他人の熱を求めて止まない身体に熱を分け与える行為にそれほど抵抗はなかった。 今の彼にはそれが必要だったからだ。 ++他人の熱++ 先の戦争で重傷を負ったため、私の邸に引き取った青年は、甥の親友だった。 半年以上も細胞活性化装置の中で過ごした彼が目覚めた時、世界は彼の知るものとは違っていた。 軍人であった彼の戻るべき場所は既になく、彼が所属していた隊の名前すら残っていなかった。私もまた同じ名の軍に属していた軍人であり、何よりも彼の戻る場所をなくした張本人でもあった。 各国の軍の解体と再編、特別治安維持部隊の創設の指揮を執ったのは私だ。 ユニオンの剣と呼ばれた男――グラハム・エーカーが属していたMSWADも解体された。指示を出したのは私。 彼の帰る場所を奪ったのも私だ。 退院しても戻る場所のない彼が療養する場所として我が家を提供したのは、己の行いに対するせめてもの罪滅ぼしか。 それとも、ただ、甥の親友だからか。 彼は自分が退院したことを甥には告げないで欲しいと言った。 こんな姿を甥には見せたくないと言うのだ。私は、その願いを聞き入れた。甥には秘密にしたまま、彼を邸に招き入れたのだ。 秘密を共有する間柄というのは、どこか連帯感が生まれるものだ。秘密にすべき相手に対する罪悪感と、相手の知らない二人だけの秘密を抱える密やかな満足感。 そう、私は不謹慎にもどこかこの状況を楽しんでいたのだ。 週末ごとに戻る邸で私を待つ20歳も年の離れた青年。 彼の身柄を引き取ったものの、軍の再編によって多忙な日々を過ごしていた私は、週末に帰るだけの邸で彼がどんな状態に陥っていたか気付かなかった。 一月ほど邸に戻らぬ日が続いたある日、彼の世話を任せていて家礼から連絡があった。 そこで、初めて彼の様子がおかしいことに気付いたのだ。 邸の離れで療養生活を過ごす彼は、翼をもがれた鳥と同じだった。 覇気のない瞳、生きる目的をどこに求めて良いのかわからないといった風情で、濡れ縁に座りただ庭を眺める日々。 Gと戦っていた頃の漲るような闘志も、生きるための希望も、今の彼からは何も感じられない。 「何か不自由はないか」と尋ねたところ、彼はただ一言、「なぜ生かしたのだ」と小さく呟いた。 恐らく、独り言のようなほんの小さな呟きに私は愕然とした。 そう、グラハム・エーカーは、生き残ったことで、全てを失ったのだ。 それ以来彼は、自らを責め続け、生きる意味を探し、見つからずに迷宮へ迷い込む。それの繰り返しだった。 眠ると嫌な夢を見るといって、眠らなくなった。 食事も喉を通らなくなり、身体は衰弱していった。 リハビリを兼ねた療養のはずが、却って彼の健康を損なっている事態を憂慮した私は、休暇を取り彼を傍で看護することにした。 彼の寝所を離れから母屋へ移し、自分の部屋の隣へ用意させた。片時も目を離さぬように。 責任感からか、それとも、もう一度彼が空へと戻ることを期待してか。 自分でも分からなかった。 冴え冴えとした冬の月が天空にある。 空気が澄んでいるので、月の光がやけに明るく感じる。周囲を照らす月光がすべてを青く染めていた。 縁側に落ちた青い影。彼は白い寝間着のまま、ずっとそこに座って月を見ていた。いや、正確には何も見ていないのかもしれない。日中もよく宙を見上げる仕草をしていたことを思い出す。 「こんなに身体を冷やして……風邪を引く」 ようやく私の存在に気付いたのか、彼は振り向いてほんの一瞬、驚いたような顔をした。 私は着ていた丹前を脱ぐと、彼の肩にそっと掛けてやった。 「もう部屋に入りなさい」 そう声を掛けると、意外にも素直に言うこときいた。ゆっくりと立ち上がり、肩に羽織った丹前を返そうとする。 「構わないから、着ていなさい。まだ本調子ではないのだから、身体を冷やさないようにしたまえ」 身長差のせいか、私の丹前は彼には少し大きいようだった。