ブリタニア臣民である限り、決して見誤ることのない第二皇子シュナイゼルの姿を呆気にとられて見上げた男達が喘ぐように呟く。

「……殿下……!」

「な……んで、こんなやつが……」

ロイドの背後から聞こえた奇妙な呻きと驚嘆の言葉は、硬直して動けなくなってしまった者たちのものだ。

「馬鹿者!第二皇子殿下のお声掛かりで新設される軍の技術部門の話を知らんのか!?」

侯爵が低い声で男達を叱責する。
その声にロイドが振り返ることはなかったが、侯爵とその取り巻き連中の表情は容易に想像できた。
驚愕と困惑、畏れと後悔、そして、保身。
喧嘩をふっかける相手を間違えたとしか言いようがない。

一方、シュナイゼルは、彼らに言葉を与えることはおろか、視線さえも投げかけてはいなかった。
完全に存在を無視している。いや、気付いていないだけなのかも知れない。
彼らの存在は、第二皇子にとっては、廊下の置物にも劣るのだ。

シュナイゼルは、ロイドに歩み寄り、向き合うと目を細めた。

「そういう服を着ていると誰かと思ってしまうよ」

研究室に詰めている時の白衣以外の服装を見慣れていないシュナイゼルが、珍しそうにロイドの夜会服を見た。

「着慣れなくて肩が凝りますけどね」

「そのようだね」

忍び笑いを洩らす。そして、ロイドの姿をつま先から頭のてっぺんまでしげしげと眺めた。
じっと値踏みされるような視線が居心地悪く、ロイドは眉を顰めた。

「何です?」

「君らしいけど……やっぱりこういう場での君は、何かが欠けているね」

「えー? それって礼儀と品位と常識?」

一応、自分が周囲にどう思われているか自覚はあるらしい。
ロイドの巫山戯た口調に、シュナイゼルの背後にいた侍従の片眉がひくりとつり上がった。

「いや、そうじゃなくて、手袋。――――忘れているよ。持っていないのかい?」

「あ」

たった今、気付いたというようにロイドが声を上げた。

夜会で手袋を忘れるというのは、重大なマナー違反だった。
ロイドは素手で頭を掻いた。すっかり忘れていたのだ。
同時に会う人ごとに奇妙な顔をしていた理由が分かった。
皆、公爵家の夜会に手袋を忘れる人物がいる―――という事実に呆れていたのだ。

「あああ……もう……なんかどーでも良くなってきてしまいましたぁ。帰っちゃおうかなー」

ぶつぶつと呟くロイドにシュナイゼルが笑みを深くした。

夜会に白手袋は男性のドレスコードだ。
身だしなみを整えていないと、伯爵家のお家事情を問われる以上に、公爵家に対しても失礼に当たる。
皇族と血縁関係にある公爵家の夜会に呼ばれることなど、めったにあることではない。
この機会を逃すまいと不肖の息子でもいいから無理矢理夜会へ行かせた母親の努力が無駄になるばかりか、公爵家の不興を買うことにもなりかねない。
結果、その噂が広まれば、アスプルンド伯爵家は他の貴族からも社交界で相手にされなくなる。
ロイドにとって、権勢や有力貴族に顔を売っておくことに全く興味はなかったが、仮にも当主である以上、適度に母親の顔を立てておかなければならない。
だが、面倒なことになるようなら、帰ってしまおう――――と、なんの罪悪感も抱かず思う程度の親不孝者だった。

夜会が始まってもいないのに帰る気満々のロイドを気配で感じたのか、シュナイゼルが苦笑した。

「仕方ないね」

シュナイゼルは、ふいに傍にある花を生けたガラスのコンポート皿に歩み寄り、薔薇の花を水に浮かべたそのアレンジメントに手を伸ばす。
手袋が水に濡れるのも構わず、薔薇の花だけを掬い上げた。

「手を出して」

皇子の突飛な行動に首を傾げたまま、ロイドが言われた通り手を差し出した。
シュナイゼルは、その手のひらに掬い上げた薔薇の花を乗せた。
深紅の薔薇は茎を僅かに残した状態で切り取られている。花びらの滴が流れ、ロイドの手を冷たく濡らす。

