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□ □ 明日の眠りのために □ □
―――失敗作だと?
―――何のために高い金を払ったと思ってるんだ!?役に立たないクローンなどに価値はない。
怒号。そして、拒絶。
―――汚らわしい!触らないで!
―――あの子薄気味悪いわ。何を考えているのか・・・。
目の前で、そして物陰で交わされる大人達の囁き。
そして、自分に刺さるいくつもの冷たい視線。
―――この子どうするの?このままここに置いておくつもりなのかしら。嫌だわ・・・。
―――こんなできそこないに用はない!
不要だと言われ、誰からも存在を許されなかった子どもがいた。
一人暗闇の中で膝を抱え、何度も袖を涙で濡らした子ども。その涙さえ、誰にも知られることがなかった。
寂しさは悲しみへ、絶望は怒りへ、愛が憎しみへと変わったあの頃。
熱にうなされ、咽喉の渇きを訴えても誰一人自分を省みることはなかった。
苦しい息の中で、それでも救いがあると信じていたあの頃。
何度も信じ、そのたびに裏切られ、それでも夢を見てしまう。諦めてしまえば楽だったのに、どうして苦しい道を選ぶのか。
この道の先に何があるのか知りたいからか。
それとも、ないことを知りたいからなのか・・・。
目の前に広がる赤い闇。
闇?
光?
真っ赤な炎が全てを食い尽くす。忌まわしい記憶とともにあの屋敷を―――。
その禍々しいまでの赤い炎は自分の心に狂気を宿した。
そして炎は、自分の心をも焼く。
―――熱い。
―――嫌だ。誰か・・・・・・
抗う声は救いを求める声へと変わった。
◇
「熱い・・・」
自分の声で目が覚めた。汗でぐっしょりと濡れた額に手をあてる。
「・・・夢・・・か」
枕元の時計に目をやる。ギルバートの部屋で眠ってから2時間ほどしか経っていない。
薬が効いたのか、身体はいくらか楽になってきていたが、熱のせいでまだ頭がふらふらする。
クルーゼは、それでも立ち上がって、知らない間にきちんとハンガーに掛け直された制服とコートを手にとる。
身体は眠りと安静を求めていたが、このままもう一度眠りについても、またあの夢を繰り返しそうで嫌だった。だが、一人で官舎に戻っても、穏やかな眠りなど期待できない。それを知ってはいたが、この部屋で一人でいることも今は躊躇われた。
クルーゼは、コートの内ポケットから携帯電話を取り出し、掛け慣れた名前を表示する。
時間は午前4時を少し過ぎた頃だった。まだ、誰もが眠りについている時間だ。相手も家族とともに眠りについているだろうと思い、一瞬躊躇う。
しばらく携帯を見つめていたが、諦めたかのように深いため息をつき、ポケットへ戻した。
その時、突然着信音が鳴った。
慌てて再び取り出した携帯に表示された名前を見て驚く。
呆然とその名前を見続けた。静かな部屋に携帯電話のコール音だけが響く。
表示された名前は見間違えではない。
コール音が10回を数えたところでようやく我に返り、震える指で通話ボタンを押した。
『隊長!?今、どちらにいらっしゃるんですか』
聞き慣れた声が響く。クルーゼは我知らず安堵のため息を洩らしたが、それを悟られまいとして厳しい声で問う。
「何かあったのか?」
熱のためか、力なくやや掠れた声に自分でも驚く。
『あったのかじゃありません!具合はいかがですか?』
「どうして…」お前が知ってるんだと言う前にアデスが説明する。
『あなたの携帯から知らない男の声で連絡があったんです。体調を崩しているから迎えに行くようにと』
「なんだと?」
すぐに誰の仕業か思い当たって、余計なことを…と舌打ちする。
『眠ったばかりだから2時間経ったらもう一度この電話に連絡するよう、それまで待機しているようにと、それだけ一方的に言って切れたのですが・・・』
クルーゼは、自分とアデスの関係をギルバートがどう見ているのか知って不愉快になる。気が利きすぎることは、時には野暮だと心の中で罵った。
だが、確かに心の片隅では、誰かの存在を求めていた。誰かに隣にいてもらいたいという気分になるのは、体調が思わしくないせいか。
これが、いつもの発作なら間違いなく他人を遠ざけ、誰にも気付かれないようにじっと独り痛みに耐えるのだが。
今こうして差し伸べられた手を無下に払いのけることもできる。が、そうしたくなかったのは他人の体温を求めていたからか、それともただ、理由を説明するのが面倒だったからか。
(その両方だな…)
