※24話後のお話です。




++日常が終わる時++






いつも通りの夜。

窓から差し込む月明かりが白い横顔を照らし、閉ざされた瞼を縁取る睫毛が青い影を落としている。
青い影に支配された室内に佇むのは、痩身の青年だ。静かに寝台に歩み寄る青年の気配にも眠る人物は気付く様子はない。
主の様子を見にやって来たカノンは、主の眠りが安らかなことを確かめると小さく息を吐いた。
普段と変わらない寝顔。
変わらない日常。


眠るシュナイゼルを見下ろし、カノンは呟く。

「いっそ、この手で……」

震える指がシュナイゼルの喉に伸びた。









「ゼロ様、なんなりとお命じください」

カノンにとって生涯で唯一絶対の主が膝を折り、頭を垂れた。
その瞬間、カノンの身体から全ての力が失われていく。
薬で霞む視界の中で、そのワンシーンだけがはっきりと目に焼き付いた。皮肉なことに、一番見たくないその姿だけが、薄れゆく記憶の中で鮮明に残ってしまった。
敵に膝を屈する我が主の姿。
その瞬間、カノンの胸に去来したのは後悔と絶望と、そして、奇妙な安堵感。

(ああ、やはり……)

深い吐息に苦い色が混ざり、静かにこぼれ落ちた。





ルルーシュの言葉が蘇る。

『貴様は気付いていたのではないのか? シュナイゼルの欠点に』

欠点――そんなものはない、とは言えなかった。ただ拳を強く握り唇を噛みしめた。

シュナイゼルは常に冷静に時局を見定め、諸外国と交渉し、時には非情なまでの決断を下す。
彼の才能を皆が認めており、彼の指示に従っていれば、我が国には常に勝利がもたらされた。
神聖ブリタニア帝国の宰相として、辣腕を振るう姿を側近であるカノンはずっと見続けてきたのだ。

シュナイゼルは、カノンの誇りであり、彼に仕えることは喜びだった。
私欲に流されず、凡庸な第一皇子を立て、常に国家のために尽くすシュナイゼルは、皇位争いの不穏な噂とは無縁だった。
そう、噂にすらならなかった。
皇位に最も近い場所にいながら、それを求めなかった。
なぜシュナイゼルにはわき上がる衝動や欲求がないのか、カノンにとっては、それが歯痒くもあったのだ。



その彼が初めて望んだこと。

『では、私が皇帝になろう』

胸が震えた。
切望していたその言葉を彼の口から聞いた時、言いようのない歓喜に満たされた。
シュナイゼルが帝位を望んだからではない。自分の命にすら執着しなかった彼が、初めて何かに対する執着を見せたかのように思えたからだ。

だが、喜びと共に胸に落ちた小さな染みのような不安。

混迷する世界情勢と、ゼロとの戦いの行方を見定めて、自分が皇帝になることでしか世界は平和にならないと判断した結果だと思いたかった。
単なる手段の一つとして望んで見せただけだとしても、シュナイゼル自身がそう思い立ったのならば安堵できたというのに。

それなのに、「皇帝になろう」というその決意さえ、他人に望まれたからに過ぎなかった。

(あの時は……そう、ナイトオブセブン、枢木スザクが望んだのだわ。殿下に皇帝になれと……)

スザクが望んだ、あの一言がきっかけとなった。
「俗事」と言いきった皇帝シャルルは世界に不要な、害をもたらすだけの存在に成り下がった。人の生きる世界を顧みなくなった皇帝をシュナイゼルは否定した。
周囲が期待し、自分を望むのならば……世界がそれを望むのならば、シュナイゼルはそれに応えるだけだ。
常に周囲が望む顔になるために仮面をかぶる。
シュナイゼルにとって仮面をかぶることは容易い。
なぜなら本当の自分というものがないのだから。

――気付いてしまった。いや、見ない振りをしていただけだ。

(殿下は、王にはなれない)

シュナイゼルには、絶対的に足りないものがある。
それを気付かされてしまったから……。




ギアスによってねじ曲げられた意志とはいえ、ゼロの下で宰相としての能力を遺憾なく発揮するシュナイゼルの姿は、カノンが長年敬愛し続けてきた主の姿だった。
あの時以来、シュナイゼルは一見変わらない日常を過ごしている。

ただ一つの変わったこと。
彼の上に立ち、彼を支配する王が、シャルルからゼロに変わっただけだ。

(人は誰しも支配されることを望んでいる……殿下の言葉だったわね)

