DressCode






まばゆいばかりのシャンデリアの煌めきは、どこか意欲を減退させる。


住み慣れた研究室を遠く離れ、ロイドは着飾った人の波の中いた。

(あー……めんどくさー)

内心のぼやきがばれないように、そっと本日何度目かの溜息をついた。
伯爵家の当主としての義務のほとんどを放棄しているような自分でも断り切れない「お呼ばれ」の一つや二つはある。
社交シーズンになれば、狩りだの夜会だの観劇だの、面倒な行事が目白押しだ。
そういう貴族のイベントと一切無縁の生活を貫いていたロイドだったが、母親と姉たっての望みとあれば仕方がない。
新しい部門の創設を間近に控え、ここ数日、まともに寝る時間もないほど忙しい研究室から無理矢理呼び戻されて、亡き父の恩人とかいう公爵家の夜会に行かされた。
都合が悪ければ、書面で辞退とお詫びの連絡をすればいいだろうと、ロイドは思ったのだが、母曰く、どうしても欠席するわけにはいかない類の夜会らしい。
ロイドは、渋々、出席することにした。





こういう格式張った席は苦手だ。
自分がこういう場に馴染まない種類の人間だということは、ロイド自身が一番良く分かっていた。
先ほども案内の者がロイドの姿を見るなり、一瞬、奇妙な顔をした。公爵家に務める家僕らしく、すぐに平静を装ったが、当惑したような雰囲気は拭えていない。
この屋敷へ来たのは初めてだし、その男にどこかで会った覚えもないから、自分がよほど招待客らしくないのだろうかと、内心苦笑した。
一応、こういう席でのマナーに則って服装はいつもの白衣ではなく、きちんとした夜会服だったのだが。
すれ違う人々が時折、同じような視線を向けるのだが、理由がさっぱりわからない。
だが、ロイドは、そうした奇異の視線に慣れているせいか、別に気分を害するわけでもなく、大広間に入っていった。


ドレスと夜会服、香水と人々のざわめき、宝石の煌めきとアルコールの香りが満ちた大広間に入った瞬間、「来るんじゃなかった」と、ロイドは本日何度目か分からない後悔をした。

(うわぁ……窒息しそう……。絶対、この部屋の酸素濃度低いってば……)

人間の群れに圧倒されて、げんなりしていたロイドは、自分に近づく人影に全く気付かなかった。

「アスプルンド伯爵様では、ございません?」

唐突に声を掛けられて、のそりと振り向いたロイドは相手の顔を見て内心首を傾げた。
大きく開いた胸元に大粒の宝石を光らせて、ロイドに値踏みするかのような視線を送るのは、四十絡みの女だ。
ロイドが「はい」とも「いいえ」とも答えていないのに、女性は身体をくねらせるように近寄ってきた。

「先代の伯爵様にはお世話になりましたのよ。あの頃は、まだお小さくていらっしゃいましたから、貴方様はご存じないかも知れませんけど」

見覚えのない女性だった。
尤も、子供のころに出会った「オバサン」のことなんか覚えているわけがない。
仕方がないので、適当に話を合わせておく。

「はあ……」

化粧の濃さと香水のきつさに、つい奇妙な愛想笑いになってしまった気がする。
この女性はこちらの関心のなさを知っていようがいまいが、勝手に喋りまくるタイプの人間のようだ。

(だから、貴族の多い場所って嫌いなんだよねぇ)

父や母のこと熱心に語る女性は、伯爵家と懇意にしていたということをしきりにアピールしようとしている。アスプルンド家は、伯爵家と言っても、数ある爵位持ちの家系の中ではとりたてて特徴がない家だ。
当主が変人だということを除けば……。

だから、敬遠されるなら分かるが、わざわざ近づいてくるような酔狂な貴族は皆無に近い。
まさか、研究室に籠もりっぱなしの変人もしくは、放蕩貴族と名高い(?)自分の顔を知っている者が公爵家の夜会に来ているとは思ってもみなかったので、その点については素直に驚いた。

羽根つきの扇で口元を隠しながらおしゃべりを続ける女性が、回りくどい挨拶やら昔話やらを随分と婉曲に語った後、ようやく本題を話し始めた。

「――――ところで、勉学熱心な伯爵様にぴったりな女性がおりますのよ。紹介させてくださらない?」

「いえ、結構」

考える素振りすら見せずに即答したロイドに女性は目を丸くして、きれいに整えた眉をつり上げた。
せっかく勧めてやろうという縁談なのに話を聞く前に断るとは礼儀知らずな男だと思ったのだろう。気を取り直して、笑顔を作ると更に話を進めようとする。

「まあ、そんなこと仰らないでお話しだけでも……。私の遠縁の娘なんですけれど、身内の私が言うのも何ですが、器量も気だても良くて……家庭に入れば、留守がちな旦那様の代わりにしっかりとお屋敷を守っていけると思いますの。貴方のお母君にお話ししたら是非にと乗り気でいらっしゃいましたわ」

