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ザフトの本部があるディセンベル市内には、軍の官舎が数多くある。
その内、上級士官用の独身者官舎にクルーゼは部屋を持っていた。
このまま本部の仮眠室で夜明かししても良かったが、破れた制服の着替えも必要ということもあり、一旦部屋に戻ることにした。
これは、アデスが今夜は大事を取って、自宅で休んだ方が良いと何度も上官に進言した成果だった。

「本部への出頭命令は明日0900時です。次の任務についての正式な命令と、人事通達があります。明朝7時、お迎えにあがります」

クルーゼを官舎へ送ったアデスが、彼の部屋へと続く廊下を歩きながら明日の予定を確認して上官に告げる。
腕を負傷したクルーゼに代わり、彼の荷物を部屋まで届けて、玄関口で辞去しようとした時だった。

「このまま帰る気か?」

扉を開けるアデスの手が止まった。

「え?」

その意味を図りかねて、アデスが聞き返すよりも早く、クルーゼがアデスの唇を奪っていた。

アデスは驚いたものの、突き放したりしなかった。
唇が離れた時にどこか痛みを堪えるような顔をした。

「…いいんですか?図に乗りますよ。私は単純な男ですから」

「ふ、単純な男なら、何も言わず乗せられろ」

クルーゼはそう言って、自ら仮面をはずす。
髪をかき上げ、頭を軽く振ると、金糸が舞う。

アデスは、現れたクルーゼの素顔に一瞬目を細めたが、何も言わずクルーゼの頬に手を伸ばす。
親指の腹で頬から瞼を撫で、人差し指で彼の唇に触れる。
クルーゼはアデスの指先を舌先で舐め、甘噛した。

その姿に理性保っていられる者などいないだろう。

アデスは、クルーゼの腰を片手で抱き寄せ、深く口付けた。
舌が絡むような湿った音と、荒くなる息遣いが聞こえる。
角度を変えながらの長い口付け。
アデスの頭を掻き抱くように伸ばされたクルーゼの手が軍帽に触れる。そのまま手にとると帽子をはずし床に落とした。
アデスは気にも止めず、耳元から首筋をたどるように口付けを繰り返す。
クルーゼの制服の襟元に手をかけると、その手にクルーゼの手が重ねられた。
その先の行為を止めるかのように。

「アデス。シャワーを浴び時間くらいあるだろう?」

「……失礼しました」

幼子を宥めるような声音にアデスは、我に返った。
いくらなんでも部屋の中とはいえ、玄関口で性急にコトに及ぶわけにもいかない。

「何もないが、適当にくつろいでいてくれ」

「はい。お言葉に甘えさせていただきます」

「ふふ…そう畏まることはない」

そう言って、バスルームに向かおうとしたクルーゼをアデスは呼び止めた。

「あ、隊長」

「なんだ?」

「傷を濡らさないように気をつけてください。後で消毒し直しますから」

「ん…わかった」

こんな時でも自分の怪我を気遣う男につい笑みがこぼれた。
驚くほど無防備に笑うクルーゼに、なぜか焦るアデス。
慌てて目をそらし、部屋の中を見渡す。本人が言った通り本当に何もなかった。
家具や調度品は、官舎にもとから設置されていたものだけ。留守にしていたということもあるが、およそ生活感のない部屋だった。

アデスは、こんなときに…とも思う。
明日からは新たな任務がある。一時の情に流されて、関係を持つことが果たして、今後どのような結果をもたらすのか。
お互いに恋愛感情があるわけではない。それだけは、はっきりしていた。
アデスは自惚れもしなかったし、甘い関係を期待しているわけでもなかった。

彼の囁くような甘い響きが耳に残っている。
触れた唇の熱さと、柔らかさ。
抱きしめたときの細い肢体を思い出し、我知らず口元を手で触れる。
自分を見つめる青い瞳。
あの誘惑に勝てる者などいるのだろうか。
だからこそ、彼は自分を煽ったのだ。

(ひどい人だ・・・あなたは。私が拒めないことを知っている)

この行為の裏にある本当の意味に気づかないほどアデスは愚鈍でもなかった。




シャワーを浴びたクルーゼが、バスローブをまとって出てきた。
アデスは室内に備え付けてある救急箱から消毒薬を取り出し、クルーゼの腕の傷を手当てする。

「傷・・・そんなに酷くなさそうで安心しました。でも、そのまま放っておくと完治が遅れますから、艦内でも軍医に毎日手当てしてもらってください」

「お前がやってくれればいい」

「・・・こういうことは、プロの方が良いと思いますが」

「失態は、あまり他人に知られたくないな」

「これが失態のうちに入ったら、軍から人がいなくなりますよ」

アデスは、笑いながら患部に当てられていたガーゼを取り替えると、保護シートを貼った。

「秘密を知るのは少ない方がいいだろう?」

治療されている腕に視線を落としながら、さりげなく言ったその言葉にアデスの手が止まった。

(秘密・・・)

