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休暇
ザフトの士官学校は明日から長期休暇に入る。
その前日、ザフトの士官学生寮の一室に電話の着信音が響いた。
レイ・ザ・バレルは、その電話を寄宿舎の自室で取った。幸いなことに同室の学生はまだ戻ってきていない。
モニターを通しての会話。
久しぶりに聞くその人の声。そして、その笑顔に胸が疼いた。
自然と笑みが零れる。
だが、それも相手の用件を聞くうちにレイの表情は硬くなっていった。
「休暇……ですか?」
『ああ。戻ってくるのだろう?』
ザフト士官学校の寄宿舎にかかってきた個人宛の電話は、寮監の取次ぎを経て個人に繋がる。電話を取り次いでもらえるのは、家族または寮監が認めた場合のみだった。
レイの保護者を名乗る人物からの電話は、すぐに本人に取り次がれた。
訓練内容により休校日は不定期で、家族との休みが同一になることが少ない。唯一、クリスマスから新年にかけての休みと、プラントの建国記念日、士官学校の創立記念日の前後と夏の長期休暇が世間と同じ休暇となる。
長期の休暇ともなれば、久しぶりに実家へ帰って家族とゆっくり過ごすことができる。
大抵の者が帰省するのが常だった。
当然のように戻ってくものだと思っている保護者の言葉に、レイは一瞬躊躇った後、消え入るような返事をした。
「…はい」
レイの表情をじっと見つめていた相手は、口元に苦笑を浮かべて問い掛けた。
『――レイ。まさかずっと寄宿舎にいるつもりだったのかな?』
「いえ…その……。でも、ご迷惑では…」
『レイ。何度も言うがね、何を遠慮しているんだい?君は』
「……」
『私が君と一緒にいたいのだ。たまの休みだ。付き合ってくれないか?』
誰をも魅了する微笑で、プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルが微笑みかける。ニュースや映像で民衆が目にする議長の穏やかな笑みよりも、さらに深みと慈愛に満ちた微笑だった。
『それとも友達と先約があったか?』
「いえ!―――そのようなことは…」
慌てて否定し、俯くレイの姿に会心の笑みを刷き、ギルバートが優しく囁く。
『ならば、帰っておいで』
――――その声に抗えるはずもなく。
◇ ◇ ◇
プラント最高評議会議長の執務室。
部屋の主は、電話の相手に約束を取り付けると満足そうな微笑を浮かべ、モニターをオフにする。
「失礼します」
議長の決裁を求めるべく、稟議書を携えた政務官が入室してきた。ギルバートの側近たちだ。
差し出された書類に目を通し、その内のいくつかに決裁の署名をし、残りは気になる箇所を指摘し、保留にしておく。
決裁の終わった文書を持って政務官が一人また一人と退出していく。最後に残った者が、今後の議長のスケジュール確認をした。
「この後、国防委員長との会談があります。場所はこちらで。
16時から経済連の副会長が新任のご挨拶にみえられます」
側近の一人、議長の腹心とも言えるエヴァンスが、議長の予定を読み上げた。
「委員長との会談だが、資料は揃っているのか」
「今回は、あちらからの提案の事前協議ですので、既に我々が目を通してあります。今後の調整についての打ち合わせですから、議長は委員会からの説明を聞いていただくだけで結構です」
「いよいよか…。軍備の拡充―――国防委員会の要求は最終的にはそこか。
財政担当官にも同席するよう伝えてくれ」
「わかりました」
「ああ、それと、委員会の方で試算を出してくると思うが、財政担当に一から確認させてくれ」
「それについては、対応済みです。不明確な箇所については、事務担当者レベルで協議と調整をさせていただきます。ご報告はその後に」
「頼む」
書類を手に踵を返そうとしたエヴァンスが何かを思い出したように立ち止まった。
「―――議長」
「ん?」
「次の休暇についてですが、護衛の手配をさせていただきますのでご了承ください」
その言葉にギルバートがため息混じりに上目遣いで側近を見やる。
