| ++やさしい波風のそのあとで。 (お試し版)++ 対ガンダム調査隊が、オーバーフラッグスと名を変えてから一月余りが過ぎた。 フラッグファイターも新規に十二人増強され、整備兵の数も大幅に増え、一部隊らしく大所帯となってきた。それに伴って、隊内では様々な変化が起きていた。 変化というものには良い意味もあれば悪い意味もある。良い方はと言えば、隊員たちが敬愛するグラハム・エーカー中尉が上級大尉に昇進されたこと、さらに、エイフマン教授によってフラッグ全機がパイロットに合わせてカスタマイズされ、戦備が増強されたことなどが挙げられる。 一方、悪い変化と言えば、主に人間関係におけるいくつかの小さなトラブルの発生だ。 ただ、個性豊かな人間が集まる職場ならどこでも些細なトラブルは数多く起こるから、それほど問題視するようなことでもないだろう。もともと血の気の多いパイロット(しかも各方面軍の精鋭ばかりで、皆プライドが高い)が集まっているのだから、余程の人物が指揮官でなければまとまらない。 そんな荒くれどもを指揮するのが、グラハム以外の者だったら、この隊は上手く機能しなかったに違いない。MSWADの不動のエースである彼の実力や言動には皆が一目置いていたし(突飛な行動や常人の理解を超える発言などにも)、彼のガンダムに対する熱意に触発され士気は高まり、隊は一つにまとまろうとしていた。 時には強引で自信に満ちた眼差しで、時にはとびきりの明るい笑顔で、皆の心を引きつけてやまない上級大尉の存在は非常に大きい。個人的な感情を抜きにしても、彼の存在を皆が頼りにしていたはずだった。 おかげでオーバーフラッグス隊も、この一ヶ月でなかなか良いチームの雰囲気になってきたと思われた。ただ、どこにも跳ねっ返りはいるもので、なぜかアラスカ方面軍のエースと称されていたジョシュアは、ことあるごとにグラハムに突っかかっていた。これに関しては、グラハム本人がそれほど相手にしていないので、些末なトラブルの内に入るだろう。 だから、新旧のメンバーも皆が新しいオーバーフラッグス隊は上手くいっているのだと思っていた。 ところが、ここ何日も、肝心のグラハムの様子がおかしい。 そのことに気付いているのはごく僅かな人間だけだった。 対ガンダム調査隊の時からの部下であり戦友であるダリルや熱狂的なグラハムの信奉者であるハワードは時折、心配そうな視線を彼に投げかけていた。 ダリル・ダッジ曹長の視線の先には敬愛する上官の姿があった。 グラハムは格納庫でパイロットスーツのまま、乗機であるカスタムフラッグを見上げており、その端正な横顔からは飛行直後の疲れなど微塵も感じなかったが、一種独特な雰囲気があった。 ふっと瞼を閉じた表情、空を見上げて吐く息。 すべてに色があった。 それも見た者がドキリとするような愁いの色だ。 (一体、どうしたってんだ?) ダリルは、グラハムにつられたように今日もまた溜息をついた。 こんな状態になって一週間以上が経つ。グラハムの纏う空気が重く感じられ、そのことに首を捻る。 一見、普段と変わらぬ明るい笑顔で整備士と機体についてあれこれチェックをしているようだが、ふとした時に物憂げな表情を見せた。しかも、その表情は普段見せない類のものだ。 こういう時、常ならばダリル達にフォローの役目は回ってこない。ちゃんとフォロー役がいつも傍にいるからだ。七年も共にいる旧友が傍に―――。 だが、今回に限ってその役目が充分に機能しているとは思えなかった。 つまり、それが問題なのだ。 いつもだったら真っ先に気付いているはずのビリー・カタギリ技術顧問が、何も気付いていない。いや、この言い方はきっと正しくない。 たぶん――グラハムの様子がおかしくなった原因が技術顧問なのだ。 理由をちゃんと説明しろと言われたら難しいが、そうとしか言いようがない。 まず、二人の間で必要以上の会話がなくなった。これは、隊が大きくなって忙しさが増したせいもある。 そして、気付けばグラハムが技術顧問の姿を目で追っている。ただ黙って、もの言いたげな、どこか苦しい色を滲ませた視線を投げている。 それなのに技術顧問はその視線に気付いていない。 ここ一週間ほど、どこか心ここにあらずといった風情の技術顧問の姿を見かけたことがあった。仕事はきっちりこなしているが、そわそわとして妙に浮き足立った感じがしてならない。 (顧問の機嫌は良さそうだから、喧嘩してるってわけじゃねぇな) こういう時に限って、グラハムのあの深いグリーンアイズは雄弁だった。技術顧問が気付かない分、端から見ているこっちが気になってしまって仕方がない。 (なんで、これに気付かないんだ!?) 技術顧問に言ってやりたくて仕方がなかった。 自分の上官の背中がこんなに頼りなげに見えたことは今までなかった。だから余計に歯痒くてならない。 自分がなんとかできるのなら、すぐにでもしたいほどだ。