++お茶の時間++





「殿下、少しお休みになられてはいかがですか」

宰相付き補佐官のカノンが、顔色の優れないシュナイゼルを案じ控えめに声をかけた。
シュナイゼルは、ここ数日、政務に追われろくに睡眠をとる暇もなく、周囲が「殿下はいつ眠っておられるのだ」と不思議に思うほど眠る姿を他人に見せなかった。
普段と変わらぬ様子で、決裁文書にサインをし、的確に指示を与えていく帝国の宰相閣下からは疲れなど微塵も読み取れない。
尤もシュナイゼル自身が気づかれないように振る舞うのが、幼い頃から習い性になっていたため、限界まで無理をして、気づいたときには倒れる一歩手前だということが多い。

そんなシュナイゼルの体調管理まで本人に代わって気遣うのが側近の役目でもあった。
政務の補佐だけならまだしも、皇族のプライヴェートな部分にまで踏み込んで二十四時間体制で世話をすることは、なかなか骨の折れることだった。愛がなければやっていけない。そう、「忠義」も一種の「愛」である。

カノンは、執務机ではなく、ソファカウチのあるローテーブルの方へお茶の用意をさせた。
執務机にそのまま用意すると、書類を見ながらお茶を飲みかねない。それでは、休憩にならないと思ったからだ。
こんな時こそ、姫君か弟皇子の誰かでも来れば、無理矢理にでも休憩をとってもらうことができるのだが、肝心な時ほど来客はない。尤も、相手によっては逆に騒がしくなってしまい、シュナイゼルの気疲れが増すだけの場合もあるから注意が必要だ。

「殿下、お茶などいかがですか」

準備万端整ったところで、頃合いを見計らってシュナイゼルをソファの方へ誘う。

「ああ、いただこう」

シュナイゼルは席を立つと、すっかりお茶の支度が整ったソファに腰を下ろした。
柔らかなクッションに背中を預け、カノンが淹れた紅茶に手を伸ばす。
カップを満たす香気豊かな紅色と茶葉の香りを愉しみ、一口だけ口に含んだ。

「うん、おいしいね。君の淹れてくれるお茶が一番落ち着くよ」

「ありがとうございます」

温かい紅茶で喉を潤したシュナイゼルは、ほうっと息を吐く。

「あまり根を詰めすぎますと、お体に障ります。そろそろ二十時間経ちますので、一度仮眠をおとりになった方がよろしいかと」

「もう、そんなに? 集中しすぎていて気がつかなかったよ。そういえば、確かに少し疲れたかな? 君は私以上に私のことが分かっているね」

「恐れ入ります」

この一言は何よりの褒め言葉だ。
カノンは、嬉しさが満面の笑みとなって現れてしまうのを堪え、慇懃に一礼した。彼の良いところは、知性と騎士並の武勇を持ち合わせている上に、女性的な気遣いまでできるところだ。

「主要事業の決裁はいただきましたので、残りは明日でも問題ありませんが、いかがなさいますか」

「いや、もう少し気になることがあるから片づけてしまうよ。君にもつきあわせてしまって悪いね」

「いえ、私のことなどより、殿下のお身体の方が心配です」

「……ああ、そうだ」

何か思いついたらしく、シュナイゼルが紅茶のカップを置いた。

「カノン、こちらへ」

「はい」

手招きされるままにシュナイゼルへ歩み寄った。すると、隣に座れと命じられる。

「君もずっと私の傍で補佐を続けていて疲れただろう。一緒にお茶にしよう」

「畏れながら、臣下が主と同じ席につくことは禁じられております」

畏れ多くも主と同じテーブルにつくことはおろか、同じソファで隣に座り、お茶を飲むなど臣下にあるまじき行為だ。カノンは、シュナイゼルの気持ちだけを受け取り、やんわりとお断りしようとしたが、シュナイゼルには通じなかった。

「誰が駄目だと決めたのだ?」

「昔からそういうものだと決められております、という言い方は私も嫌いですし、殿下もお嫌いでしょうから、これは私のけじめですと申し上げておきます。何よりも他の者に示しがつきません」

