いつかは彼に手が届くのだと思っていた。




だが、届いたらきっと自分は飽きてしまうだろう。
だから、彼には、自分の手が届きそうで届かない場所にいて欲しかった。


彼は誰よりも速く空を駆け、誰よりも力強い。
追いかけても、追いかけても、みるみるうちに姿が見えなくなってしまう。
もっと速く、もっと強く………
自らがそう在らねば、手を伸ばそうという気持ちすらくじけそうだ。



勝ちたいわけではなかった。



強い者への純粋な憧れが、唐突にもたらされた強大な力を手にしたとき、欲に変わった。

彼に認めて欲しい。

彼の中で特別な存在になりたい。



まるで麻薬のように身体を蝕んでいく欲望。
一途な憧憬と呼べるほど、純粋ではなかった自分。


彼の眩しさにわずかに嫉妬する己を知り、自己嫌悪に陥った。









++お日さまの下で++






ダリル・ダッジ軍曹の目に真っ先に飛び込んできたのは、鮮やかな黄色の絨毯だった。

ダリルが、空軍に新規導入されるMSのテストパイロットとして赴任した基地の第一印象は、そんな美しい情景だった。上官への着任挨拶を済ませ、早速自分の仕事場となるMS格納庫へと足を向けた。
軍用機が離発着する滑走路横の草原には黄色いタンポポが群生している。辺りは春色一色に染まり、ここが殺伐とした軍の基地だということを忘れてしまいそうだ。
格納庫を出れば、目の前には春爛漫の景色。空は澄み渡り、風が心地よい。こんな日は、外でのんびり昼寝でもしたいものだ。
ただし、ここが軍の基地ではなかったならば……。

実のところ、自分が配属されたばかりの新しい職場の環境を見渡し、ダリルは少し緊張気味だった。何しろ、最新鋭機であるフラッグが自分の新しい機体になるのだから。そして、この同じ基地にダリルが憧れるパイロットがいるはずだった。

もともと空軍が開発を進めていた新型MSの候補はいくつかあった。その中で性能実験を行い、最も優秀な成績を残した機体を採用することになったのだ。
その結果選ばれたのが「SVMS-01」だ。

SVMS-01が採用されたのは、開発の頃から携わってきたテストパイロットであるグラハム・エーカー少尉の働きが大きいとされている。彼が何百回にも及ぶ性能実験でもう一方の候補機とは桁外れの数値をたたき出した結果だ。ライバル機開発企業はもとよりユニオン首脳陣にフラッグの運動性能を余すところなく発揮し、その性能を見せつけたからだ。

その結果、MSパイロットの間では彼の名は一躍有名になった。もちろんダリルも自分が新型機の初期メンバーに選ばれた喜びもあったが、それ以上に噂の人物と共に飛べることが魅力だった。

(どんな人物なんだろう?)

ダリルの浮ついた気持ちは、黄色いタンポポ畑のせいだけではない。緊張と期待がごちゃまぜになった妙な高揚感に胸の鼓動が高鳴る。



ちょうど昼時のせいか、格納庫は閑散としていた。
機械油で汚れた作業着を外の洗濯機に放り込んで、洗濯が終わるまで待っている間に談笑している数人の整備兵が残っているだけのようだ。
青いユニオンの軍服姿やパイロットスーツ姿の軍人は見当たらない。
格納庫の扉付近に突然現れたダリルにようやく気付いた整備兵の一人がこちらを向いて胡乱な視線を送ってきたので、慌てて名乗る。

「本日付けでテストチームに配属になったダリル・ダッジ軍曹だ。ここの責任者はどこだ?」

「ああ、あんたが新しいパイロットの。責任者って、隊長なら開発主任と昼飯を食いに行ったぜ。あと一時間は戻らないな。技術顧問なら昨日から出張で当分お留守だ」

早口でまくし立てた整備兵は、自分たちもこれから昼飯だと告げた。

「そうか、行き違いか……。ところで、エーカー少尉に挨拶したいんだが、少尉がどちらにいらっしゃるか分かるか?」

「少尉ならこの時間は―――、そうだな、その辺で昼寝でもしてないか?」

その辺、と言って整備兵が指さしたのは、黄色の絨毯に囲まれただだっ広い滑走路だ。

「……滑走路で……か!?」

唖然として指さされた方を振り向いても人の姿など見えない。
もちろん、気持ちの良い眠りを演出してくれる涼しげな木陰や素敵なベンチなどあるはずもない。ダリルは、両目とも2.0の視力をフル活用したが、それらしい姿は見つけられなかった。
一体この広大な敷地のどこに昼寝に適した場所があるというのか。

そんなダリルの戸惑いを知ってか、男は面白そうに顎をしゃくった。

「行きゃあ分かる」

促されるままにダリルは、格納庫を出て歩き出した。その背に男が言葉を掛けた。

「あんたで二人目だ」

「は?」

思わず振り向いたダリルに男が口角を上げた。

「真っ先に少尉に会いたがった奴さ」

「二人目……?」

ダリルが詳しく聞こうと戻りかけた時、同僚のメカニックが遠くから呼んだ。

「その人もあんたと同じテストパイロットだぜ」

慌てて駆け出した整備兵は、それだけ言うと「じゃあな」と軽く手を挙げて行ってしまった。

人気のなくなった格納庫を出て、滑走路の脇を歩き始めたダリルは、半信半疑で辺りを見渡した。流石に舗装された滑走路の上で昼寝する馬鹿はいないだろうから、緩衝地帯の草原―――今はタンポポ畑―――にいるのだろう。整備兵の言葉を信じるなら、この目の前の光景のどこかに目当ての人物はいるはずなのだが、広大な敷地のどこにもそれらしい影はない。

ダリルは、何となく歩き続けて敷地の端っこまでやってきた。
振り向けば管制塔を中心に3つのタワーが青い空にまっすぐ突き立っているのがよく見えた。そのまま視線を地に転じれば緑と黄色の絨毯が広がっている。

ふと、そのタンポポ畑の中でも一際群生している場所が目に入った。
興味を引かれて近づいてみて、思わず唸った。

(うわ…! でかいタンポポ!?)

