆっくりと進んできた彼の壮絶なまでに美しく、悲しい姿を知りもしないくせに!)

彼を滅びへの戦いへと駆り立てた男と同じ権力者になった者が、何を知るというのだろうか。
感情が溢れ出る寸前で、かろうじてアデスに理性が戻る。
そして、理性が警告を出した。

「あなたは…何を言っているのか自覚はおありか!」

アデスは、弾劾するような目を相手に向けた。その視線を受け止めて、ギルバートは怯むでもなく断言する。

「ありますよ」

「プラントの新しい指導者であるあなたが――誰もが絶望したあの戦争が終わって、これから真の平和について考えなければならない立場の人間が、今更、彼に何の用があると言うんです!?」

理由のわからない悔しさで、つい声が大きくなってしまった。ギルバートは、荒い息を吐くアデスを見やり、曖昧な微笑を浮かべた。

「―――今から百九十七時間前、ザフトのメインコンピュータがハッキングを受けた。防御システムが稼動し、ハッキングを防ぐことはできた。その事後調査で、ハッカーが侵入しようとしていたのが、ザフト軍内の戦死者個人データと医療データだったということが分かった」

その後、ハッカーの動きからハッキングの対象となったのは、ラウ・ル・クルーゼの生体情報だったのではないかという推測が成り立ったという。
クルーゼは、生前自分の生体情報をどこにも登録していない。軍人ならば、身分照合のため、また、負傷した際の治療のため、そして、戦死した場合の身元確認のために、医療データと指紋・DNA・網膜データの登録が義務付けられている。
ただし、素顔や素性が謎に包まれていた彼のデータの一切が軍には存在しなかった。あるのは、略歴と褒章歴ぐらいなものだった。それが、特例として認められていた人物だった。
もちろん、一介の軍人の権限でできるわけがない。実際に指示をしたのは、当時の国防委員長だったということは想像に難くない。

「それは、別に本人でなくても可能でしょう?本人なら尚更ハッキングする必要はないはずだ」

「いや、被害はそれだけではなかった」

「これは公表されていませんが――ザラ議長の死後、彼と彼の部下が持っていた情報やデータについては、暫定評議会が没収した。特にザラ議長個人の所有していたパソコンは、今、私が管理している。その中にどうしても開かないデータがあった。開くためにはパスワードが必要―――ザラ本人かラウ・ル・クルーゼの生体データがね」

アデスが息を呑む。その気配を感じたギルバートは尚も続けた。

「そのデータが消去された。それが百九十一時間前の話だ。ザラ本人の死亡は確認されている。だが…クルーゼの生死は『不明』だ。ならば―――可能性は否定できないでしょう?」

「だが、そう判断するのは早計に過ぎるのではないですか」

早鐘のように打つ己の心臓の音を聞きながら、アデスはまるで自分に言い聞かせるかのように運転席の男に言った。

男の口元に皮肉げな微笑が浮かぶ。

「―――貴方の言い分を聞いていると、まるで彼が生きていない方がいいように聞こえるが?」

アデスは拳を握りしめた。奥歯がきしむ音をたてる。

「……あなたに―――あなたに何がわかると言うのですか。彼の何を知っていると!?」

唸るような声を上げ、ギルバートの横顔を睨み付けた。

「もし、本当に彼が生きていて、探し出して……そして、どうするつもりなのですか!?これ以上、あの人に――あの人に何を求めるというのだ!」

最後のほうは、悲痛な叫びとなっていた。



車は未開発地区に入っていて、辺りは住宅も無く、ただ、草原が広がっていた。
暗闇の中、道路に等間隔に並ぶ街路灯だけが、存在を主張していた。

ギルバートは、無言のまま路肩に車を止めた。
まっすぐと前方の闇を見据え、ゆっくりと瞼を閉じる。

しばらくして再び目を開くと助手席に顔を向けた。

アデスは相手の真摯な眼差しに気圧された。





「私も―――信じたいのだ」





息を呑むアデス。呆然と目の前の男を見つめる。

プラントの若き指導者と、クルーゼの間に何があったのか。
それを思いやるには、失われた時間と取り返すことのできない想いの行方が、アデスに重くのしかかっていた。







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