「ロイドは、いつも私のお茶を飲んでいくよ?」

「殿下、あれは例外というよりも、罰当たり者の罰当たりな行動です。あの変人を世の中の基本としてはいけません」

「……そう。だが、私は君とお茶したかったんだがね」

シュナイゼルは、がっかりとした表情で視線をカップに落とした。
大人に諫められてシュンとしてしまった子供のような態度にカノンの気持ちがぐらりと揺れる。そんな事を言われたら思わず自ら課した規律を破ってしまいそうになる。なんとも罪作りな主だ。

(ああっ……もう、お可愛らしすぎるっ)

我が主ながらいつも胸をキュンとさせてくれる。
カノンが内心嬉しい悲鳴を上げているところへ、シュナイゼルが言った。

「それでは、命じよう」

「は……?」

「カノン・マルディーニ伯爵、ここに座って膝を貸しなさい」

他人に命じることに慣れた支配者の声が静かに響いた。呆気にとられたカノンに、シュナイゼルは駄目押しとばかりに言った。

「これは命令だよ?」

「はい!」

静かだが、否とは言わせない声音にカノンは条件反射で返事をしてしまった。
同時に腕を掴まれ、引き寄せられるままにシュナイゼルの隣に腰を下ろす。動転したままのカノンの耳元でシュナイゼルが囁いた。

「……いい子だ」

耳元に響く美声と、その内容に思わす腰砕けそうになった。既に座っていたので醜態を晒さずに済んでよかったと、カノンは心から思った。
シュナイゼルは、そのままゴロンと横になってカノンの膝の上に頭を乗せた。

「殿下っ」

慌てたのはカノンだ。思わず上擦った声を洩らしてしまう。
自分の膝の上に敬愛する主の頭がある。柔らかな金髪と秀麗な顔がすぐ眼下にあるこの状況が信じられない。頬が火照り、心臓が煩いほど高鳴っていて、膝の上のシュナイゼルにも聞こえてしまうのではないかと思った。

「シュナイゼル殿下!」

わずかに抗議の色がにじんだカノンの声を無視してシュナイゼルは気持ちよさそうに目を閉じてしまった。

「うん…? 少し眠る……」

そのまま、すうすうと寝息を立てて眠ってしまった。カノンは呆れて何も言えない。
シュナイゼルの休憩を妨げぬよう、人払いをしてあるが、いつ誰が呼びに来るか分からない。
こんな姿を見られたら、余計な誤解を生むのは間違いない。自分は誤解されても全く構わない(いやむしろ嬉しい)が、殿下のマイナスイメージにつながるのは御免被りたい。
ただでさえ、自分は見た目と口調で、いらぬ誤解を与えやすいのだから。それに、これでは下の者に示しがつかない。

だが、カノンは、心の葛藤とは別に、この状況にものすごく幸せを感じている自分がいることにも気づいていた。これはこれで、かなりの役得だが、ある意味拷問だ。少しは、自分の気持ちに気づいて欲しい。

「あまり、お可愛らしいことをなさると襲っちゃいますよ」

柔らな金髪をやさしく撫でながら囁いた。

「……それは、困るなぁ」

夢現で小さく呟いたシュナイゼルは、そのまま睡魔に襲われて眠りの底に落ちていった。




   *




「あれぇ?」

取り継ぎも待たずに部屋に入ってくるなり、素っ頓狂な声を上げた人物をカノンが軽く睨み、人差し指を唇の前に立てる。静かにしろという合図だ。

こそこそと忍び足でやって来たロイド・アスプルンド伯爵は、シュナイゼルの私室に勝手に入ってもよいというお墨付きをもらっている唯一の人間だ。
遠慮というものがない変人は、宰相閣下の政務中だろうが何だろうが気にも留めず入室して、自分の用件だけ済ませると主のご機嫌伺いすらせずに帰っていくことが日常茶飯事だ。
しばらく姿を見ないなと思ったら、勝手に予算をナイトメアの開発につぎ込んでいたり、ある日、突然請求書の束がシュナイゼル宛に届いたりする。山賊まがいのならず者でもある。
ロイドは、カノンの膝枕で眠っているシュナイゼルを見下ろし、小声で囁く。