「―――やはり、つけなくては駄目かね?」
その視線にも態度を崩さず、エヴァンスは一つ咳払いして口を開いた。
「当然です。議長は24時間公人でいらしゃいます。―――とはいえ、プライベートのお邪魔にならないよう、お連れ様の視界に入らぬよう心がけますので」
「それは…無理だと思うが……。君たち軍属の気配には敏感なのでな」
「!」
笑いを噛み殺したような言葉にエヴァンスが反応した。
「失礼ですが―――ひょっとして……"彼"…ですか?」
「ああ。―――護衛はいらないだろう?」
にやりと口元を緩めるギルバートに、片眉を少しあげ、エヴァンスがため息をつく。
「いえ……やはり付けさせていただきます。彼の能力は十分承知しておりますが―――不測の事態に備えるためにも。―――大戦から1年、ザラ元議長の思想を掲げる兵もまだ多いのです」
厳しい表情で告げる側近にギルバートは諦めたかのように目線を落とした。
「……仕方ない。君らの仕事にあれこれ言うつもりはないが、できるだけ気配を殺せる人間を選んでくれ」
「承知いたしました」
「ああ、エヴァンス」
退出しようとする部下の背中に声を掛けた。
「はい」
「君たちも、たまには休暇をとったほうがいい。ずっと休暇返上で働いてもらったしな。体調にだけは気をつけてくれ。君たちがいなくなると正直痛手だ」
「ありがとうございます」
エヴァンスが口元を緩める。
ギルバートには見慣れた笑みだったが、他の側近が見たらさぞ、驚いたことだろう。
普段笑わないことで有名な男がにこりと微笑んだからだ。
◇ ◇ ◇
休暇中の議長には、護衛がつくのはいつものことだ。もちらん議長も了承済みのことだった。
ただ、議長の公休がザフトの士官学校の休暇に合わせて、設定されていることを知るのは、議長の側近たちの中でもエヴァンスを含めた数人だけだった。
ブリーフィングルームには、今度の議長の公休に警護につく護衛兵たちが揃っていた。
議長の秘書官的立場にある側近と護衛隊の班長から簡単な説明を受けるためだ。
「―――以上。くれぐれも議長の同伴者に気づかれないよう、護衛に際しては今まで以上に細心の注意を払うように」
班長からの説明に兵の一人が挙手した。
「同伴者に気づかれないよう……ですか?議長はご存知だとしても、一体どういう…」
議長を狙う輩に気づかれないようにというのなら話は分かるが、同伴者にとはどういうことだろうか。素人に察知されるような警護をする護衛など役に立たない。
そんな心配は無用なのではないかと、若い護衛兵が怪訝な顔をした。
「ああ、お前は議長の公休に警護するのは初めてか。うーん、まあ…無理もないか」
議長の護衛歴が最も長い警護班長が、顎に手を当てて唸った。
「は?…え?どういうことですか?何かあるんですか?」
「ま、上には上がいるという教訓だ」
「はあ!?」
さっぱり事情がわからず首を捻る若い護衛を尻目に、エヴァンスが議長の行動スケジュール予定表を班長に手渡す。
「班長、よろしくお願いします。"彼"のことも含めて」
「…了解しました」
幾分声をひそめたやり取りを古参の護衛兵たちが見守る。
「ま、ある意味、これ以上ないくらい心強いんですがね…」
苦笑した警護班長の敬礼に、エヴァンスも返礼した。
◇ ◇ ◇
明日から2週間、士官学校は長期休暇に入る。
学生達は皆、帰省の支度に忙しい様子で、あちこちで休暇中の予定などを話している。
午後の講義が終ると、レイは帰省の支度をするためまっすぐ自室へ戻った。
部屋へ入ると、この部屋のもう一人の主がベッド上に仰向けに寝転がっていた。眠っているわけではなく、ただじっと天井の一点を見ていた。
「……帰ってきていたのか」
レイは、同居人を一瞥すると自分の机の上にテキストとノートパソコンを置く。帰省先にパソコンを持ち帰るため、棚の上に手を伸ばしケースを取る。
「帰省するんだろ?」
唐突にレイの背中に投げかけられた声。それは、問い掛けというよりも呟きに近い。
「ああ…」
ため息にも似た吐息で答えるレイに、同室のシン・アスカは少し怪訝な顔をした。
