| 3.赤 空港は、出入国の人々で混雑していた。 ブリタニアの首都に最も近い国際空港ということもあって、観光やビジネス目的の外国人の数も多い。 そうした一般客が使用するロビーと、貴族達の専用ロビーは別に設けられており、更に別棟には政府専用ロビーがあった。 ここは、軍の空港とは違うので、いかめしい軍人達の姿はないが、空港管理局の警備員の姿があちこちで見かけられた。中には、犬を連れた空港警備隊員の姿もある。おそらく麻薬発見犬だろう。どれくらいの精度があるのかわからないが、こうした巡回は毎日のように行われているらしい。 その一般旅客到着ロビーにロイドはいた。 いつもの白衣姿ではない。一応、略装ではあるが、自分の身分に合ったものを身につけていた。と、いうよりも、いつもの格好で家を出ようとしたら無理矢理着替えさせられたのだが――――。 なにはともあれ、ロイドは暇をもてあましながら待ち人の到着を待っていたのだった。 「あれぇ、忘れ物かな?」 濡れた手をハンカチで拭きながら、ふと、トイレの鏡の前に置かれた書類封筒に気付いた。 商社マンがよく持っているあれだ。大事な書類でも入っていたら、今頃大慌てだろう。 まあ、こんなところに封筒を剥き出しで忘れるくらいだから、大した物は入っていないのかも知れない。 とりあえず、空港の係員にでも届けようかと思った矢先だった。 一人のアジア系の男性が駆け込んできて、辺りをきょろきょろと見渡す。 着崩れたコートとずり落ちそうな眼鏡、息が上がった様子からよほど慌てているらしいことがわかる。 「あの〜、ひょっとして探しものですかぁ?」 書類封筒を指差して声を掛けた。 「あっ! ああ! よかった〜」 安堵した様子で駆け寄ってきた男は、ロイドに何度も頭を下げて、礼を言う。 「ありがとうございます! ああ、これがなかったら、大変なことになるところでした」 「いやぁ、別に僕は何にもしてませんしぃ」 別にロイドが落とし物を届けたわけでもないのに、やたらと感謝されて、どうにも居心地が悪いが、大喜びの相手は気付く様子もない。 「ご親切にどうもありがとうございます!」 「いえいえ〜どういたしまして」 大事そうに封筒を胸に抱え、頭を下げる男につられて、ついヘラリと笑い返してしまう。 「何か、御礼を……あ、そうだ! よかったらこれを」 「?」 赤いガラスの小瓶を手渡された。ガラスは多面カットが施されており、随分と高価そうだ。 「仕事でこういうのを作って売っているんですよ」 「何ですぅ?」 「香水です。私、調香師なんです。この国に私のつくった香水を売り込みに来てまして……紹介状を入れておいたこの封筒をどこかに置き忘れていたことに気付いて大慌ててあちこち探しまわって……。ああ、見つかって本当によかった……」 「ああ、お鼻がいいんですねぇ」 妙な感心の仕方をするロイドに男は人なつっこい笑みを浮かべた。 「商売柄、確かに他の人よりは鼻が利くかな」 男は、あはは、と声を立てて笑う。 「でも、僕、香水って使いませんし」 「そうですか、でも、貴方、随分いい香りがするから……ああ、恋人さんの移り香かな」 「あはぁ、そんな色っぽい相手がいればいいんですけどねぇ」 「よかったら、その方にあげてください。大事な書類を拾ってくださった、せめてもの御礼ということで」 いないというのに、恋人が居ると決めつけられて、ロイドは内心溜息をつきたい気分だった。 普通の人間の反応はこんなものかなと諦めつつも、今はここにいない人物を恨めしく思う。 自分では気付かなかったが、彼の香りがするのだろうか。 (まったくもう……だから、香水やめてって言ったのに) 素人に分からなくても、調香師という特殊な業界の人には分かるのかも知れない。 知らない人からもらった液体を直接肌につけるには少し抵抗があったが、ぜひにと言われて、「まあ、いいか」とすぐに考え直した。 (いらないし、怪しいから、あの人にでもあげちゃおう) ロイドは無責任なことを考えて、「じゃ、ありがたく」と受け取った。 「それでは、貴方もよい旅を!」 差し出された手を握り返した時に、エキゾチックな香りがほのかに薫る。 その瞬間、奇妙な既視感を覚えたが、それが何なのか分からず、ロイドは内心首を傾げた。 握手をして、にっこりと微笑んで去っていった男の背が見えなくなると、ロイドは興味なさそうに小瓶を眺め、無造作にポケットに突っ込んだ。 そして、それきり、その小瓶のことは忘れてしまった。 ロイドは、到着ロビーに戻り、待ち人の姿を探した。 程なくして見つかった白髪まじりの中背の男性は、すぐにロイドに気付き、妙に気の抜けた表情になった。世の中では、それを脱力とも言うらしい。 「あは〜、ハイマン先生、お元気そうで何よりです」 「……君は……なんと言うか……相変わらずだな。珍しく、まともな格好をしているが……」 脱力しかかった頬の筋肉を引き締め、厳めしい表情になった初老の男性は、ロイドの恩師でもあった。 不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、その態度の割に眼は笑っている。ロイド・アスプルンドという人間を長年見てきた人物ならではのものだ。 「久しぶりの本国はいかがです?」 「ああ、やはり馴染んだ空気は気持ちがいい。だが、向こうと気温差が二十度もあると身体がおかしくなりそうだ」 東南アジアの大学へ赴任していたハイマン教授は帰国に際し、出迎えにロイドを指名した。 なぜ、ロイドが素直に言いつけに従ったかといえば、数々の校則違反を見逃してもらう代わりに、昔、教授と約束したからだ。 『今後、三回まで教授の言うことをきくこと』 いわゆる出世払いに近い。 金銭や社会的地位を要求しない恩師は、一見、おっかない顔の割に実に理性的な好人物だった。 放校寸前で取りなしてもらったその恩師の言葉に今のロイドが逆らえるはずもない。 「それで、どうなんだ。ちゃんとやっているのか?」 「ちゃんと……って?」 「特別派遣嚮導技術部のことだ。もう、噂になっとるぞ」 「へえ、どんな噂ですかぁ」 「第二皇子殿下の肝入りだそうじゃないか。ナイトメア開発にかなりの予算額を割くとか……民間企業の技術供与を断って、無名の科学者を責任者に抜擢した――と」 「…………」 「君もそろそろ身辺に気をつけたまえ。 この噂を私が耳にしているくらいだから、ナイトメア産業の世界では、皆、情報収集に躍起になっとるぞ」 「じゃあ、先生の今回の帰国も――?」 「まあな。どんなツテでもいいから、繋ぎをつけたい輩は多いらしいな」 苦々しく笑いながら「目の前に札束を積まれたよ」と肩をすくめた。 「思い切り叩き返してやったがね。 だから、君の周囲も、君が思っている以上に賑やかなはずだぞ」 「はぁい。肝に銘じます〜」 ロイドにしては殊勝な言葉だが、相変わらず気が抜けた返事だった。 教授は呆れたように眉を下げて、「ま、がんばれよ」とロイドの背中を思い切り叩く。 強い力で叩かれて、ロイドは噎せてしまった。 「そういえば、今日はやけに警備員の姿が多いな」 辺りを見回した教授が呟く。 「ああ、なんだか、国際会議だったか、外相会談だったかがあるとかないとか……」 「―――どっちなんだね?」 溜息混じりに恩師が突っ込む。 「あはぁ、どっちでもいいです〜」 「君は、相変わらずだな……。もう学生ではないのだから、シャンとしたまえ、シャンと! せっかくシュナイゼル殿下のお声掛かりで、新部門の立ち上げに参加できたのだから、ビシッとしたまえ! もう、部下もいるのだろう!?」 学生時代の指導教授の口癖は相変わらず変わっていない。 そのことに、ロイドはつい、にんまりする。 その顔をまたも教授に見咎められ、ロイドは、すれ違う人達の視線を浴びながら何年ぶりかのお説教を受けたのだった。 next |