エーカー中尉が倒れたというニュースは、できる限り伏せられた。
徹底した箝口令が敷かれたわけではなかったが、対ガンダム調査隊のメンバーは一様に口を噤んだ。派遣部隊全体の志気に関わる上に、カスタムフラッグへの信頼性にも疑問を投げ掛けかねないからだ。

エース不在のまま、急ごしらえの格納庫では、二十四時間態勢でMSの整備が行われていた。

一通りカスタムフラッグの調整を終えたカタギリは、息抜きにコーヒーの紙コップを片手に外へ出た。グラハムが救護班のテントで眠ったままなので、これ以上はすることがない。
グラハムが帰還してから三時間あまりが経過していた。
目立った外傷はなく、脳波も安定している。内臓も正常に機能しているようだが、血糖値の低下と軽い発熱のため今は点滴を受けているという。

ガンダムによる近距離からの攻撃を受けたカスタムフラッグの装甲をチェックし、サンプルとして持ち帰るため新しい装甲に部分的に換装する作業は終了した。フライトデータの数値と映像解析による戦闘データも検証した。
後は、パイロット本人の口から生の情報を聞くだけだ。

カタギリは冴え冴えとした月明かりの下、離発着が続くフラッグの機影を横目に見ながらフェンス脇の砂地をゆっくりと歩いていた。
日中はあれほど暑かったのに、夜になると急に冷え込んできていた。噂に聞くネフド砂漠に比べたら全然マシな方なのだろうが、それでも砂と岩ばかりの土地だからか、一日の寒暖の差が激しい。
コーヒーの温かさがじんわりと手の平に伝わって、そのぬくもりにどこか安堵した。

基地の敷地は、二重三重の金網で囲われており、その間を哨戒兵が行ったり来たりしている。
時折、カタギリの姿を認めて訝しげな視線を送ってくる兵もいたが、白衣姿の人物が対ガンダム調査隊の技術顧問だと気付くとそのまま黙って哨戒を続けた。
下手に声を掛けたり、敬礼しないでいてくれるのは助かった。物思いにふけりながら、そぞろ歩く時に外の雑音は極力少ない方がいい。
カタギリにとっての雑音とは、フラッグのエンジン音や工具の金属音ではなく、人の話し声などを指す。正常に動いている機体の離発着時の音など、カタギリにとっては心地よい種類の音だった。多少、音量は大きすぎるにしてもだ。

MSや輸送機が離発着する合間の僅かな時間だけ周囲は静寂に包まれる。その静けさは、いつもなら心地よいはずなのだが、今は肌が粟立つような寒さと不安を呼び起こしていた。

「いくら駐留基地内とはいえ、あまり歩き回らない方がいいですよ。どこに敵が潜んでいるかわかりませんから」

背後から急に話しかけられて、カタギリが足を止めた。
投光器の光のせいで逆光になり相手の顔はよく見えなかったが、その声で思考を遮った者の名はわかった。

「メイスン准尉、君か……」

「中尉はまだ眠ったままだそうです」

「……そう」

短くそれだけを答えたカタギリにハワードが怪訝な顔をした。

「行かないんですか?」

「どこへ?」

不思議そうに聞き返されて、ハワードの方が面食らった。

「どこ……って」

言いよどむハワードの口調にカタギリは、ああ、とようやく気付いたような声を上げた。

「そうか……、救護班のテントと別の方向へ歩いていったから不思議に思って追いかけてきたわけかい? そんなにグラハムの様子が気になるなら君が見てきてくれればいいのに」

図星を指されてハワードが口ごもる。

「そういうわけでは――――」

「グラハムが戻ってくるまで僕の仕事はないから、今、休憩中なんだよ」

クスリと笑みを洩らしたカタギリの投げやりな言葉がハワードの癇に障った。

「前から言おうと思ってたんですが………やはり、いくら中尉でもカスタムフラッグの現在のスペックでは、実戦で耐えられないのではありませんか!?」

どうやら、カタギリを追ってきた理由はこのことを言いたかったからのようだ。
ハワードは勢いに任せて更に続けた。

「これでは敵を倒す前にパイロットが潰れちまう。せめて設定をマイナーカスタムしなくては……!」

「いや、設定はこのままだ」

カタギリは、まったく取り合わずにきっぱりと言い切った。

「MSWADのエースを潰すつもりですか!?」

ハワードからそう詰られてもカタギリは冷静なままだった。

「彼はあれを十分乗りこなしている。戦闘中に変形をやってのけたパイロットが他にいるかい? まして、ガンダム相手に近接戦闘中にだよ。こちらの予測した戦闘パターンを覆す戦い方ができる人間だよ、グラハムは」

