+いちばん上の兄上と+







「兄上、お加減はいかがですか?」

耳に心地よいテノールが響く。
寝台に横たわった人物は、見舞いに訪れた弟の声に身体を起こし、やんわりと微笑んだ。

「ああ、そのままで……。お体に障ります」

心配そうにベッドの脇へ歩み寄り、膝を折って身体を支える手には白い手袋。
彼が皇族服のまま膝を折ることなど、皇帝以外の前ではめったにあることではない。
それを寝台の上の人物は知らなかった。
見舞いの花を持ってシュナイゼルの背後に控えている侍従は、内心驚いたものの沈黙を守り、主の目線に促されるまま、第一皇子の侍従に花束を渡す。

「いや、大したことはない。風邪をひいただけだから……。周りが騒ぎすぎるのだよ」

「まだ、お顔の色が優れないようです。私にお気になさらず横になっていてください」

「せっかく見舞いに来てくれたのに、そのままでは宰相閣下に失礼だろう?」

「何を仰るんです。弟の私に対してそんな他人行儀なご心配は無用ですよ、兄上」

「すまないね、こんな格好で。君は外相会談の直前だろう? 忙しい宰相閣下の手を煩わせてしまったのだから、申し訳なくてね」

「兄上。それ以上仰ると、私も皇太子殿下とお呼びしますよ」

若く美しい弟が困ったように眉を寄せて、第一皇子に言った。
十歳以上も年の離れた弟は、若くして帝国宰相となるほど非凡な才能を内外に知られた自慢の弟だ。
それに比べて自分は、皇太子と呼ばれる第一皇子とは名ばかりで、凡庸な男だった。
唯一、弟に勝っている点と言えば、生まれた順番だけだ。
臣下や貴族達が自分のことを何と言っているのか知っている。
だが、そんな言葉にも、もう慣れた。

第一皇子オーレリアは、第98代神聖ブリタニア帝国皇帝ルイツ・ラ・ブリタニアの第一子だ。
幼い頃から、皇太子として周囲に期待され、自分の力量以上のものを望まれてきた。
おもねる貴族、失脚を望む皇妃達の視線、自分が居なくなることで利を得る者たちの水面下での策謀。常に人の目がある息苦しい生活……望んだわけではないのに強大な皇帝を父として生まれた自分の境遇を呪ったこともあった。
だが、シュナイゼルが生まれ、彼が成長するのに従い、その才能が芽生えてきたことで、オーレリアの周囲は一変した。

弟に統治者としての才覚が備わっていたことに一番喜んだのはオーレリア自身だった。
その時の感情を一言で表せば、「肩の荷が下りた」だ。
その後は、貴族の注目も、皇族の間での権力争いもすべて弟に任せ、悠々自適な生活を送っている。

「シュナイゼル、君が来てくれただけで嬉しいよ。忙しすぎて、疲れてはいないかい? 皆が君には期待しているからといって、あまり無理をしないように」

「はい、兄上。肝に銘じます」

「ならば結構……ゴホッ」

急に咳き込んだ第一皇子の背を優しく撫でながら、ベッドサイドに置かれた水のグラスを手に取り差し出す。
水を一口飲み、促されるまま再び寝台に横たわった第一皇子の手をシュナイゼルが取った。

「兄上こそ、ご無理をなさいませんように。喉に負担が掛かります。もう、これ以上はお話しにならない方がいいでしょう」

兄の手を握って、語りかけるシュナイゼルの声は、聞く者の心を惹き寄せる。そして、切なげに寄せられた眉根とその表情は、心から兄を心配する弟そのものだ。

「そんなことは……。久しぶりに会えたのだから、もう少し話をしていたかったが無理かな?」

「兄上がそう仰るなら、喜んで。――――ですが、無理はいけませんよ」

眩しいほどの笑顔が、オーレリアの間近にあった。

「陛下はいかがお過ごしかな?」

「特に変わったご様子はありませんよ。兄上も参内なさればよろしいのです」

「いや、父君は用もないのに私にお会いになろうとはしないだろう。建国記念式典でお会いして以来、お目に掛かっていないな……」

「兄上……。兄上が陛下をお支え申し上げなければ」

「あの父君に支えなど必要あるものか。それこそ思い上がるなと叱責されてしまうだろう」

自嘲気味に語るオーレリアの声は重い。

「代わりに君がこの国を支えてくれ。私には……」

父を……とは言わなかったオーレリアは、この国の今の在り方に疑問を感じてはいても何も出来ない自分を恥じていた。その責務を全て弟に委ねて、自分は逃げていることも……。

「兄上!そんなにお心の弱いことでどうされます。今は、病で気持ちも弱っておられるのです。早く癒してお元気になってください。我ら弟妹らをお導きくださるのは兄上しかおられません」