ただ、求める体温は誰でもいいわけではない。
ギルバートは、利害関係が一致しただけの契約相手にすぎない。クルーゼの身体の秘密を知り、延命の方策を探る者だとしても、二人の間に熱のこもった感情が生まれることはない。
言葉には出さない。態度にも出さない。だが、ギルバートが自分を見つめる視線にある種の哀れみのような色が混ざるのを見逃せなかった。だから許せない。
いっそ、研究者としてただ単なる被験体の一人として扱ってくれた方がまだよかった。互いを知りすぎた関係は、憎しみを生み出すことがあるのかもしれない。だが、憎しみと言えるほどの執着を持っているわけでもない。
この部屋では熟睡できないことをギルバートは知っているのだろう。だから、有無を言わさぬ方法で、アデスに電話をしたのかも知れない。
『その男が場所を言わなかったので、何か事件に巻き込まれたのかもしれないと思い心配しましたが、ご無事でなによりです』
安堵のため息が聞こえてきそうな声音だった。
『今、どちらですか?迎えに参ります』
「いや…すまなかったな。大丈夫だ」
自分でも分かるほど、掠れて力のない声に相手が気付かないわけがない。
『無理なさらないでください。そんな声で言われても安心できません。どこです?』
かすかに語調が荒くなり、クルーゼは、相手が少し怒っているなとぼんやり思った。
押し問答をしていることにも疲れた。
そして、かつては求めても得られなかったが、自分に差し伸べられた手が今ここにはある。
「・・・今どこだ?」
『衛生予防研究所の傍です』
(奴の職場の近くか…)
「B−18街区の公園にいる。南ゲートだ」
今いるギルバートの部屋から一番近い公園を指示する。
『分かりました。10分ほどで行きます』
そして、電話は切れた。
クルーゼは立っていられなくてずるずると床に座り込む。室内が滲むように歪んで見えるのは、熱のせいだと思った。そう思い込もうとした。
目じりを微かに濡らすものの正体に気付かないようにして、顔を両手で覆う。
「アデス・・・私に希望などもたせるな・・・・・・」
自分の選んだ道の先に何もないことを知るためにただ生きているのだ。自分の生に意味を、意義を求めることなど・・・。
諦めた想い、忘れかけた感情がまた甦る。
自分が再び苦しむと分かっていても、今、「嬉しい」と感じてしまう心を止めることなどできなかった。
◇
人通りの絶えた公園。
朝靄の中ふらりとゆらぐ影。
気を張っていないと倒れてしまいそうな身体を叱咤して歩く人物は、公園のゲートまでなんとかたどり着くと、脇にある街灯の柱に身体を預けた。
待ち合わせた場所で、街灯に寄りかかって身体を支えるクルーゼ。身体は汗をかくほど熱いはずなのに背筋に悪寒が走る。
(また・・・熱が上がったか・・・・・・)
熱い息を吐いて、瞼を閉じる。
先ほどの夢の続きなのか、薄い紗幕がかかったような頭の中で、子どもの頃に過ごした屋敷での光景が繰り返される。
当主の幼い頃にそっくりな幼児の姿を見て周囲の者は、最初はどこの腹に生ませた子どもなのかと訝り、その後、当主の顔色を窺うように褒めそやした。これでこの家も安泰だと誰もが口にする広間の影で、所在なげに佇む蜂蜜色の髪の少年の存在など、皆忘れていた。
そして月日は流れ、幼児の成長が異常なまでに早いことに気付いた大人達は、薄気味悪いものを見たかのように少しずつ遠ざかっていった。
決定的な異常と遺伝的な欠陥に気付いたのは、幼児が少年と言えるほど成長してからだった。
あの時、あの男が―――同じ遺伝子を持つ自分をこの世に生み出した男、アル・ダ・フラガが、自分に向けた目を忘れることができない。
激しい嫌悪。
怒り。
そして、吐き捨てられた言葉。
『できそこない』
その後、自分は「いない」者となった。そこにいるはずなのに誰も見ない。気付かない。
紗がかかった視界に青い眸の少年の姿が浮かぶ。不思議そうに自分を見つめ返す蜂蜜色の髪の少年に「誰?」と訊かれて、答えられなかったことをクルーゼは思い出した。
(私が何者かだと?……私こそ、それが訊きたい)
自嘲し、口の端が歪む。嗤おうとしたが、上手くできなかった。
背筋を駆け上がる冷気に身体が震え、膝に力が入らなくなってきた。一人で立っていることはこんなにも辛いことだっただろうか。
(早く……誰か…)
無意識に呼んだ何者かの姿が、脳裏で像を結ぶ。
(誰か…?―――私が…呼ぶのは……)
心の中に浮かんだ一つの名前を強く想う。
(……アデス!)