カノンは自嘲気味に唇を歪めた。
欲を持たないシュナイゼルが、生きるためには必要だったのだ。

――絶対的な支配が。

(殿下が……殿下らしく生きていくためには、前皇帝のように、あの方を束縛する強大な力が必要だったんだわ……)

ただ時を浪費し、生きているだけの人生など、シュナイゼルには似合わない。
知性にあふれ、誇り高い彼にとって、放蕩貴族のようにただ日常を繰りかえすことは苦痛でしかないだろう。
政治の舞台から退き、ただ安寧で倦んだ日々など、彼にとっては死より苦痛なことだ。

(殿下にとって、これで良かったのかもしれない……)

そう一瞬でも思ってしまった自分に戦慄した。
超常の力でシュナイゼルの意志をねじ曲げ、従わせたギアス。絶対遵守の支配する力。
他人の意志をねじ曲げ、生き方を否定し、全てを歪ませるギアスなど認めてはならない。そう思うのに、心の片隅では、どこか安堵していた。

ダモクレスとフレイヤという恐怖による世界支配。
コーネリアを切り捨て、ナナリーを見捨て、そして勝ち得た未来は、本当に平和で幸せな世界なのだろうか。
シュナイゼルは、それで幸せなのだろうか。

ずっと考えていた。
箍が外れて静かに違う世界へと進み始めてしまう彼の姿を見たくなかった。

自分は殿下の望み通りに動き、彼に従う人間だ。自分には止められない。
自分には、彼を支配することなど出来ない。してあげることもできない。

だが、ギアスが彼を止めた。



自分はそれを悲しむべきなのに、呪うべきなのに……。







いつもと変わらぬ夜。
シュナイゼルは、眠り続ける。

「どうして、私は……」

震える指は、白い首筋に触れる直前に止まった。
カノンは、堰を切ったように溢れ出す感情を堪えることができなくなってて、その場に崩れ落ちるように膝をついた。

「……っ」

嗚咽が洩れないように口元を押さえたが、体が震えるのを止めることができない。
子供のようにしゃがみ込んで、顔を覆う。
自分の気持ちが信じられなくて混乱していた。

ふいにあたたかな手がカノンの頬に触れた。
驚いて顔を上げる。

「カノン? どうかしたのかい?」

寝台の上で少しだけ身体を起こしたシュナイゼルが、困ったように小首を傾げている。カノンは慌てて、背を伸ばし片膝をついたまま居住まいを正した。

「いえ、…失礼しました。お休みのところ、お邪魔をして申し訳ありません」

とっさに言いつくろってはみたものの、勘の良いシュナイゼルを騙すことはできないだろう。
案の定、頬に触れたシュナイゼルの指先が、目尻に滲んだ涙をさりげなく拭う。

「で、殿下」
泣いていたことがばれてしまい、カノンは狼狽した。

「苦しいのかい?」
穏やかに耳に響く声に胸を衝かれた。

「いいえ」
カノンは、ゆっくりと首を振って、頬に触れるシュナイゼルの手の甲に自分の手の平を重ねた。
「では、……どうして?」

「殿下の……ご無事を間近で確かめて、改めて安堵したからですわ」

「いつも私の傍にいるだろうに。触れてみないと安心できなかったのかい?」
シュナイゼルが、クスリと笑う。

その仕草も苦笑する表情もいつもと変わらない。
それが、余計に辛かった。

「そう…かもしれません」

カノンは、胸の痛みを堪えて微笑する。
ゆっくりとシュナイゼルの手を離し、立ち上がった。

「明日も、早いですからもうお休みください。私もこれで失礼させていただきます」

「君も、あまり無理せずもう休みなさい」」

こうして交わすあいさつもいつも通りだ。
シュナイゼルの声も、穏やかな微笑も、カノンの頬に優しく触れた手も……変わらない。
こんなにも世界は大きく変わってしまったというのに。

今の自分を取り巻く日常が、今まで通りであればあるほど、カノンの心は冷えていく。

(すべてが夢だったらよかったのに……)

残酷なまでの、昨日までとの「違い」に対応しきれなくて、カノンは苦しくて悲しくて窒息しそうになる。

「明日には、ゼロレクイエムへ向けて本格的に動かなくてはならないからね。今のうちにゆっくりおやすみ」

シュナイゼルが、微笑する。


「はい。……おやすみなさいませ」


カノンは、きつく拳を握りしめ、慇懃に一礼した。




end 

2008/09/25



それでも、カノンはシュナ様から離れないんだよ。それがきっとカノンの覚悟なんだよ。ルルもカノンにはギアスをかけないといいな!


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