「母が……ですかぁ?」

「ええ、もちろん。そうそう、昔、伯爵様のお屋敷で……」

ロイドの母も了解済みだと女性は話すが、自分の性格を把握している母親や姉がこんなことを企むとは思えない。伯爵家の財産目当ての縁組みを持ちかける女性は、放っておくと、延々と昔話と見合い話をしそうな勢いだった。
げんなりとしたロイドは、しばらく適当に相づちを打った後、最後に言った。

「ところで、ご婦人。どちら様でしたっけ?」

その瞬間の酢を飲んだような顔が面白かったので、ロイドは少し気分が晴れた。





一応、母の言いつけで公爵夫妻への挨拶をしなくてはいけないのだが、夫妻は大勢の貴族達に囲まれていて、容易に近づくことすら出来ない。
まるで人の壁だ。その壁を乗り越えて、または人の波を泳ぎ抜いて目的地までたどり着こうという意欲は既になかった。
もともと、義理でやってきた夜会だ。そこまでのやる気は、最初からない。
ロイドは、やれやれと肩をすくめた。

しばらくして、公爵とおぼしき人物が一段高いところに立つと人々のざわめきが静まった。

「お集まりの皆様!本日は大変素晴らしいお客様をお迎えいたしております。間もなく、おいでになられるとのことですので、しばしお待ちください」

そう高らかに告げた公爵の言葉に、人々がどよめく。

「まあ、あの方がおいでに」

「さすが公爵家は違いますな」

着飾った紳士淑女が口々に囁く。
内容から既に誰が来るのかは、皆、事前に情報を仕入れて知っているようだ。
随分と有名人が来るらしい。
まったく興味のないロイドは、間もなく登場するという主賓を待たずに一旦、広間から逃れることにした。









賑やかな広間から人気の少なくなった廊下へと出て、ようやくほっと息を吐いた。

(はぁ……もう、帰りたい……)

だが、最低でも公爵夫妻への挨拶を済まさないわけにはいかない。
欠伸をかみ殺し、周囲を見渡す。
中庭で時間を潰すか、そのまま帰ろうか迷いながら、公爵家の廊下を物珍しそうに歩きはじめた。

ここは、まるで美術館のようだった。
廊下には、高名な画家の手による油彩画が掛けられ、彩色が施された陶磁器やガラスコンポート皿などが置かれている。
ロイドにはそれらの価値や素晴らしさは全く分からなかったが、金がかかっているだろうことだけは感じ取れた。
ここが美術館と違うのは、それらの美術品を実際に使用している点だ。
美術骨董品のガラスの水盤には花の部分だけを切り取った深紅の薔薇がいくつも浮かぶ。
そうしたアレンジメントが廊下の随所にあり、涼しげな水の揺らめきと、艶やかな薔薇の色彩が人々の目には美しく映えるはずだった。お抱えの花師やメイド達が客人を迎えるために何日も前から準備してきた成果だ。
だが、それらをしげしげと眺め、ロイドが思ったことと言えば、「首だけ切るなんて、どこかの処刑みたいだなぁ」だ。
その心の呟きを聞いたら、花たちがいっそ気の毒になる。
ロイドは、さらに廊下の先へとフラフラと歩いていく。
広間と母屋を繋ぐ回廊付近まで行って、ふと、青磁の壺の前でロイドは立ち止まった。
中華連邦の品だろう青磁の壺を指ではじくと、硬質な音色を響かせて、青磁が震えた。

「うん、やっぱりここの方がまだマシ」

共鳴音に耳を傾けながら、静かな廊下の調度品を眺めてまわった。
廊下の装飾の華美な点は、広間の中の人間たちと同じだが、喋らないだけ廊下の方がいい。
人々は全て大広間へ集まっているため、廊下には誰もいない。
誰もいないことをよいことに、「うーん」と思い切り伸びをしたロイドは、静まりかえった回廊の向こうから近づく足音に気付いた。
いくつもの足音と共に、静寂を保っていた回廊はにわかに騒がしくなった。
どうやら遅れてやって来た招待客のようだ。
五十過ぎの男が口ひげを撫でつけながら慌てるでもなくゆったりと大広間へと歩いていく。その後ろに貴族らしい三人の若者たちが続く。若者と言ってもロイドと同じか少し年齢は上なのだろう。
すれ違いざま、お取り巻き連中を従えた人物が、ロイドを一瞥して、足を止めた。

「ああ、そこの君。本日の主賓はもうおいでになられたかね?」

居丈高な物言いは、まるで屋敷の従僕やメイドにでも問い掛けるような口調だった。

「さあ?知りませんけど。 自分で確かめたらいかがですかぁ」

ロイドがいつもの調子で答えると、取り巻き達が眉をつり上げた。

「侯爵閣下になんたる無礼な!口のきき方に気をつけたまえ」

「ふーん、どちらの侯爵さま?」

「一体、どこの田舎者だ。閣下のお名前を知らんとは!」

声を荒げたのは、若い男だ。その服装から騎士候だと分かる。
その他にも二人の男がロイドの言葉を聞き咎め、嘲るような笑みを口元に上らせた。
ロイドは、自分よりも背の高い男達に詰め寄られて、視界がうっとおしいことこの上ない。

(せっかく静かな場所に来たと思ったのに……今日は厄日かな?)