同期の連中は皆、久しぶりの帰省に嬉しそうな顔をして、家族のもとに帰って行った。
「久しぶりに家族に会えるんだろう?早く帰ってやれよ。待ってるんだろ」
ベッドに寝転がったままシンが口を開く。その声は、どこかそっけなく、不自然に聞こえる。わざと平静を装っているかのようだ。
シンは生まれ故郷のオーブで家族を失った。その時亡くした妹の携帯を今でも大切に持っている。
『寂しい』という言葉を彼の口から聞いたことはない。
ただ、時折、何かを懐かしそうに、苦しそうに見つめる眼差しが、レイには気になっていた。
レイは、私物をいくつかブリーフケースに詰め込む。その手を休めずに告げた。
「いや、家族―――というわけではない」
「え――――そうなのか」
ベッドの上で身体を起こしたシンが戸惑うような声を出す。
「家族はいないからな…」
その言葉にシンは息を呑んだ。しばらくじっと何かを堪えるようにして、ベッドに腰掛けたまま呟く。
「………ごめん」
消え入るようなその声にレイが振り向く。
「なぜ、お前が謝る?」
「…ごめん」
膝の上で手を組んだまま俯くシン。ぎゅっと握り締められた手に視線を落とし、レイは、シンの肩に手をかけた。
シンが顔を上げる。
「なにか土産でも買ってくる」
そう言ってレイは、ふ…と微かに笑みを洩らす。
普段、笑ったところなど見たこともないレイの微笑み。
シンは陶然と見惚れてしまった。
◇ ◇ ◇
士官学校の中でも成績優秀者のみが着用を許された赤い制服。
その上にグレーのコートを身にまとい、ブリーフケースを手にしたレイが議長公邸の門前に立つ。
護衛兵がレイに視線を投げる。だが、その顔を認めるとすぐに周囲の警戒へと視線を戻した。セキュリティに身分証を提示し、名乗ると門のロックが解除された。
「お帰りなさいませ」
「議長閣下は?」
玄関で出迎えてくれたデュランダル家の執事にケースとコートを手渡す。もともと、ギルバートの実家に勤めていた執事は、彼が議長に就任してからは公邸に移り、ギルバートの身の回りの世話をしていた。ギルバートを幼少の頃からよく知っている人物でもある。
「書斎においでです。レイ様のお帰りをずいぶんお待ちでしたよ」
「ありがとう」
執事はその足でレイを書斎に案内する。
久しぶりに訪れた議長公邸。執事に「おかえり」と言われてもどこかしっくりと来ない。帰ってきたという印象をこの屋敷に持つことはできなかったからだ。
ただ、自分が帰る場所はこの屋敷ではなく、彼がいる場所という気持ちが強いからだろうか。
いつからだろうか。自分の居場所は彼の傍だと認識したのは。
『―――いてもいいのですか?ここに』
かつて、その問いに肯定で答えてくれた人。
その人の言葉に自分は生まれ変わった。
自分の生きる理由と、目的を与えてくれた人。
彼の眼差しは優しい。だが、時折感じる漠然とした不安。
自分の存在が根底から覆されそうな―――。
『信じる』ということの難しさ。それを改めて思い知らされる。
だが、自分は『信じる』ことを誓ったのだ。自分に。
執事の後について廊下を歩きながらそんなことを考えていたレイは、執事が書斎のドアをノックする音で我に返った。
「ギルバート様。レイ様がお着きになられました」
執事の手によって開けられた扉からギルバートの返事が聞こえる。モニター越しの声ではなく、直に響く声音。
執事に促されるように扉の内側に入ると、レイの後ろで執事は一礼し、静かに扉を閉めた。
「おかえり」
室内に佇む長身。その人物がやさしく微笑む。
その微笑を一目見ただけで、レイの不安は消え去った。
「ただいま戻りました」
花がほころぶようにレイが微笑する。その笑顔をまぶしそうに見やってギルバートがレイに手を伸ばす。
「おいで。よく顔を見せてくれ」
ギルバートの言葉に、レイは彼のもとへゆっくりと歩み寄り、伸ばされた手が届く場所まできて立ち止まる。
ギルバートの指がレイの金髪を梳くように絡められた。
その指が頬を撫で、掌で頬を包み込む。触れられた手の温かさが心地よくて、レイがくすぐったいといううような仕草で自分の頬をギルバートの掌に摺り寄せる。