「君には頼ってばかりだな。不出来な兄のために君にも苦労をかけるね」

そう自嘲するオーレリアの手をしっかりと握り、励ますシュナイゼルは表情と言葉とは裏腹に内心冷めていた。
シュナイゼルは、良くも悪くも皇帝の血最も色濃く継いでいた。兄が心配する以上に、今の境遇が肌に合っていたのだ。
だから、オーレリアが自分に対して負い目を感じている姿に苛立ちを覚えることがある。

(兄上とは違うのですよ)

それは、決して口には出さないけれど、シュナイゼルが兄へ対して思うこと。
自分は、現状に甘んじたりはしない。自分の居場所は自分でつくりだす。
誰かに与えられたり、譲られたり、押しつけられた役割などでは決してない。
自ら望んで、実力で周囲を納得させ、勝ち取ったものだ。

(だから、あなたに心配していただく謂われはないのです)

自ら争うことをやめたオーレリアに同情される覚えはないのだ。
だから、兄が自分に対し同情的な言動を腹立たしく思うこともあったのだが、もはやそれにも慣れた。

「兄上がいらしたからこそ、私は今ここにいることができるのです」

第一皇子に微笑みかけたシュナイゼルは、オーレリアの手を頂くとその甲に口づけた。















「いかがでしたぁ? 第一皇子殿下のご様子は」

技術部のラボに顔を出したシュナイゼルは、馴染みの研究員に尋ねられた。
ロイドにしては、珍しいことを聞いてくるな、思ったシュナイゼルは、内心意外に思いながらも人好きのする笑顔を浮かべた。

「相変わらずだったよ」

「あはぁ、そうですか。それでご機嫌がよろしいんですかぁ」

ロイドの言葉に目を丸くしたシュナイゼルが面白そうに笑った。

「どうしてそう思う?」

第二皇子に対しても物怖じしない態度のロイドは、パソコンに向かったまま飄々と答えた。

「やだな、貴方が第二皇子だからですよ。最初から一番ってお好きじゃないでしょ?」

抽象的な言い回しにシュナイゼルが苦笑した。

「ああ、そうだね……私が、第一皇子だったら、つまらない生き方しか送れなかったと思うよ」

「おやぁ、今日はどうしたんですかぁ? 貴方にしては本音が出ちゃってますよ」

ロイドもまた、饒舌なシュナイゼルを意外に思った。

「あの人が下手に第一皇子としての義務と権利を自覚したら、やっかいだよ。名実共にこの国のbQになってしまう。私ごときでは太刀打ちできないような……ね」

「またまたぁ〜。そんなことは貴方のお力でどうにでもしようと思ってるくせに」

「あの方が第一皇子でいるから、貴方は自由にいろんなことができるんでしょぉ?宰相になって、各国を飛び回って……第一皇子殿下には許されませんものね。どんなに実力を持っていても、本国にカンヅメじゃあ、このご時世、力の見せ場がないでしょ。貴方の身分は、そこそこ自由が利いて、権力も持っていて、ちょうどいいんじゃありません?」

「言うね」

苦笑したシュナイゼルが意味ありげにロイドに視線を流す。
確かに第一皇子の身辺警護は、宰相とは違う意味で厳重だ。
第一皇子と第二皇子が揃って外遊することは絶対にない。どちらかが必ず国内に残らなければならないのは暗黙の了解となっている。
皇位継承権を持つものは他にも大勢いる。何かあれば代わりは確かにいる。
だが、まだ弟妹らは精神的に幼く、帝国は統治する才覚は備わっていない。
だからそれは、万が一の場合、皇位継承権上位の二人の命が同時に失われないようにするための当然の配慮だった。

宰相ともなれば、外交や様々な政治的調整のため本国を離れる機会も多くなる。競争相手がいてこそ燃える性格のシュナイゼルには、各国の首脳陣と頭脳戦を繰り広げる外交の場は、自分に最適の舞台だった。

「駆け引きや策謀に生きがいを見つけちゃう人生ですかぁ……高貴な方々はたぁいへんですねぇ」

「研究に生きがいを感じる君も大変だと思うけど」

「でも、だから、お役に立ててますでしょ? ア・ナ・タのv」

眼鏡の奥でロイドの瞳が笑う。

「そうだね、助かっているよ。私のロイド」

シュナイゼルが笑う。だが、瞳は笑っていない。






この国の第二皇子であり、帝国宰相でもある彼は、白かと思えば、黒にも見える。
だから、この上司は面白い。

ロイドは目の端で主の表情を盗み見て、口元を緩めた。






end







第一皇子ってもっと卑屈でひがみっぽい人なのかと思っていたけど、意外とお人好し体質なのかもしれないです。そういうところがシュナイゼル殿下は、気に入っていて、でもちょっと腹立たしいのかもしれません。

「大らかで権力争いに興味はなく、揉め事はすべてシュナイゼルに任せている」

という設定に萌えました! 
ぽやぽや兄上に懐くシュナ様。でも、時々苛立つ感じがいいなあ。