| 「暁月夜 -あかときづくよ- 前編」 【SAMPLE】 暁降(あかときくだち)、暗き淵にて月を見む 白樺の林、深い緑の奥に静寂をたたえた湖。 美しい山の稜線が夕日に煌めく。 高原の涼やかな風が吹き抜ける草原、やわらかな日差しと美しい景色に囲まれた場所。白い小さな花が咲く草原を小さな影が駆けていく。小さな足が大地を蹴るたび、金色の巻き毛が揺れ、遠くで同じ色の髪の女性が手を振った。 だが、穏やかでやさしい日々は、ある日突然消え失せた。 現場は騒然となっていた。 大規模災害による軍の派遣が決定し、地元の救急隊と警察、そして軍が出動し、被災者の救助に当たっていた。そこはまるで、戦地のようだった。 火山活動による山火事と有毒ガスの噴出が至るところで発生し、地元消防や軍の救助活動を阻んでいた。 避難中の車は、山火事で立ち往生し、逃げ場を失った人々は四方から迫る炎の中に消えていった。 幸い火に撒かれずに済んだ親子は、隣町へ避難するため車を走らせていた。父親が運転をし、その後部座席では、母親が小さな身体を胸にしっかりと抱いていた。今年、四歳になる少年にもただならぬ気配が伝わったのだろう。母親の柔らかな胸に顔をぴったりと寄せ、服の袖を掴む手を震わせている。怯える我が子を安心させようと、母親の手が背中を優しく撫で続け、父親が勇気づけるように力強い声をかけ続けた。 突然、地が大きく揺れ、走っていた道路が消失した。親子を乗せた車は、崩れ落ちる土砂とともに崖から滑り落ちた。 その日、少年たち親子が住んでいた村は、地図の上から消えた。 冷たい雨が降る。 山火事の消火活動には恵みの雨だったが、土砂崩れが起きた現場では、二次災害が発生する危険がある中で、地元消防団や軍による懸命な救助活動が続いていた。 ホーマー・カタギリは、この時三十歳。 ユニオン空軍の中尉として、MS部隊を率いる立場にあった。ちょうど研修のためにこの地を訪れていたホーマーは、災害発生と聞き直ちに部下数名と現場へ向かった。 多少の火災や雨なら、何の問題もなく稼働できるMSは災害現場で重宝された。足場が悪くて重機が進入できない崩落斜面などでも比較的自由に動けるからだ。ホーマーは勿論のこと、全員が眠る暇も惜しんで各地で救助作業を続けた。 災害対策本部から、今回の災害で最大規模の崩落現場に向かうよう指示を受けたのは三日目の朝のことだった。 向かった先でホーマーたちは無力さを思い知らされた。災害発生から既に長時間が経過し、ほとんど不眠不休で掘っても、掘っても、遺体しか見つからない。最後には、足場が悪すぎて、MSすら立ち入ることが出来ない状況になってしまい、皆が機体から降りて自分たちの手で土砂を掘り始めた。 五日目の朝、もはや生存者はいないだろうと、諦めかけたその時、ひしゃげた車の中で小さな身体が動いた。救助する側も精神的に限界にきていたこの状況下でもたらされた一つの奇跡に、皆が神の存在を感じた。 子供の姿を見つけた時の部下達の歓喜の表情と祈りの声を、ホーマーは生涯忘れることはないだろう。 緊張の中、周囲の土砂を慎重に取り除き、ようやく大人が入れるだけの隙間を確保する。ホーマーは上半身を車体に潜り込ませ、必死に手を伸ばす。柔らかな子供の身体を掴み、引きずり出すようにして助け出した。 ホーマーが子供を抱き上げると、誰からともなく拍手が起こった。泥と涙で顔をぐしゃぐしゃにした部下が毛布で子供の身体を包んでくれた。 「もう大丈夫だ。よくがんばったな」 ホーマーは子供抱きかかえて声をかけたが、子供は泣くことを忘れてしまったかのように鳴き声一つあげない。 泥で汚れていても輝きを失うことのない金髪、碧眼。 だが、虚ろな瞳は何も映していないようだった。 自分も結婚していれば、この歳の子供がいてもおかしくない年齢だ。小さな身体を守り抜いた母親が冷たくなっていくのを、この子はどう感じていたのか、それを想像すると酷く胸が痛んだ。 「よしよし、えらかったぞ」 ホーマーは、凄惨な災害現場で、自分が助けた命の重さを両腕で感じながら、少年を抱きしめた。 胸が熱くなるのを誰もが感じていた。 だが、余韻に浸る暇もないまま、ホーマーはその場を救護隊に任せて、後ろ髪を引かれる思いで次の現場へ向かった。 