クルーゼの口からさらっと出たそれは、言葉ほど軽いものではないはずだった。

「わかりました。自分がやらせていただきます」

「―――助かる」

救急箱に消毒薬や保護シートの残りをしまって、アデスが顔を上げる。

「はい、終わりです」

手当ての間中、アデスの手を眺めていたクルーゼの髪は、まだ濡れていて、毛先から雫が落ちる。

「風邪をひきますよ」

苦笑してタオルでクルーゼの髪を拭いてやる。
大人しくアデスの手に任せたクルーゼもまた、苦笑する。

「まるで子供だな…私は」

アデスが手櫛で髪を梳くたびに、クルーゼは気持ちよさそうな顔をする。
二人の間には穏やかな空気があった。
まるで、旧知の間柄であるような、そうした自然な沈黙が心地よかった。

ほんの数時間まで、アデスには、今ここでこうしてクルーゼと共にいる時間があるなど、想像できなかったことだ。

なぜ自分だったのか。
アデスは自問する。

おそらく契機となったのが、シャフトの爆破事件で、彼の素顔を自分が見てしまったことだ。
それほどに、守らねばならない「秘密」だったのだ。彼の素顔は・・・・・・。

髪を拭く手を動かしながらアデスが唐突に口を開く。

「―――なぜ私を?」

その言葉にクルーゼが纏う雰囲気が一変した。

「理由が必要か?」

冷たい声音にアデスはどきりとした。

平気で他人を試すようなことをし、多くの秘め事を抱える男。
到底、自分の信を置けるような人物ではなかったはずだ。
クルーゼの、すべて計算し尽くされたかのような駆け引きの中に、本音のような言葉が混ざることがあるのに気づいたのはいつからだっただろうか。
彼の行動のすべてが、偽りの仮面に隠されているようなら、こんなに惹かれることもなかった。
だが、時に彼の素顔のようなものが覗くときがあった。
アデスは、それに気づいてしまったのだ。

あの時―――白い花霞の向こうに佇む人影は、アデスの心を揺さぶったのだ。

冷静沈着、時には冷徹とも呼ばれる指揮官の横顔に垣間見える素顔。
「上官」という言葉で割り切れれば楽だったのだろうが、クルーゼという一個人に興味を持ってしまった。

手が止まってしまったアデスに、誘うようにクルーゼは唇を寄せる。
アデスをみつめる瞳は、情に浮かされたようなものではなく、冷めたものだった。

慣れた媚態。
そして、冷たい瞳。

その瞳は、アデスの心に影を落とした。

(ああ……これは口止めなのか)

そう考えると、すべての行為に納得できた。
素顔を見てしまった自分への、身体を使った戒め。
一度関係を持ってしまえば、突き放すことなどできない。
短期間の付き合いではあるが、クルーゼはある意味、アデスの性格を本人以上に見抜いていた。
確かに、アデスは情を交わした相手を裏切ることなどできる男ではない。融通が利かないと他人に言われるが、裏を返せば実直で、正直だと言うことだ。
それは、信頼に値する個人の資質ではないだろうか。

人知れず何かを成そうとしている者が、味方に引き入れたいと望む人物―――それが、アデスのような者だった。

アデスは、自分の考えがあながち外れていないことに気づいてしまった。
自分の推測に胸が微かに痛む。
気のせいだと言ってしまえば、そう思い込むこともできた。
だが、おそらくこれが真実―――。

(私は何に傷ついているのだ?これではまるで―――)

自嘲気味に口元を歪めた。

誰かの信頼を得たいと思う。
自分の誠意を見せたからといって、相手も誠意で返してくれるとは限らない。
それでも、求めてしまう。
相手の信頼を勝ち得たいと思ってしまう。

(求めるだけでは駄目なのだ。与えることから始めなければ)

その想いは、「恋」にも似ている。
相手の信頼を得たいならば、まず、こちらが信頼し、誠意を見せなければならない。
ある意味駆け引きだ。

「あなたは……何が欲しいんですか?」
アデスは苦いものを噛み締めた。
はぐらかされるだろうとは思ったが、それでも問わずにはいられなかった。

クルーゼは、アデスの黒い制服を握りしめた。
どちらも視線をはずそうとしない。
まっすぐにお互いを見つめる。

クルーゼの冷たい瞳にふと火がともる。
何かを決意したようなクルーゼの眼差し。
冷めた瞳などではない。その奥に滾るなにかを隠そうとした瞳だった。

そして、はっきりと言葉を紡いだ。



「お前だ」



その一言が、今後のアデスの進む道を決めた。









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