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1.青




神聖ブリタニア帝国は、今なお領土の拡大を続けている世界最大の国家である。

現在では、属領となった国の数は十一を数え、その統治を任されているのは、皇帝の実の子供達である皇子や皇女だ。皇子や皇女達にとって、属領で総督として政治や経済、軍事などを統括することは、国家を動かすために必要なことを学ぶ貴重な機会だ――――といえば聞こえはいいが、そこで統治者としての力量を試されているというのが実情だ。
能力を認められれば、いずれ本国に戻って、帝国の実権を握ることも可能だが、そのためには実の兄弟達と争わなければならないという宿命も背負っていた。
そうした皇位継承にかかわる様々な競争は幼い頃から始まっており、本人の与り知らぬところにまで波及していた。
各后妃の実家や、皇子・皇女の将来性を見込んだ有力貴族などが後見となり、貴族同士の水面下の争いにまで発展することもある。
血生臭い政争は、時に血を欲した。

ブリタニアの歴史とは、暗殺や謀殺の繰り返しでもあった。









特別派遣嚮導技術部―――通称「特派」の本国での扱いは、微妙だった。
どう微妙かと言えば、軍属でありながら、正規軍の指揮下にないという点だろう。特派は事実上、宰相であり、第二皇子であるシュナイゼルの直属部隊だった。
その特派の責任者は、少佐相当官の扱いを受けてはいるが、軍人というより生粋の研究者肌の人物で、自由奔放で非常識な性格と、偏執的な研究者としての特性が災いしてか、『変人』とあだ名されていた。
皇族を前にしても、萎縮することなく、自分流のスタイルを通すロイド・アスプルンド少佐。伯爵位を持ちながら、一介の研究者としての人生を歩んでいる。
一介というのは語弊があるかもしれない。なぜなら、皇族の中でも尤も有能とされる帝国宰相のお気に入りだからだ。


宰相府は、外交や内政を司る宰相シュナイゼルが政務を行うための政庁で、ブリタニアに君臨する皇帝の居城をである宮廷除けば、ここが政治の中枢と言っても過言ではなかった。
代々の宰相が帝国の歴史をつくってきた格式高い執務室にいるのは、この部屋に最も相応しい現在の主と、最も相応しくない『変人』だった。

「こ〜見えても僕、忙しいんですよぉ。あまり頻繁に呼び出さないでください」

口をとがらせた少佐相当官にシュナイゼルが苦笑する。

「でも、私が前にそちらへ行ったら迷惑だって言ったじゃないか。これでも気を遣ったのに、ひどいな」

「そりゃ、そうですよ。あなたが来たら、仕事になりませんてば」

「そんなことより、君に頼まれていた例の物、提供可能だそうだよ。先ほどエリア11から連絡が入った」

「あは! ありがとうございます〜v さすが、兄君! 話が早くて助かりまぁす」

「クロヴィスもあちらでは手を焼いているようだ」

「対中華連邦の橋頭堡で、極東の重要拠点ですからねぇ。いろいろ噂は聞きますけど、あの国の国民性もありますしね。一筋縄じゃいかないんじゃないですかぁ?」

「適合者の人選はすべて任せるとは言ったけど、名誉ブリタニア人まで範囲を広げるとは、よほど君のお眼鏡に適う人物がいないらしいな」

シュナイゼルの言葉にロイドが溜息をついた。

「そーなんですよぉ。人材不足で大変なんですってば! これで、見つかるといいんですけど……。とにかく、エリア11の名誉ブリタニア人の身体能力データ早速解析してみまぁす。それじゃ!」

欲しいものが手に入った途端、そそくさと退室しようとするロイドをシュナイゼルが引き留めた。
「何です?」

ロイドは手渡された青いガラスの小瓶を見るなり、嫌そうな顔をした。おっかな吃驚といった雰囲気で、手の上の物体を身体から遠ざけようとしている。

「香水だよ」

シュナイゼルは苦笑して、ロイドの手の中の小瓶を指先で弾く。

「あはは、ですよねぇ。……てっきり毒かと思いました」

笑って、大げさに緊張を解いたロイドは、不躾なほど正直に、思ったことを口にした。

「ああ、そういうコレクションもあるからね」

「…………あるんですか」

ものすごく嫌そうな顔でシュナイゼルの顔を見た。

「うん? 貴族の家になら普通あるだろう?」

平然と答えたシュナイゼルにロイドは胡乱な視線を投げた。奇妙な間の後、ロイドの目が眼鏡の奥で笑う。

「ええぇーっ、フツーないですよぉ。あ……でも僕のフツーは普通じゃないから分からないですねぇ」

光に翳すと青いガラスが煌めく。まるで、海を閉じこめたような小瓶だった。

「中身に興味はありませんけどぉ、まあ、外側は綺麗なんでありがたく頂戴しますよ」

ロイドはひとしきり、小瓶を光に透かして眺めた後、ぞんざいに白衣のポケットへ突っ込んだ。香水などにまったく興味のないロイドが、それほど抵抗なく受け取ったのには理由があった。

「ああ、それ、男性用だから、彼女には似合わないと思うよ」

シュナイゼルには、お見通しだったらしい

「えー、そうなんですかぁ。セシル君のご機嫌取りに使おうと思ってたのに〜」

随分、不遜な言葉だが、シュナイゼルは気分を害した様子もなく、微笑んでいる。

「でも、どうしたんです? 男に香水なんて贈っても、楽しくないでしょうに。第一、あなた香水なんてつけてましたっけ?」

「そう? 嗜みくらいはするよ」

シュナイゼルの言葉に「ふうん」と興味なさそうに鼻を鳴らし、ロイドは内心首を捻った。
そういえば、ここ何年もシュナイゼルの香水をかいだ記憶がない。
ブリタニア貴族の間では、男性でも香水をつけることは一般的なことだ。第三皇子のクロヴィスにも会ったことはあるが、ロイドでも趣味の良いと思える香りを身に纏っていた。

ロイド自身は、香水や香りなどに興味はないし、あまり他人の作ったような香りが好きではない。どちらかというと苦手だと言える。
香りというのは、嗅覚を刺激する。その結果、自分の思考を乱されるのは非常に腹立たしいとロイドは考えていた。
だからだろうか、自分が普段つけない分、他人の香りには敏感だった。
嫌煙家が愛煙家よりも煙草の匂いに遙かに敏感なように。そして、嫌煙家にとって煙草の匂いがしないことが日常生活の中で当たり前だと思う程度に。

だから、シュナイゼル自身が香水をつけていないことにすら、今まで気付かなかった。
尤も、移り香と思われる女性用のフローラルな香りに気付くことはよくあったが―――。

男の自分に香水を贈るシュナイゼルの真意を図りかね、また戯れの一つだろうかと思った。

「つけてあげようか?」

シュナイゼルがロイドの首に手を回して顔を寄せた。期待に満ちた眼差しを送られても嫌なものは嫌だ。

「いいえぇ。遠慮します」

思い切り顔を顰めたロイドは、仕方なく誘われるままに主に口づけた。





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