カタギリはどこか、楽しそうな口調ですらある。その態度にハワードが苛立つ。

「それが、パイロットに対する信頼からくるものなら何も問題はありませんが、ただデータを取りたいだけなら我々は賛同しかねます!」

「君は―――彼のことになると、どうも熱が入りすぎているのではないかな」

それは、あんたの方だろう、と言いかけた言葉をハワードは呑み込む。

「こんなことで、グラハムは潰れたりしないよ」

「その過剰な期待と信頼が重荷になることだってあるでしょう!?」

「自分を基準に他人の資質を計るのはやめてくれないかな」

「自分なんかに比べたら中尉のセンスと技術は雲泥の差ですよ。問題は、精神的なものじゃないんですか!?」

「同じパイロットだから、パイロット同志、自分の方が彼の心情や状態が分かるとでも言いたそうだね」

「違いますか!?」

半ばヤケになったハワードが胸を反らせて、精一杯の虚勢を張った。

「いや―――そうだね、君たちの方がグラハムのことを分かっているのかもしれないな。所詮、僕は技術顧問でしかないわけだし、生と死の狭間で戦う君たちの精神的負荷は想像の域を出ないからね。経験者には敵わないよ」

ハワードの、独占欲と嫉妬からの発言ともとれる言葉にカタギリは至極真面目に答えた。
怒っても無理はないはずなのに肯定的な態度をとったカタギリの言葉に一瞬毒気を抜かれたハワードだったが、すぐにその認識を改めることになった。

「だが、精神的負荷に耐えるのもパイロットの役目であって、心のケアまでは僕の仕事ではないよ」

「な……っ」

突き放したような冷たい発言にハワードは言葉を失う。
グラハムとカタギリは、プライベートでも親しい友人だと聞いている。特に無茶ばかりするグラハムを時折心配そうに見つめるカタギリの視線は、端から見ているとこっちが照れ臭くなるくらいなのに、どの面下げてそんなことを言うのかと半ば呆れ、半ば腹が立った。

「君たちパイロットが仲間同士傷を舐め合い、庇い合い続ける限りガンダムにはこれ以上近づけないな。自分はここまでだと自ら限界を決めてどうするんだい? それでは何も変わらない。進歩のないチームで、くだらないお友達ごっこがしたいなら異動願いを出した方がいいんじゃないかな。対ガンダム調査隊にはそんな消極的なパイロットは必要ないよ」

この発言にはさすがにハワードもカチンと来た。
最前線で生死をかけて戦うパイロットに対して、なんという言いぐさだ。

ハワードは、何もくだらない感傷や同情で言っているわけではない。一つのチームとして仲間を労るのと、甘えを許すのとは全く違う。
カタギリの妥協を許さない意志の強さは認めるが、それと感情論は別だ。
任務に私情を挟むなと教えられたが、感情で戦うのが悪いとは言われたことなどない。時に感情に流された方が効果的な戦い方ができるときもある。弔い合戦や大きな戦いを前に行う士気高揚がそれだ。
任務以外の場所でも信頼関係を培っておかないと、実際の戦闘時にチームワークが取れない。
それは身体面でも精神面でも同じことだ。そういう任務に関することを抜きにしても、一人の人間として仲間を心配して悪いなどということはないはずだ。

「あんた……中尉のことが心配じゃないってのか!?」

ハワードは、一応少佐相当官である技術顧問に対する形式だけの礼儀も何もかも拭い捨てて怒鳴った。激昂するハワードと対照的にカタギリは小憎らしいまでに落ち着いていた。
ハワードは、そのことに更に苛立ち、カタギリをきつく睨み付けた。

だが、それは睨み合いにすらならなかった。
カタギリはまったく取り合わず、視線を逸らし、投光器の灯りで闇の中に浮かび上がったフラッグの機影を遠く眺めた。

「そのグラハムと約束したんだよ。――――彼が飛び続ける意思を捨てない限り、彼の翼は僕がつくるってね。グラハムはこれからもずっと飛ぶつもりだ。誰よりも早く、誰よりも高く―――違うかい?」

うっすらと微笑さえしてみせたカタギリのどこか勝ち誇ったような言葉に、ハワードの胸が熱く暗い感情に支配された。

―――この感情の名を知っている。

ハワードは唐突に思い知った。
記憶の中には、ガンダムという未知の機体について熱っぽく語ったり、カスタムフラッグを眩しそうに見上げて笑うグラハムの姿が焼き付いている。そして、必ずその傍には常に技術顧問の姿があった。
焼け付くような胸の痛みと、淡い憧憬。
彼の横に立って、同じ視線で自分たちを取り巻く世界を見たいと思った。同じ場所に立てないのならせめて、空にいる間だけでも同じ物を見て、同じ感覚を共有したいと願った。

「言われなくとも……ッ!」

カタギリの暴言にハワードはギリッと奥歯を噛みしめて、呻った。
彼が高みを目差すから、自分たちも空へ憧れる子供のように一途にグラハムの後を追おうと思ったのだ。パイロット以外の人間が、それを知ったような口で語るのが許せなかった。自分たちの純粋な思いを踏みにじられたような気がしたのだ。

いきり立ったハワードが更にカタギリに対し口を開こうとした時、唐突に背後から肩を叩かれた。
振り向けば、そこにダリルが立っていた。

「准尉、あっちで准尉のフラッグの整備チーフが呼んでましたぜ。……おっと、取り込み中でしたかい?」

格納庫の方を示しながらダリルが絶妙なタイミングで声をかけた。
多少、演技が白々しいと言えなくもないが、第三者の登場に安堵したのはハワードの方だったかもしれない。これ以上、会話が続くと余計なことまで口走ってしまいそうだったからだ。

