■■ Photograph ■■ それは、フラガ家の本邸にアデスが滞在している時のことだった。 「写真を撮ってくれないか」 ラウが唐突にこんなことを言い出した。 アデスは、目を丸くした。学生の頃、写真やカメラに凝った時期があったが、軍に入ってからは忙しくて写真を撮りに行くような暇はなかったので、かつての趣味が写真だとラウに話したことがあっただろうか。 いや、それよりもラウがよりによって写真を撮って欲しいと言い出したことの方が不思議だった。 「構いませんが……」 「不思議そうな顔だな。お前の言いたいことは分かるぞ」 「いえ、そんなに顔に出ていましたか」 「お前はわかりやすいからな」 「あなたが分かりにくいのですよ」 アデスが苦笑する。 「では、改めてお聞きしましょう。どうして、写真を撮ろうと思われたのです? たしか、撮られるのは、お好きではなかったでしょう?」 「そうだな、どちらかといえば嫌いだ」 「軍の広報カメラからも逃げ回っていらっしゃいましたね」 「別に逃げ回っていたわけではない! あいつらが仕事の邪魔になっていただけだ」 「では、そういうことにしておきましょう」 忍び笑いを洩らすアデスの顔を睨み、わざとらしく咳払いをする。 「そういうお前こそ、その体躯で奴らのレンズをわざわざ塞いでいたのはなぜだ? 仕事にならないといって、若いカメラマンが嘆いていたぞ」 ラウの長い人差し指が、アデスの胸を押す。 「ご存じでしょうに」 アデスがラウの手首を掴んで、自分の方に引き寄せた。 「なにを?」 間近に顔を寄せてラウが嫣然と微笑む。問いかけは甘い囁きと同じだ。 アデスは、ラウの細腰を抱き寄せて、耳許で囁く。 「あんな若造に、あなたの姿を撮らせたくなかったのですよ。もったいない」 「ほう? 私の姿は減るのか」 アデスの言い様に面白そうに笑みを洩らす。 「ええ、減ってしまいます」 まるで惜しむようにラウの身体をきつく抱きしめる。 冗談なのか本気なのか分からない仕草にラウは苦笑した。 ラウの手がアデスの背に回され、ポンポンと軽く叩く。 「アデス、苦しい……」 「あっ、……すみません」 慌てて腕の力を緩めたが、相変わらずラウを抱いたままだ。 「冗談はさておき、カメラは持っているか?」 「デジタルでいいですか?」 「いや、フィルムがいいな。データだと複製が容易くできてしまう」 確かにそうだ。ラウの画像が多く出回るのは避けたい。 仮面の時ならいざ知らず、素顔の写真を残したくないのは、彼を追う組織から身を守るためでもあったはずだ。 それなのに、なぜ、今なのだろう。 「フィルムカメラだと、今は持ち合わせがありませんね。こちらのお屋敷にならありそうですが?」 「聞いてみよう」 早速、執事を呼んでカメラがないか尋ねた。 「フィルム用のカメラでございますか。――あいにく今はございません」 執事は、申し訳なさそうに言った。 古い家だから、フィルムカメラぐらいあるだろうと思っていたのだが、十五年ほど前の火事でほとんどの家財道具を失ったらしく、昔はたくさんあったアンティークカメラのコレクションもすべて焼失したという。 「私物ではございますが、35ミリの一眼レフでしたら、骨董品のようなカメラを持っております。一応、撮影は出来るとは思いますが、それでもよろしいでしょうか?」 今でこそ平和を写し撮るカメラだが、もとは兵器開発のための技術が応用されている。潜水艦の潜望鏡、爆撃機の照準器など、より正確に爆弾を命中させるための機器として開発された技術を応用している。本当に古い機種なら、電池さえ必要ない。今でも立派に動き、味のある画が撮れる。 執事が持っているのは、二十世紀中頃の日本製の一眼レフだという。 「アデス、使い方は分かるか?」 「実物を見てみないと分かりませんが、同じ頃のドイツ製のカメラを弄ったことはありますので、たぶん、機能や原理は同じはずですから大丈夫でしょう」 すべてがデジタルの世の中にあっても、フィルムでの撮影にこだわるプロのカメラマンやフィルムカメラの愛好家達がいるおかげで、フィルムカメラもまだ廃れてはいない。かえって、レトロ感漂う写真の味を評価する者たちも多い。