| 断袖 −dansyu− ベッドの中、幼いグラハムの髪を撫で、柔らかなその感触を味わいながら、しばし朝寝を愉しむ。 先に目が覚めたホーマーは、少年を起こさぬようにベッドからそっと抜け出そうとしたが、小さな手が自分の寝間着の袖を掴んで離さないことに気づいた。 もうすぐ朝の鍛錬の時間だ。 小さな指を一本ずつ袖からはがそうかどうか迷ったが、ぐっすりと眠るグラハムを起こすのも忍びないと思い直した。 (そういえば、袖を切り落とした皇帝がいたな) ふと、中国の故事を思い出した。 『断袖』という言葉で表現されるのは、寵愛する臣と一夜を共にした皇帝が、自分の袖の上で熟睡する愛人を起こすのが忍びなくて、自らの袖を断ち切ったというものだ。一般的には男色を意味する言葉として知られる。 また、古代中国では仲の良い友人同士が同衾することはよくあったとされている。男同士の友情を非常に重んじる風習だからだろうか。なにしろ漢詩の世界では「佳人」といえば見目麗しい女性を、「美人」といえば人柄や能力が美(すぐ)れた男性を指すという説もあるくらいだ。 『断袖』には揶揄が込められる場合もあるが、慈しむ対象への想いが感じられる故事でもあろう。 そこまでホーマーは考えて、養い子を起こすのが忍びないという場合に、この故事をあてるのはよくないな、と苦笑した。 中国の皇帝に倣って袖を断ち切って残すほど彼に溺れているわけでもない。第一そういう関係ではないのだから、あどけない顔で眠る庇護対象を慈しむのは父性の現れでしかなかった。 布団の隙間から冷気が入ったのか、ふるりと身体を震わせたグラハムの身体を慌てて抱き寄せた。 ぬくもりに安堵したのか、グラハムはホーマーに身体をすり寄せて気持ちよさそうに寝息を立てる。 普段なら、夜明け前に起きて朝の鍛錬に精を出すのが日課だが、時計を見れば出勤までにはまだ時間に余裕はある。若い頃ならまだしも、この年になると一度起きた後の二度寝はなかなかできないものだ。それならばいっそ養い子の寝顔を見て過ごすのも悪くないと思い直した。 思えば、不思議な縁だ。 八年前の災害救助でグラハムに出会った時は、まだ四、五歳だったはずだ。八年もあれば、子供の面立ちなど変わるし、再会してもわからないだろうと思っていた。だが、一目で彼だと分かった。あの深い緑色の瞳が絶望に彩られた光景など、二度と見たくはないと思っていたのに……。皮肉にもその瞳のおかげで、グラハムが八年前の少年だと確信したのも事実だ。 グラハムは、災害のことも、泥の中から抱き上げた大人のことも、全く覚えていないだろうが、その方がいい。一度に父と母を亡くし、自らも生死の境を彷徨った。あんな凄惨な現場の記憶などない方がいい。 今、こうして穏やかな寝息をたてるグラハムを見下ろして、ホーマーは、彼の穏やかな眠りを守ることが自分の役目ではないかと思うようになっていた。 子供の健やかな成長を喜び、慈しむことがこんなにも心豊かにすることだとは思わなかった。 子を持つ親の気持ちを味わいながら、ホーマーは、しばし幸せを噛みしめ朝寝を愉しんだ。 あれから七年。 ベッドの上でしなやかな裸体を惜しげもなく晒して、身悶えるグラハムを、ホーマーは組み敷いていた。グラハムが空軍の訓練校に入ってから三度目の休暇。 久しぶりの逢瀬となったその日、レストランで食事をした後、ホテルの部屋で抱き合った。 十九歳になったグラハムは、まだ幼さが残る顔立ちをしている。一方、ホーマーは今年で四十五歳。親子ほども年の離れた青年を抱くという行為に、禁忌を覚えないわけでもない。まして、それが幼い頃から成長を見つめ続けた相手ならば尚更だ。 正式に籍は入れていなくても、ずっと親子のようだった二人の今の関係をゴシップ誌の記者が知れば「ただならぬ関係」と書き立てられること間違いない。 だが、それでも構わないと思えるほど、ホーマーはグラハムとの関係に溺れていた。 グラハムは訓練校では寮に入っているため、めったに帰ってくることはないが、久しぶりに顔を合わせると自分がどれだけ元養い子に焦がれていたのか自覚して、軽い自己嫌悪に陥ることがある。端からは全くそんな風には見えないだろうが――。 苦悩と葛藤の末に、疑似親子という不自然な関係に終止符を打ったのは、一年ほど前のことだった。 禁断の花の蜜ほど甘いと言うが、どうやらそれは本当のようだと、ホーマーは最近よく思う。 同性だということは、自分にとっては、あまり障害にはならない。 あの時、ホーマーのもとを去ろうとしたグラハムを、手放したくないと思った瞬間、唐突に自覚したのだ。 こうした感情は厄介なものだ。 予告もないまま、突然訪れる。おかげで、自覚した後は、子供として接していた時と、まったく視点が変わってグラハムを見るようになった。 そのせいか、いろいろな発見もあった。 それは、主にグラハムに対してではなく、自分に対しての発見だった。 グラハムによって変わっていく自分。 我慢強くて物わかりの良い理性的な大人――そういう仮面をかぶり続けていた自分に気付かされた。 ◆ 誘うように薄く開かれた唇。 濡れて赤く艶やかな色を放つそれに吸い寄せられるようにホーマーは己の唇を重ねた。 貪るような口づけの合間に、わずかに洩れる苦しげな吐息すら甘い響きを持っている。 ベッドの上に押し倒したグラハムのバスローブの裾を割り、脚を開かせ敏感な内股の肌を吸い上げると、赤い印が浮き上がった。 ※続きは 既刊本『断袖』にて。 |