「いつの間に手懐けたの、コレ?」

「無礼な。コレとはなんです、コレとは。殿下はお休みです。用があるなら出直していらっしゃい」

シュナイゼルを起こさないように、互いにひそひそと言い合う。

「ええぇー、ちょっと急ぎの用なんだけどぉ」

「だいぶお疲れで、ようやく仮眠をとってくださったところなの。これ以上殿下の睡眠を妨げるなら相手になるわよ。ただし、剣でね」

カノンは、ロイドを見て剣呑な笑みを浮かべた。
こういう主一筋の人間を怒らせると怖いので、ロイドは肩をすくめて引き下がったが、そのまま帰らずに一人掛けのソファに勝手に座り込んでしまう。

「ちょっと、ロイド」

「えー、別に黙ってればいいんでしょお?」

この男は、シュナイゼルとの二人きりの至福の時を邪魔したばかりでなく、居座る気なのだ。
カノンは正直ムカついたが、この男相手に何を言っても無駄だと悟り、ため息をついた。

「じゃあ、目を覚まされるまでそこで待ってなさいよ。とにかく静かにしていて」

「はいはーい」

ロイドは、ソファにだらしなく凭れると、シュナイゼルのために用意したお茶菓子に手を伸ばす。
ロイドのそうした態度はいつものことなのか、カノンも別に咎めなかった。
焼き菓子をペロリと平らげると、口元に菓子のカケラをくっつけたまま辺りを見回している。カノンが見かねて、ロイドの欲しいものの場所を指差して教えてやると、いそいそと立ち上がって、ティワゴンまで行ってお茶を淹れた。
ティポットに適当に茶葉を入れ、熱湯を注ぎ、適当にお茶を二人分淹れて戻ってきた。どうやらカノンの分らしい。

ロイドにしては気が利きすぎているが、気が利きすぎて空回りしている。
シュナイゼルに膝枕をしているこの状態で、お茶なの飲めるわけがない。
「お茶をこぼして殿下のお美しいお顔に掛かったらどうするつもり!?」とツッコミたかったのだが、やめた。ロイドらしいといえば、限りなくロイドらしいからだ。

ロイドは、自分で淹れた紅茶をまずそうな顔でちびちび飲んでいる。そのお茶も飲み干してしまうと、今度は手持ち無沙汰になったのか、部屋の中をうろうろと歩き回り始めた。
調度品を眺めたり、壺をひっくり返したり……放っておくと、執務机の上まで物色されかねないので、カノンは止めたかったのだが身動きができない上に大声を出すわけにもいかない。
どうしようかと悩んでいるうちにテーブルの上のデザートナイフが目にとまった。

(仕方ない。いざとなったらこれで)

刃はないが、銀食器だ。当たれば怪我をすることは確実だが、ロイドにとっては自業自得だから構わないだろうと思っていると、不穏な思考に気付いたのかロイドがソファに戻ってきた。

「ねえ、暇なんだけど」

「少しは大人しくしていなさいよ」

「もう、起こしちゃお?」

「駄目よ」

短いやりとりの後、押し黙ったロイドはソファの肘掛け部分にお尻を乗せて、カノンの肩越しにじっとシュナイゼルを見下ろした。
カノンとロイド、二人分の視線を間近に受けながらシュナイゼルが目を覚まさないのは、普段から他人の視線に慣れているからに他ならない。皇族として、帝国宰相として臣下に傅かれ、常に一挙手一投足を注目されているシュナイゼルには、おそらく見られるということに羞恥を感じることはないのだろう。

「相変わらず、無駄に綺麗な顔してるよねぇ。……こう無防備だと、悪戯したくなっちゃうなぁ、あははは」

「馬鹿なこと言わないの」

「案外期待されてるかもよぉ?」

ロイドが、ンフフフと喉の奥で含み笑いをして冷やかす。
カノンは、小首を傾げて頬に手を添え、フウッと悩ましげにため息をついた。


「本当にそうだったら、いいのにね……」


思わず本音が洩れてしまったカノンに、ロイドが目を丸くした。











『お茶の時間』2008.08.16




あれ?なにこの夫婦……。なんか少女まんがみたいな展開に呆然です。カノンさんて乙女ちっくな攻めなんだと思う。膝枕してあげている方が攻めなんだよ! 今回のロイドさんは、お邪魔に来ただけになってしまったけど、もっとちょっかい出してしまってもよかったかも。とにかく、3人でにゃんにゃんしているお話を読みたくて仕方がありません。



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