かつてのアデスもその一人だった。 「何分、古い物でして、物置のどこかにしまってあると思いますので、探して参ります。お持ちするのは、明日になってしまいますがよろしいでしょうか?」 「ああ、構わない。……一枚くらい残しておいてやりたいからな」 最後の小さな呟きに、アデスは一瞬、どきりとした。「誰に?」と訊いても良いのだろうかと、迷ったのだ。 ラウの写真なら自分も欲しいが、別の誰かのためというのが気になる。 一体誰のためなのだろう? (レイ・ザ・バレルか? それとも……デュランダル議長だろうか?) レイならばいい。だが、ギルバートに写真をやりたくはない、と思ってしまったのはアデスの独占欲のせいだろう。 執事が一礼して退出すると、室内は再び二人だけになった。 「アデス? どうした」 他人からの好意には鈍いくせに、他人の動揺や狼狽えた時の気配に聡いラウは、アデスの変化を敏感に感じ取ったようだ。 「いえ、なんでもありません」 変に声が固くなかっただろうか、動揺が顔に表れなかっただろうか。アデスはそんなことばかり考えていた。 翌日、執事に借りたカメラに35ミリのカラーネガフィルムをセットし、巻き上げの確認をする。 古いカメラなのでオートフォーカス機能はおろか、露出計も内蔵されていない。本来ならば露出計で光量を測り、絞り値とシャッタースピードを決めるのだが、若い頃の経験で培った勘で大体の露出を合わせた。 撮影場所は室内、窓から差し込む陽光が直接当たらない書棚の前を選んだ。 「どうしますか? なにかポーズでもつけますか?」 「いや、普通にしているところがいいな。日常生活を撮ってくれればいい」 アデスは、椅子に腰かけ読書するラウの姿を、アングルを変えて数カットずつ撮影した。 ファインダー越しに見えても、ラウの美しさに見惚れた。 知的で怜悧なブルーアイズに緩くうねる金髪、うつむき加減の端正な顔。 美しさの中に強さを秘めた視線。 静寂の中、そこにある奇跡のような存在。 シャッターを切る瞬間、手ブレを防ぐため呼吸を止めるので、静けさが一層際立つ。 次の一枚を撮るためにフィルムを巻き上げる音が室内に響く。 ラウが、今ここにこうしていることは、奇跡のようだとアデスは思う。 ヤキン・ドゥーエで戦死したはずの彼が、生きて地球で暮らしている。 しかも、彼は今、自分の手が届く場所にいるのだ。 ラウと同様に、自分も無神論者ではあるが、神という存在がいるならそれに感謝したい気持ちだった。 アデスは、ファインダーの向こうのラウの姿を見ている内になぜか泣きたくなるような切ない気持ちに襲われた。 物思いに耽りながらシャッターを切ったので、窓に向かう半逆光ぎみの一カットは、露出がオーバー気味になってしまったかも知れないことに後で気付いた。 現像するまで出来上がりはわからないが、きっとラウが白い光の中に佇む雰囲気で撮れているだろう。それが良い効果を演出していればいいが、下手をすると画面が白く暈けたような写真になってしまう。 フィルムの難点は、デジタルと違ってその場で撮影画像の確認ができないところだが、ある意味、出来上がりまでの数日間を期待しながら待つという醍醐味もあった。 二十四枚撮影のフィルムを入れたので、あと残りが十五枚ほどある。 「まだ残っていますから、場所を変えて撮りますか?」 アデスには、このまま続けて撮りたいという気持ちもあったので、ラウがもう少し撮らせてくれないかと願った。 「いや、もういい。ああ、それから……できあがったら、現像したフィルムとプリントをくれないか」 「ここには現像用の器具や薬剤がありませんので、少しお時間を頂きますがよろしいですか?」 「ああ、構わんよ」 それから一週間後、アデスはできあがった写真をラウに渡した。 フィルムと一緒に印画紙に焼き付けた写真も渡す。 この一週間、ずっと写真の行き先が気になっていた。一体誰のために撮ったものだろうか。 アデスは、思い切って尋ねようと口を開きかけた。 「あの……」 「アデス、この中で一番良く撮れているのはどれだ?」 ラウがテーブルの上に写真を広げて見比べている。