その後、落ち着いてから、救護テントを巡って自分達が助けた少年の姿を探したが、すでに大都市の病院へ移されたらしく見つけることはできなかった。 そして、二人の再会まで、八年の月日を要したのである。 T 子供達は、いつものように公園で野球をして遊んでいた。 年齢はバラバラで、幼稚園児くらいから小学校の高学年くらいまでの五人が二つのチームに別れて遊んでいる。 一人が打ったボールが、少年の頭上を遙かに越え、木立の奥の茂みへと落ちた。ボールは一つきりしかなく、これをなくしたら怒られる上に、代わりを買ってもらえないことを知っていたので、少年は落ちたボールを追って躊躇いもなく茂みへと突っ込んだ。 木の葉が舞い始めた公園の林。少年の靴の下で落ち葉がサクサクと軽い音を立てた。人があまり近寄らない公園の茂みの中でも、少年にとっては庭のようなものだった。大きなファウルになったボールがどの辺りに転がっていくか、何度も経験して知っていたから、今日もすぐに見つけることができた。 茂みの間の草地の上に落ちたボールを拾い上げた少年は、自分しかいないはずの場所に奇妙なものを見た。茂みから何かが飛び出している。靴をはいた足だ。 手にしたボールがぬるっとしたので、視線を下ろすと白いボールに赤い染みができていた。おそるおそる靴の上の方、たぶん胴体と頭がついている方を見て、人間が倒れているということをようやく認識した少年は、小さく息を呑み、後ずさる。 目の前に横たわっていたのは、赤黒く汚れたパーカーにすり切れたジーンズと、泥だらけのスニーカーを履いた大人の男だ。そして、同時にその人間の頭にボールと同じ赤い染みがあることに気づいた。 「ごっ、ごめんなさいっ!!」 思わず駆け寄って人間の顔を覗き込んだが、ぴくりともしない。ボールの当たり所が悪くて、死んでしまったのだろうか。 「どっ、どうしよう! だ、だれか……」 広場にいる仲間達を呼ぼうとしたとき、突然、男が起き上がった。少年は、心臓が口から飛び出るほど吃驚したが、悲鳴は上がらなかった。少年の口をその人間が押さえたからだ。 「ヒッ……」 「おい、ガキ! 痛ぇじゃねえか」 よかった、生きてはいる。だが、赤黒くこびりついた血の跡がある男は鬼のような形相だったので、少年は震え上がった。 「くそっ、また血が出てやがる。……ちっ、これじゃ、動けねえな」 傷口を乱暴に拭って、男は顔をしかめた。少年の仲間の打球は、見事に男の傷口に当たったらしい。ふさぎかけた傷が再び開いたようだ。 口を塞がれたまましゃくり上げ始めた少年を、めんどくさそうに見つめ男は低い声で唸った。 「ああ? うるせえな。泣くんじゃねえよ!っつか泣きてえのはこっちだ」 「……ご、ごめ……なさ。ゆ…ゆるし……」 「お前のせいで大けがだ。許して欲しかったら俺の言うことを聞け」 なんだかよく分からないが、怖かったので、少年は一生懸命頷いた。仲間に助けを求めようにも、声が震えてうまくしゃべれない。 男の手が少年の襟首を掴み、引き寄せると鼻が触れ合うくらい近くに顔を寄せて恐ろしい声で言った。 「いいか、このことは絶対秘密だぞ。もし喋ったらお前がどこに隠れていても探し出して、世にも怖ろしい目に遭わせてやる!」 少年はますます震え上がった。自分がボールを打ったわけではないのに、自分だけこんな目に遭うなんてひどすぎる。パニック状態の少年は、ただしゃくり上げ、切れ切れの声で懇願することしかできない。 「たっ……たす……て」 その時、茂みの向こうから声がした。 「ハンス、どうした? ボールはあったのか―――」 なかなか戻らない少年を心配して仲間が呼びに来たのだ。 聞き慣れた声にハンスは縋るような目で振り返る。 男は、大きく舌打ちをした。子供とはいえ、目撃者が増えてしまうことは避けたかったからだ。子供一人を黙らせるのは容易い。二人になれば手間が増えるし、一人を脅しているうちに、もう一人が大人を呼びに行ってしまうかもしれない。子供とはいえ、今捕まえている少年よりも年長の子供だと無駄に知恵が回るから厄介だ。 だが、茂みをかき分けてやってきたのは、男に脅されて震えるハンスよりも更に小柄な少年だった。 ※続きは、2009夏コミ発行の「暁月夜 前編」をご覧ください。 ブラウザのbackでお戻りください |