近くで車のドアが開く音がして、重い瞼を上げる。冷たい汗を感じながら、見慣れた姿を認めてふとクルーゼの口元が緩む。
「隊長!」
アデスが車を降りるなり駆け寄り、崩れ落ちそうなクルーゼの身体をその胸に抱き寄せた。
温かな空気がクルーゼを満たし、男の胸の中でほっと小さなため息をついた。そのことにアデスが気付いたかどうか…。
「…アデス」
力なく囁かれた名前にアデスは抱きしめる腕の力を強めた。
「すみません。遅くなりました」
抱きしめられるままに、相手に身体を預けたクルーゼはそのまま意識を手離した。
◇
眠るように意識を失ったクルーゼを官舎に送り届けて、ベッドに寝かしつける。
コートと制服を脱がし、熱い湯で固く絞ったタオルで汗を拭う。
汗で首筋や額にまとわりつく髪をかきあげてやると、眠る人が何事か呟いた。
「…み…ず……」
これだけ汗をかけば脱水症状になるのは当たり前だ。とにかく水分を摂らせようと、慌ててキッチンへ走ったが、病人に飲ませる吸い口など、この部屋にあるはずもなく、仕方なく水をグラスで持って来た。
どうやって飲ませるか悩んだところで、手段は一つしかない。
アデスは意を決してグラスを呷る。そのまま口移しで水を何度もクルーゼに飲ませた。
グラスが空になるまで飲ませたところで、こういう時はスポーツ飲料の方がいいのだと思い至った。
上官のこんなに弱った姿を見たことがなかったので、自分もかなり動転していたようだ。
とりあえず冷蔵庫を開けてみたが案の定そんなものは入っていない。以前来た時も思ったが、クルーゼの部屋はおよそ生活感のかけらもない部屋だ。食料の買い置きなどあるはずもなく、病人の看病に最も適さない部屋だった。かといって、彼を病院に連れて行くわけにもいかない。
彼の抱える秘密については、本人から直接聞いたわけではなかったが、なんとなく気付いている。
クルーゼの不調は、病気に耐性の強いコーディネイターとしては、異例といってもいい。だから、公になるような行動は慎むべきだった。
アデスは、もう一度クルーゼの寝顔を見る。
だいぶ呼吸も落ち着いてきたようだ。額に手をあてて熱を確かめ、指を滑らせて頬を手の平で包み込む。
クルーゼの表情が穏やかになるのを眺め、静かに部屋を出た。
◇
目を覚ました時、クルーゼは自分が一瞬どこにいるのか分からなかった。見慣れた天井に自分の官舎へ戻ってきたことを知った。
公園でアデスの顔を見てからの記憶がない。
ただ、眠っている間に自分の傍にいる男のぬくもりを感じていたような気がする。頬に、額に、唇に感触が残っている。
そのせいだろうか、あの後、嫌な夢を見なかった。
(そうだ……アデスは…?)
ベッドで身体を起こし、自分をこの部屋へ連れ帰ったはずの男の姿を探したが、自分以外の人の気配を感じない。
(いない…?帰ったのか……)
急に室温が下がったかのような気がして、クルーゼは自分の肩を抱く。
自分はどうしてこんなに落胆しているのか―――別に期待をしていたわけではない。
期待?
何に?
誰に?
期待することなど、とうに諦めたのではなかったか。
シーツの端を握り締める。どうしてこんなに胸が痛いのか…。シャツの胸を掴み、痛みを堪えるかのように身体を折る。寒さに震えて、毛布をかき寄せた。
(ひとりが辛いなど……)
この寒さが体感温度によるものだけではないことに気付いてはいた。独りでいることに慣れたはずだと自分では思うものの、寒さは一向に和らぐことはない。
堅く握り締めた手に視線を落とす。
(どうして―――)
その時、玄関の方から物音が聞こえた。びくりと身体を竦ませ、顔を上げる。
「隊長?」
手提げ袋を手にしたアデスがそこに立っていた。
「もう、起きて大丈夫なんですか?」
アデスは、買ってきたスポーツ飲料のボトルを袋から取り出しながらクルーゼに歩み寄ろうとして、自分を見つめる視線に気付く。
そして、息を呑んだ。
(な…んて……顔をするんだ。この人は!)