「あ、ああ…いや、何でもない。すぐに行く」

ハワードが踵を返し、その背をダリルが見守る。
ハワードの姿が薄闇に消えて行くのを確認して、ダリルは肩の力を抜いて息を吐いた。

「立ち聞きかい?」

カタギリには、ダリルの意図などお見通しだった。上手く助け船を出したものだと感心した。
下士官にしておくのは惜しい勘の良さだろう。ハワードよりもよほど周囲の人間関係を把握している。

「えーと、あのですね、余計なことかもしれんがですね。あまり准尉を苛めないでくださいや」

ダリルが頭を掻きながら、それでも物怖じせずに言った。

「心外だな。誰も苛めてなんかいないよ」

「そうっスか? ならいいんですがね」

もの言いたげな視線にカタギリが居心地悪そうに身じろぎした。

「いろいろ……言いたいことがありそうだね」

「とんでもない。さっき准尉が全部言ってくれちゃったんで、俺はもう何も言うことはありませんぜ」

肩をすくめて大仰に答えたダリルは、どこか食えない笑みを口元に浮かべていた。

「君もメイスン准尉と同じ気持ちということかな?」

「俺は、両方の気持ちが分かるんでなんとも言えませんがね。あの人、見た目と違って結構熱いッスから」

「君は違うのかい?」

「俺は、中尉には、常に俺の手が届きそうで届かない一歩先にいて欲しいんですよ。追いかける楽しみがあるっていうか……、挑んで克服するまでの過程が好きなんですかね」

「では、手が届いたら興味を失うわけか」

「そうッスね。中尉には一生届かないところにいて欲しいですけどね」

「なるほど、准尉は違う―――というわけか」

「あの人は、追いついて肩を並べたいんじゃないかって思いますよ」

自分の上官について冷静に評価するダリルの目の付け所は間違ってはいない。なかなか面白い人材が揃ったものだと、カタギリは思った。

「―――君は何というか………結構いい性格をしているな」

「あなたに言われたかないですよ」
ダリルが笑う。

「男としての征服欲とか、支配欲とかないのかな?」

「そりゃまた、極端な発言ですぜ。その表現には賛同しかねますがね、なんか妙な気分になっちまうんで」

顔を顰め、冗談めかして答えたダリルだが、目は笑っていないようだ。

「中尉のこと心配はしてますけど、本人が大丈夫だって言ってるから俺は信じますよ。今回の件も機体のこととは関係ないみたいだし」

ダリルの言葉にカタギリが目を瞠った。

「何か……知っているのかい?」

「いや、なに、中尉が意識を失う直前に言ったんですよ。『ちがう』って」

「違う?」

「たぶん、あなたの方を見て……」

「グラハムが僕を見て『違う』って……?」

「ええ、ですから、耐圧システムとか12G云々のことではないのでは? これは勘ですがね―――」

「慰めかい?」
苦笑したカタギリに向かって、ダリルが肩をすくめた。

「別にあなたのためじゃないですよ。中尉がおかしくなったのは、ガンダムとの戦闘が理由じゃあないです、たぶん」

「―――どういうこと?」

怪訝そうに眉を顰めたカタギリの声が僅かに低くなった。

「あの後、首都防衛の任務に就いて、本部要請で国連大使の護衛をしたんですよ。なかなか避難勧告に応じない国連大使を説得するべく、中尉はフラッグを一時降りたんです」

「なんだって!?」

「俺らだっておかしな命令だと思ったんですがね、上からの命令じゃどうしようもありませんて。あの時は俺らが見張っていましたから、中尉のフラッグがパイロットの留守中に勝手に弄られたって可能性はないですよ」

「そんなことはどうでもいい! 護衛ってMSに乗ったままじゃなかったのか!?」

「……だから、護衛部隊の要請で中尉が呼ばれたんですよ」

「じゃあ、グラハムはコーナー大使に直接会ったのか……!?」

「えっ…ええ……、そうなりますかね」

掴みかかるくらいの勢いでダリルに迫ったカタギリの剣幕に気圧された。
先ほどまで冷静にハワードとやり合っていた人物とは思えない。

「……なんてことだ………」

絶望的な表情で唸ったカタギリにダリルの方が驚いた。
グラハムを国連大使に会わせてはいけない理由でもあったのだろうか。

カタギリは、無言で持っていたカップをダリルに押しつけると身を翻した。
白衣の裾を大きく翻し足早に去っていく。

急に不安になったダリルは、カタギリに声を掛ける暇もなく、白衣の背を呆然と見守るしかなかった。
コーヒーは、すっかり冷たくなっていて、まるで一人取り残されたダリルの心情を表しているようだった。







※2月頃発行の「大義と欺瞞2」へ続く




あれ?……おっかしいな。ハワードVSビリーになっている感じが……。しかもダリルがこんな食えない男に……。一見、ダリハワにも見えなくもないというおそろしさ……!(なんとっ!)
まあ、冒頭部分なので、ビリグラ+アレハンドロ的な表現はこの後になります。