ロイドは内心うんざりした思いで、男達を見上げた。

「夜会も始まるというのに、こんな場所でなにをしているんだ?」

「大方、夜会の招待客としての礼儀と常識をわきまえずに広間を追い出されたのだろうよ」

チラリとロイドに視線を投げた後、お互いの顔を見合わせて笑う男たちは、ロイドの貴族らしからぬ態度と言動を見下していた。ひょっとしたら、何かの手違いで呼ばれてしまった下級貴族の一人だとでも思っているのかも知れない。

「公爵様もお気の毒に。我々も招待する客の種類には気を配らんといかんな」

男達がどっと笑う。
ロイドは、もう馬鹿馬鹿しくなってしまい、呆れた顔で何も言わず男達の言いたいように言わせていた。
反論しないロイドに興をそがれたのか、騒ぎを傍観していた侯爵がようやく口を開く。

「まあまあ、諸君、その辺にしておいてあげなさい。何事にも間違いはあるというものだ。ブリタニア貴族たる者、時には寛大な心も必要だ」

「閣下、なんとお優しい」

「我々もぜひ閣下のようにありたいものです」

口々に侯爵の寛大さを褒めそやし、盛んに媚びを売る取り巻き連中の姿こそ滑稽だった。
ロイドの口元に自然と笑みが浮かぶ。
それを見咎めた侯爵が不快そうに眉を顰め、口髭を何度も撫でつけた。

「ああ、君、一応名前を聞いておこうか。次に会う機会はないとは思うが、ここで会ったのも何かの縁だ」

相変わらず尊大な態度の侯爵に、ロイドはにっこり笑って言った。

「ブリタニア貴族たる者、人に名前を聞く前に自分から名乗るのが礼儀でしょ?」

「な!?」

自分の言葉を逆手に取られたと気付いた侯爵は、顔を真っ赤にして、絶句した。その分、取り巻き達が憤り、「貴様!」だとか「無礼な!」だとか、お決まりの単語を叫ぶ。
男達の捨てぜりふとしては、あまりに変わり映えしない言葉にロイドが残念そうに肩をすくめた。

「ざぁんね〜んでした〜!ブリタニア貴族たる者、語彙が貧困だと知性と品性を問われますよ〜」

いきり立つ男達を煽るようにロイドが、更に楽しげに笑う。

「きっ…きさまぁ! 名乗れ!無礼者めっ!」

取り繕うことを忘れ、声を荒げた侯爵は、もうすぐ始まる夜会のことや主賓のことなど、どこかへ吹き飛んでしまったようだ。顔を真っ赤にして、怒りのためか身体をブルブルと震わせている。

「ロイド・アスプルンドv」

取り巻きの一人に胸倉を掴まれたロイドは、そのまま笑顔で名乗った。

「なに!?」

「だ・か・ら、ロイド・アスプルンドですってば、名前。―――手、離してくれません?」

ロイドの胸倉を掴んだままの騎士候らしい男に抗議したロイドのすぐ傍で、侯爵が反応した。

「……アスプルンド?」

記憶を辿る侯爵の顔が段々と白くなり、素に戻っていく。

「………まさか……アスプルンド……伯爵……か? 例の……新設部門の!?」

「……新設……部門?」

聞き慣れない言葉に男が戸惑う。
緩んだ男の手からロイドがようやく抜け出した、ちょうどその時だった。

「ロイド? 君がこんな場所にいるとは珍しい」

突然、耳に心地よいテノールが廊下に響く。

その声は、荒立ったその場の空気をいとも簡単に鎮めた。

乱れた襟元を直しながら、ロイドが振り向く。
同時に息継ぎを失敗したような奇妙な音が耳元で聞こえたが、無視した。

「ああ、公爵が言ってた噂のお客様って貴方でしたか」

息を呑んだ侯爵や取り巻きの男達の視線の先に佇むのは、神聖ブリタニア帝国第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアだった。

シュナイゼルの顔を見て、ロイドは納得したように手を打った。
確かに一国の皇子を夜会に招くことが出来るのは公爵家ぐらいなものだろう。
妙に熱っぽく語る人々の表情を思い出し、ロイドはようやく合点がいった。母が是が非でもロイドを夜会に行かせたかったわけだ。第二皇子が主賓の夜会に招待されたとなれば、家の格も上がるというものだ。尤も、頼りない当主に代わり、家のことに気を配らねばならない母親も気の毒だったが……。









next