一瞬泣き出すのかと思った。
切なげに寄せられた眉根。
見間違いかと思ったその瞬間、クルーゼは安堵したような表情を見せた。
それもほんの一瞬だけ。
垣間見せた表情を隠すように俯いたクルーゼにアデスは思わず腕を伸ばす。
震える身体を抱き寄せ、子どもを落ち着かせるように、温めるように優しく抱きしめる。
金髪を梳くように撫でると身体の強張りが少しずつ解けてゆく。
「……大丈夫です。ここにいます」
耳元で囁くと、クルーゼが言葉なく頷いた。
◇
午後4時をまわってようやく目を覚ましたクルーゼ。8時間以上ぐっすりと眠れたせいか、身体もだいぶ楽になったようだ。
アデスはその間ずっと傍にいて、氷嚢を取り替えながら寝顔を眺めていた。
自分の手を氷で冷やして眠る人の頬に触れると、気持ちよさそうに吐息が緩む。
とにかく身体を労わってやりたいと思い、それを繰り返していた。
「まだ熱ありますね」
額に手をあてて熱を測った後、体温計を耳にあてる。わずか1秒足らずで小さな電子音がして、測定が完了した。
「37度6分―――ここで油断するとまた上がりますよ」
「これでも…下がった方だ」
アデスが苦笑して立ち上がる。
「薬はこれでよろしいですか?」
クルーゼのコートから薬の袋を取り出す。医院名など、薬の処方もとの記載が一切ない白い小袋に、手書きで薬の種類と一回の分量などが記されていた。
アデスは、それを読みながら、ふと、この薬を処方した人物が電話の主ではないかと思った。
クルーゼは何も言わないし、自分も何も聞くつもりはない。
ただ、電話の主の声をどこかで聞いたような気がしたことと、医師としては随分若い声だったと思った。
(とにかく隊長が回復すればいい。詮索はするまい)
そう心に決めていたので、その後は一切考えないことにした。
薬を数種類と水の入ったグラスを手にベッドへ戻ると、クルーゼがベッドに横たわったまま手招きする。
アデスが何事かと身をかがめて顔を寄せると、耳元に唇を寄せて囁く。
「飲ませてくれ」
体調が悪いのにアデスをからかうことを忘れていないらしい。
逆にからかう余裕が出てきたということは、快方に向かっているということでもあるので、アデスは困惑する一方で、内心安堵した。
クルーゼは、困った顔のアデスを見て満足したのか「冗談だ」と笑う。
アデスはため息をついて、腕をクルーゼの首の裏に入れて頭を少しだけ起こさせる。グラスを呷るとクルーゼの唇に自らの唇を寄せた。
唇が触れ合うと、少しずつ、口移しで水と薬を飲ませた。
普段は白さの目立つ首筋は、今はうっすら淡く色づき、アデスは、薬を嚥下する咽喉の動きに目をやってなぜか赤面する。
さっきも同じように口移しで水を飲ませたのにこんな気持ちにはならなかった。あの時はとにかく必死だったからだろうか。
他人の咽喉の動きをこんなに悩ましいと感じたのは初めてだ。
ぐらつく気持ちを「病人相手だ」と自分に言い聞かせて堪える。そんな自分の心を知ってか知らずか、熱で潤んだ瞳はもの言いたげにアデスを見つめる。
上気した肌に濡れた唇は、いつもより赤みを増していて―――誘うように薄く開かれた唇からは行儀良く並んだ歯列と舌が覗く。
「薬…まだ足りないな」
掠れた声でクルーゼが囁く。
その言葉に苦笑してアデスが、クルーゼの唇を軽く啄ばむ。
唇が額に触れ、瞼と頬を伝うと、くすぐったいような表情でクルーゼが笑う。
その唇にアデスは角度を変えて何度も口付けた。
「……ン」
深くなる口付けにクルーゼの口から甘い声が上がる。
「副作用はないはずですが――」
吐息が熱く感じる。
舌を絡めて互いの快感を誘うような口付け。
「……自分の熱が上がりそうです」
ぽつりとアデスが呟いた。
END 2005.0525 どにのりんかっぱ4
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