その仕草に目を細めて、ギルバートは細い身体を抱き寄せた。
互いのぬくもりが伝わる。
「…議長っ」
抱きしめられて、とっさに洩れた言葉にギルバートが苦笑する。
「その癖…まだ抜けないか」
耳元で囁く。
唇が耳に触れるほどに寄せられて、ギルバートの吐息を感じる。
恥じらいと、震えるような喜びにレイは戸惑った。
こんな感情を自分は知らない。
「……ギルっ」
「いい子だ」
抱き締めていた腕を緩めると、レイの額に口付けを落とす。
ギルバートは、身体を離し、レイの肩に手を置いて微笑んだ。
「会えて嬉しいよ。学校での様子はどうだい?」
熱が遠ざかる。
それを物足りなく思ってしまうのは、自分の甘えだろうかとレイは自問する。
「レイ?」
「あ…いえ。特に問題なく……」
その言葉にギルバートはクスリと忍び笑いを洩らす。
「友達はできたかい?君の仲間達について聞きたいな」
「仲間……?」
その単語を繰り返す。しばらく頭の中で反芻して、ようやくその意味を理解する。
「そうですね…皆、熱心です。MSでの戦闘シミュレーションが学生達の間では人気の課程のようです。いつも受講生が多い」
「そうか」
そういう意味ではないのだが…と思いつつも、ギルバートは声に出さず、苦笑する。
自分の養い子はどうも人付き合いが苦手らしい。人付き合いというより、同年代の子ども達とどう触れ合ってよいのか分からないといった風情だ。
『仲間』という単語に慣れていない様子でそう感じた。質問を変えてみる。
「では、君が気になる人が誰かいるかい?」
「気になる……?」
これにも数秒考えた後、何か思いついたように口が微かに開いてすぐに閉じた。
「―――同期に…見ていて危なっかしい奴はいます」
その答えにも躊躇いが感じられた。だが、明らかに今までとは違う声の雰囲気。それにギルバートは興味を引かれた。
「どんな風に?」
「どんな……」
困ったように首を少しだけ傾げるレイ。
「―――上手く言えませんが、ないものを欲しがろうとする子どものような――いえ、いつも何かを求めて泣いている……」
(欲しいものが何か分かっているのに、手に入らない苛立ちをいつも抱えている?……それとも、手に入らないことが分かっているからなのか……)
レイの言葉は途中で途切れた。
そのまま考え込んでしまった。自分の言葉に迷いを感じながら答えを見つけようとしているようだ。
「すみません。よく――分からないのですが…時々、手を貸してやりたくなります。彼はそんなこと望んでいないのかもしれませんが……」
レイを見つめるルバートの眼差しは、ただ優しい。
「レイは、その彼のことが好きなのだな」
「好き?」
「違うのかい?」
「……嫌いではありませんが………」
レイは戸惑う。『好き』という言葉の意味を自分はまだ理解していない。
ただ、男が軽々しく使う言葉ではないと思っていただけに、それをギルバートが突然口にしたことに驚いた。
「君が誰かに対して興味を抱くことが嬉しいよ」
目元を緩ませ、穏やかな笑みを浮かべるギルバート。
(興味?…ああ、その程度でも『好き』という言葉を使うのか)
レイはただ漠然とそう思った。
同時に、目の前の男に抱くこの想いを何と言うのだろうか。ふとそんなことを考えた。
「ギルは―――」
「ん?」
無意識のうちに名を呼ぶ。
自分は何を聞こうとしたのだろう。レイは、己の気持ちをもどかしく思った。
この想いの名前を目の前の男が知っていると気づいていたが、それを口にするのは躊躇われた。
「……いえ、なんでもありません」
迷いがレイの瞳を揺らす。
「レイ。言いかけて止めるのはマナー違反だな」
「すみません…本当に―――なんでもないんです」
「君がそう言うのなら」
少し困ったような表情でギルバートが話を切り上げた。
レイの背に手を回し、そのままソファに促す。
「……すみません」
消え入るような言葉の先で微笑む男の眼差しに潜む憂いの色。
その眼差しにレイは気づくことはなかった。
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