だが、秘めた想いをぶつける勇気もないし、グラハムが好きな相手が誰か知っていたから、敢えて波風を立てることはしたくなかった。 自分が出来ることと言えば、愚痴を聞いてやることぐらいだが、グラハムの性格ではそういう愚痴を部下には話さないだろう。 せめて気分転換になればと、ハワードと飲みにでも誘おうとしたのだが、意を決して声を掛けようとした時には、グラハムは帰ったあとだった。 *** ダリルの携帯端末の呼び出し音が鳴ったのは、午後九時を過ぎた頃だった。 馴染みの店でハワードと飲んで最近の隊長の様子について少し語った後、帰途について一人冷たい雨が降る中を歩いていた。出かける時は小雪が舞っていたから、いつの間にかそれが雨になったようだ。 ブーツの靴紐がほどけかかって、水たまりに浸かっている。傘を持ってくれば良かったなと思いながら、道路脇の店の軒を借りて雨宿りしつつ、身体を屈めて紐を結び直す。ジーンズの裾はブーツに突っ込んでいたので濡れたりしなかったが、髪は水を吸って少し重たくなり始めていた。雨宿りついでにダウンジャケットのフードをかぶって雨避けにした。 断続的な電子音を鳴らす携帯端末をポケットから無造作に取り出し、画面表示を見れば、自分の上官からだ。 (隊長から?) グラハムは今晩からオフだったはずだから、緊急の連絡ではないだろう。だからこそ、飲みに誘おうと思ったのだが、どうしようかと悩んでいるうちにグラハムは帰ってしまっていた。 非常招集や出撃命令ならば、基地本部の通信指令部から直接各隊員に出頭命令がくるはずだから、プライベートな電話の内容だと推察して思わず頬が緩む。『SOUND ONLY』の表示を気にも留めずに電話に出た。 「はい、ダリルです。隊長どうかしたんですか、こんな時間に」 飲みに行こうという誘いかと思い、自然と声も明るくなる。 だが、電話の向こうから聞こえてきたのは知らない男の声だった。 『ダリル・ダッジ君だね』 随分と親しげな口調で話しかける男の声に聞き覚えはなく、ダリルは戸惑う。 「………あんた誰だ?」 ダリルが訝る声に男の言葉が重なった。 『君の上官を預かっているから迎えに来てくれないか』 「なっ……!!」 予想外の言葉に困惑した。一瞬、悪質な悪戯かと思ったが、相手が使用している携帯端末がグラハムのものであることを思い出し、一気に身体が緊張した。 男は名乗らずに更に言葉を続ける。 『場所は、ホテルグランドの2415室だ。鍵はフロントに預けてある』 「貴様っ、何者だ!? 隊長をどうした!」 とっさにダリルの頭をよぎったのは、「営利誘拐」ではなく、軍事機密を狙う工作員による犯行だ。特に今のグラハムは、対ソレスタルビーイングの要となる戦力でもあった。どんな妨害工作があるかわからないため、軍上層部の命令で官舎と基地の往復には常に護衛がつくようになっていたくらいだ。 「目的は何だ!? 隊長は無事なのか!?」 『無事かどうかは自分の目で確かめてくれたまえ。では、頼んだよ』 一方的に電話は切れた。相手の男の声をどこかで聞いたことがあるような気がしたが、思い出せない。 そんなことより、これは誘拐事件だ。ダリルがすぐに上層部に報告して判断を仰ごうとした時だった。 再び携帯が鳴った。 今度はメールの受信だ。先ほどと同じくグラハムの携帯からだった。 慌てて、メールを開封すれば、本文には何も書かれておらず、静止画像が添付されている。ダリルの眼が驚きに見開かれた。 「な……んなんだよ、これは!」 ダリルが思わず唸ったその写真に写っていたのは、グラハムだった。 ただし、両手首を紐のような物で縛られて、乱れたシーツの上に横たわっている。目を閉じて眠っているようにしか見えなかったが、剥き出しの肩からは、上半身には何も纏っていないことが分かった。フレームに収まらなかった下半身は……怖くて想像すらしたくない。 携帯を握るダリルの手が驚愕と怒りに震える。 何があったか推測するのに充分すぎる証拠を見せつけられ、歯ぎしりした。 少なくともこれで軍に報告するわけにはいかなくなった。 相手が、グラハムが軍人であることと、ダリルとの上下関係を知っているということは、グラハム本人の口から無理矢理聞き出したか、内部のことに詳しい人間の犯行かも知れない。 迎えに来いと言うだけで、金銭的な要求はなかったから、グラハムを快く思わない軍の誰かの仕業かも知れない。わざわざ、部下を呼びだして見せつける辺り、やり方が姑息だ。 (罠……か?) オーバーフラッグス隊の要である上級大尉の拉致監禁と暴行――と決めつけるのは早いかも知れないが、これを見過ごせるわけがない。 とにかくグラハムの窮地だ。 一人で乗り込むには危険が伴うが、彼のあんな姿を他の誰にも見せるわけにはいかない。 気付いた時には、ダリルはタクシーを呼び止めて、目的のホテルへ大至急行ってくれと大声で叫んでいた。 2008.5.3発行『やさしい波風のそのあとで。』に続く back |