花のように見えたのは人間の頭だ。
タンポポ畑の真ん中に人間が横たわっていた。

癖のある金髪が花の間で風にそよいでいる。
もともと丈の長くない植物だが、それでも長いものは二十センチ以上はあるだろうか。風が強い場所やアスファルトの割れ目に咲くものだと、地面にへばりついたように生長するが、この場所は日当たりがいいので丈が長く伸びたらしい。おかげで人ひとりが倒れていても花と葉に埋もれてしまって遠目にわからない。

まるで、行き倒れたかのように仰向けで寝ている人物は、なぜかユニオンの青い軍服を身体の下に敷いていた。白いシャツが太陽光を反射して目に眩しい。幼い顔立ちからは、士官学校を出て入隊したばかりの新兵のようにも見えた。

(なんで、こんなところで寝てるんだ……?)

普通の人間なら誰もが思うだろうことをダリルも当然疑問に思った。具合が悪いならそれらしい倒れ方というのがあるだろうが、この人物は、大の字になって寝ころんでいる。

(眩しくないのか?)

日に焼けたらもったいないと思えるほど白い肌には、染みやそばかすなどひとつもない。
閉ざされた瞼を縁取る長い睫が頬に影を落とし、タンポポの花と同化していた金色の髪は、お日さまの光をいっぱい受けてきらきら輝いている。

(絵本の眠り姫みたいだ……)

どんな瞳の色をしているのか見てみたい、と唐突に思ったダリルは子供の頃に読んだおとぎ話のセオリーとして、姫君の目を覚まさせる方法を思い出した途端、我に返った。

(……いやいや、待て待て! どう見ても男だろう!? しっかりしろ、オレ!)

ダリルは自分でツッコミを入れ、頭の中に浮かんだ妄想を、慌てて打ち消した。お姫様を目覚めさせるのは、決まって王子様のキスだ。夢見がちな乙女ならいざしらず、自分の背中がかゆくなるような妄想にダリルはかなり落ち込んだ。だが、視線は艶やかな唇に吸い寄せられるようになったまま離せない。
当初の目的を忘れて、違う方向へ思考が向かってしまったダリルを正気に戻したのは、「眠り姫」本人だった。ダリルが上から覗き込んだせいで陽が遮られて、眠る人の顔に影が落ちたらしい。身じろぎしたせいで金髪が揺れ、閉ざされていた眼が唐突に開いた。

(……!)

息を呑んだダリルの眼前に吸い込まれそうなほど深い緑の瞳があった。
どくん、と胸が脈打つ。
目を覚ました眠り姫は、真上にゴツイ男の姿があるのに驚きもせずに平然とダリルと視線を合わせたまま口を開いた。

「君がダリル・ダッジ軍曹か」

冷静な声だった。
その言葉にダリルは眠り姫の正体に気付き、再び驚いた。写真で見たグラハム・エーカー少尉の印象と大分違う。クールで有能で規律正しい軍人のお手本のような人物だと思っていたのだが、実際の本人は、なんというか、外見だけでもだいぶ可愛らしい……いや、童顔のせいかかなり若く見える。

「は、はい! 本日付けで配属になりましたダリル・ダッジ軍曹です」

立ったまま寝転がった人物を見下ろし敬礼するダリルと、仰向けに寝転んだまま男を見上げる金髪の青年。端から見るとかなり滑稽な状況だが、ダリルは驚きと緊張のせいか、至極真面目に答えた。

「あのっ、エーカー少尉……で、ありますか?」

思わず確認口調になってしまったのは仕方のないことだ。意表を突くにも程があるだろう。憧れの人物とこんな出会いを果たすなど誰が想像しただろうか。

「そうだ。君を歓迎しよう、フラッグファイター!」

寝転がったままのグラハムがダリルに向かって手を伸ばし、明るく微笑する。
ダリルは呆気にとられたままその手を取った。これも一応握手だろうか? グラハムは相変わらず寝転がったままだ。

身を屈めて手を握り返したダリルは「フラッグファイター?」と鸚鵡返しに呟いた。

「これから我々の愛機となるMSの呼び名がSVMS-01だなんて無粋だと思わんか? フラッグの勇敢なパイロットにぴったりだろう?」

どうやらSVMS-01の名称が決定したようだ。
そして、それを駆るパイロットの呼称をグラハムが勝手に決めたらしい。どうだ、かっこいいだろう?と言わんばかりの口調にダリルは思わず苦笑しそうになった。

(この人、本当に子供みたいだ……! かわいいなぁ)

緩みかけた口元を無理矢理引き結び、後半の自分の思考に驚く。同性の上官を可愛いと思うこと自体あり得ない。

グラハムに「引っ張ってくれ」と視線で促されて、握ったままになっていた上官の手に意識がいく。お互い手袋越しなのが惜しい気がした。
グラハムを引き起こしたダリルは、今度こそちゃんと背筋を伸ばして敬礼した。
グラハムも今度はちゃんと立ち上がって、きりりとした顔で敬礼を返した。

「グラハム・エーカー少尉だ。ようこそ、MSAWDへ」


笑顔が眩しい人だとダリルは思った。







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