アデスは慌てて、その中の一枚を指さした。 「え、あ、はい! そうですね……、これはいかがですか?」 半逆光で撮ったもので、ソファで本を読むラウの髪が光に梳け、白い肌が光っているように見える一枚だ。 「そうか」 ラウは、アデスが指し示した一枚をテーブルの上に残し、それ以外の写真とフィルムを持つと立ち上がった。 サイドボードの上の飾り皿を取って、テーブルの上に置き、その中に写真とフィルムを無造作に投げ込む。 アデスは、ラウの意図がつかめなくて内心首を傾げた。 だが、次の行動を見て驚きに目を丸くした。 「隊長っ!?」 驚いたことに、ラウはライターの火を皿の中に投げ込んだのだ。 みるみるうちにフィルムは融け、印画紙が燃える。 「一体、なにを……!」 数枚の写真とフィルムがすべて灰になるまでそう時間はかからなかった。 消し炭になったそれらをアデスは呆然と眺め、言葉を失う。 「これで、私の素顔を撮った写真はこれだけだ」 ラウが、残った一枚を指先で摘み、ひらめかせた。 出来得るならば焼き増しをお願いしようと思っていたアデスにとって、これは不意打ちだった。 確かに様々な危険性を考慮して、証拠になりそうなものをすべて抹消しておくやり方は理にかなっている。 だが、写真とはいえ、ラウの姿が炎に蹂躙されていくのを見るのはひどく辛かった。 「……隊長…」 とっさの呼び方が元に戻ってしまっていることにもアデスは気づいていない。 がっくりと、肩を落としたアデスにラウは、面白そうに目を丸くした。 「どうした?」 「……もったいない」 「そうか? こういうものは、この世界にたった一つしかないということに価値があるものだと相場が決まっている」 しれっと答えるラウが憎らしくもあった。 「どなたに渡すのか知りませんが、せめて見えないところで燃やしてください。あなたの姿が写ったものが燃えるなんて耐えられません!」 大きなため息と共に、つい恨めしい言葉が吐き出されてしまう。 「何を言っているのだ、お前は」 呆れた口調で、ほら、と言って差し出されたのは、唯一残された写真だ。 「アデス、これはお前が持っていてくれ」 「え……?」 「最初からお前のために撮った写真だ。――言ってなかったか?」 微苦笑のラウが、アデスの胸ポケットにそっと写真を差し入れた。 アデスの口からは、「聞いてません」という言葉は出てこなかった。 アデスは呆けたようにラウの顔を見つめる。 「お前が撮った写真を別の誰かに渡せるわけがないだろう?」 写真は、単なる記録ではない。 人の記憶を、想いを鮮明に写し残すもの。 撮った人間の想いまでも、写真は表してしまうことがある。秘めた想いすら―――。 「こんなにお前の写真は雄弁なのだからな」と、ラウは微笑する。 写真の中のラウは、おだやかな表情をしていた。 苦しみも憎しみも、その表情からは感じられない。 わずかに緩めた口元は、見方によっては微笑しているようにも思える。 これは、アデスの願望に近いラウの姿だった。 「どうせ残すのならば、お前が見ている私の姿を残したかった。ただそれだけだ」 他の者には姿を映すことすら許さなかったラウが、アデスにだけ許したのは、なぜか。 アデスは唐突に気付く。 消えゆく自分の存在を残すためか。 それとも――― 胸の奥で鳴り続ける鼓動。 溢れ出そうな感情にたまらなくなってラウを抱きしめた。 「愛しています」 「知っている」 言葉よりも写真がそれを物語っていた。 『Photograph』2009.05.03 こんにちは、どにのりんかっぱ4です。 2009年5月のスパコミで配布したアデクルいちゃいちゃSSペーパーです。 長編に入れる予定のエピソードを少し切り取ってみました。流れ的には、続・もしもBOXシリーズ18『鷹の名を継ぐ者・後編』以降のお話です。以前、チャットに参加させていただいた時にアデスの趣味の話題があって、その時に出たネタをお借りしました。冴城玲さま、浦和イロハさま、ありがとうございました! ボトルシップも魅力的なんですが、自分がカメラ好きなものですから……。写真ネタで妄想が進んでしまいました。 ※ブラウザのbackでお戻りください |