「殿下ぁ……これってどういう意味ですか?」

不可解な行動にロイドが戸惑った。高貴な方のやることはさっぱり分からない。

「あげるよ」

「はあ!?」
薔薇の花をもらっても嬉しくない。しかも首を落としたような不吉な花だ。
ロイドは思い切り眉を顰めた。
シュナイゼルは、濡れた手袋をはずすし、それを背後に控える侍従に渡した。すぐに替えの手袋を差し出そうとした侍従を片手で制す。
怪訝な顔になった侍従に「片づけて」とひとこと言って、踵を返す。
大広間とは反対方向に向かって歩き出したシュナイゼルは、足を止めて顔だけ振り向いて告げた。

「ロイド」

「はい?」

「おいで」

「は?」

「お茶にしよう」

「はあ」

訳が分からない様子のロイドが薔薇を持ったまま首を傾げ、その横で侍従が慌てた。

「でっ……殿下!?夜会はどうなさいます!?」

「手袋がないから、今日はやめておこう」

「は……、しかしっ……」

「礼儀に厳しい叔父上に叱られてしまうからね」

にっこり笑ってそれ以上の注進を拒んだシュナイゼルだが、そもそも叔父とはいえ、帝国宰相の地位にある甥を、礼装の手袋をしていないからと言って叱ることが出来るわけがない。
この言葉には侍従も複雑だった。
皇子殿下付きの侍従の常識として、衣服一式の替えくらい用意はしてあるのだ。
他の貴族と違って、第二皇子には立派な控えの間が用意されていたので、部屋に戻ればすぐにでも着替えられる。手袋など部屋に戻らなくてもすぐに差し出せるように、侍従は常に懐に仕込んであるくらいだ。
それらを知っているはずのシュナイゼル本人が「不要」だと判断したからには、これ以上の進言は無駄なことだ。

夜会は、殿下のご入来を待って始められる予定だった。すでにその刻限は過ぎていた。
それなのに突然、出席しないと言い始めた主人の意図を図りかねて侍従はチラリと横目でロイドを見た。

変人と噂されるアスプルンド伯爵。
公爵家の夜会に手袋を忘れてくるような粗忽者だ。
第二皇子殿下に対する礼儀も、到底、貴族とは思えぬほどの無礼なものだ。だが、皇子本人がそれを許しているので、侍従が口を挟むわけにはいかない。

「叔父上には、気分がすぐれないとでも言っておいてくれ」

さらりと、言ってのけたシュナイゼルに侍従の一人が黙って深く頭を垂れ、公爵家の執事に注進に行った。
その後ろ姿を見送り、ロイドが肩をすくめた。

「いいんですかぁ? あなた、主賓のお一人でしょう?」

シュナイゼルの後ろをひょこひょことついていくロイドは、目の前の大きな背に声を掛けた。

「たまにはいいんだよ。いつも私は真面目だから」

君と違ってね、と付け加えたシュナイゼルにロイドが目を丸くした。
すぐに口元に揶揄するような笑みを浮かべてロイドが呟く。

「真面目……ねえ?」

「君に比べたら、私なんか真面目な方だろう? たまにはサボりたくもなる」

「ああ、まあ確かに……こんな窮屈な服は脱いで、さっさと研究室に戻りたいですよね」

「一応、爵位持ちの貴族の仕事には、社交界での人脈づくりというのも入っていると思うのだが、君には無用なものだったかな? 仕事着だと思えばいいのに」

「貴方にとってはそうかも知れませんが、僕には拘束着のようなものですよ」

「まあ、脱ぐにも脱がせるにも一手間かかるからね」

「貴方のは、特に脱がせるの大変なんですよ。その辺、わかってますぅ?」

「ああ、随分と意味深な会話になっていることは分かっているよ」

二人は歩きながら会話を続ける。だが、二人が決して並んで歩くことはない。
背筋をぴんと伸ばして優雅に歩くシュナイゼルの一歩後ろを、フラフラとついていくロイドの姿は、端から見ると奇妙に思えたことだろう。

「でも、本当にいいんですか? 気分がすぐれない……だなんて、そんな白々しい嘘で。そんなにか弱くは見えませんがねぇ」

「サボリの常套句だろう?」

口角を僅かに上げて、背後のロイドに流し目を送る。

「それに、客寄せパンダの役目は十分果たしたからね」

第二皇子が来ることで、公爵家の夜会に出ることへの貴族達のステイタスが上がったのは事実だ。公爵も十分満足していることだろう。

「あはぁ!殿下がパンダですか。では、ここは動物園ですか〜、道理で賑やかで姦しいわけだ」

楽しそうにロイドが笑った。







続く
※続きは、5月のスパコミで発行予定のシュナ受け本「DressCode」に掲載。

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