裾を引きずりながら廊下を去っていく彼の後ろ姿を複雑な思いで見送った。 夜半過ぎ、くぐもった呻きのような声で目が覚めた。 襖一枚を隔てた隣の間から聞こえてくる声は確かに彼のものだった。 白い単衣の寝間着のまま様子を見に行くと、彼は眠ったままだ。 悪夢に魘されているのか、眉間に刻まれた深い皺が、彼の苦悩を表しているようだった。 小さく呻く声に、私は傍らに膝をつき声を掛けた。 「どうした? 大丈夫か?」 反応はない。布団がはだけ、寝間着の上半身がむき出しになったままでは寒かろうと思い、掛布団を直してやろうとして手を止めた。 ふいに唇が何事かを発しようと動き、零れた言葉―――。 「…………まない……わ……たしは……」 未だ目覚める気配はない。譫言のような言葉と同時に目尻から伝い流れる滴。誰への謝罪かは想像に難くなかった。それが夜ごと彼を苦しめる原因なのだろう。 恐らくは、一人生き残ってしまった事への―――。 端正な顔立ちに刻まれた醜い疵痕。右半身と顔に負った傷は、擬似GN粒子の影響で手術をしても疵が残った。それを隠すわけでもなく人前に晒す彼の心情を推し量ると、何も言えなくなる。本当の疵は、目に見えない場所にあったのだ。 夢の中でまで苛まれる彼の心は、傷だらけだった。 かつて仲間と共に在った時の輝くばかりの彼の笑顔と自信に満ちた表情、凛とした姿を思い出し、今の彼の姿とのあまりの違いに胸が痛んだ。 疵痕を濡らす涙。 ―――このような姿をこれ以上見てはいられない。 思わず伸ばした指先は、自然と彼の涙を拭っていた。 こぼれ落ちる雫をすくい取る。 (こんな涙を毎夜のように流していたのか……) 悪夢から目覚めさせるために強く掴んだ肩を揺さぶった。 「エーカー君、起きなさい」 名を呼び、彼を苦しめる彼自身の闇の世界からこちら側へ連れ戻そうとした。 だが、枕を濡らす雫は途切れず、彼の嘆きと絶望は彼自身を暗い闇の淵へと追いつめている様子だ。 このままでは、彼は生きる意味を、生きる糧を見出せぬまま朽ちていくだけだ。 それだけは、させてはならない。 一度は、ユニオンの剣と呼ばれた男をこのまま朽ちさせるのは惜しい。彼は新たな軍の中でこそ力を発揮すべき人材だ。 これは、アロウズの司令としての願いだろうか、それとも――― 「……戻ってこい、グラハム・エーカー」 自然と口をついて出た囁きは、私の本心だった。肉体を残しながら、心だけ彼岸へ行こうとするのを止めたかった。涙を拭った手を頬に滑らせ、前髪を掻きあげるようにして梳く。柔らかな髪が指の間をすり抜ける。冷たい頬にぬくもりを与えようと、両手で包み込むと、手のひらに頬をすり寄せてきた。 「グラハム……」 ようやくうっすらと目を開けた彼の瞳が私の顔を映す。 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、彼の両手が縋るように伸ばされた。 子供が親の腕を求めて手を伸ばすようなその仕草に、胸を衝かれた。 手を取ってきつく抱きしめ返すと、安心したように小さく息を洩らした。 そして、かすれた声で名前を呼んだ。 私の名―――だが、その名前が自分のことを指しているのではないことを私は十分理解していた。 それは、同じ響きを持つ私の家族の名。 「誰か」と間違えて、私に縋り付く身体。 伸ばされた両手。 押し隠せない色を溢れさせ、潤む瞳。 求めるのは、「誰か」の熱。 ふいに胸に迫った感情を何と言えばいいのだろう? 再び紡がれる「その名」を聞きたくなくて、私は彼の唇を己のそれで塞いだ。 続くかも? 一度は心が折れてしまったハムの精神修練の一環として、「武士道」を勧めたのが叔父さんだったらいいな、という話。守り刀を与えたのも叔父さんで、でもそれは自害するためじゃないんだよ! その一振りが心の支えにあることだってあるんだよ! って言いたいんだ。 「生きろ!グラハム」 |