「マフムート将軍を可愛がる本 〜わるいひと編〜」 SAMPLE






「よく似合ってますよ、マフムート将軍」

キュロスがマフムートの衣装を褒めた。マフムートが着ているのは、トルキエの装束ではなく、レースの袖や襟のチュニック、そして天鵞絨のマント、羽根飾りの付いた帽子。もともと金髪に青い目のせいか、衣装を変えただけで、すっかりヴェネディックの民のように見える。

「そうですか?」

マフムートは、自分の姿を鏡で見て、レースの袖を引っ張った。

ここは、ヴェネディック、海の都。
人工島には運河が張り巡らされ、人々は小舟で移動する。古くから知られる商業都市ということで世界各国からやってきた貿易商が多い。彼らは、それぞれの文化や風習にちなんだ服装をしているから、外国人は一目で分かったが、その中でもトルキエの衣装は際立っていた。

「ちょっと派手すぎませんか?」

「そんなことないですよ。この都は派手好きな人間ばかりじゃないですか。それでも地味な方でしょ。それに、人ごみの中に入って情報を集めるなら、周りになじむ恰好じゃなきゃいけませんから」

「それを言うならキュロスさんこそ着替えなくてもいいのですか?」

「ああ、この恰好なら、余所者だってことはわかっても出身国までは分かりませんから。こんなに街中に人があふれていれば、誰も気に留めませんよ。それにこれもありますし」
そう言って、白い仮面を手に取った。確かにキュロスの服装を見て、一目でポイニキア出身だと分かる者はいない。さらに仮面を被ってしまえば、何処の誰だか分かる者はいないだろう。

「なるほど」

「カーニバルっていう、祭りだそうです」

宿の二階から窓の外を見下ろせば、大勢の人が歩いている。その多くは、豪奢な衣装に身を包み、仮面をつけていた。水路にも小舟が列を成していて、仮装の男女が水の社を目指して進んでいた。

「そういえば、あいつは?」

「アビリガさんですか? 久しぶりに船団長ブレガやチェチェリアさんに会いに行っています。親子水入らずを楽しませてあげましょう」

マフムートの言葉にキュロスが露骨に顔を顰めた。

「いいんですか?」

「何がです?」

「ただ会いに行くだけじゃないでしょう。報告に行っているに決まっているじゃないですか! トルキエの情報が駄々漏れですよ」

「船団長ブレガからアビリガさんの身柄を買い取った時、そういうリスクもすべて考慮に入れた上での投資だと言ったでしょう。現に、帝国を経済封鎖するためには、ヴェネディックの力がどうしても必要になりますから」

最年少将軍だったマフムートが降格され、再び将軍に返り咲いてから数ヶ月。トルキエの外事局長に就任し、経済力で帝国に先手を打つという作戦を実行するために動いている。これまで通り付き従うのは、キュロスとアビリガだ。だが、キュロスと違ってアビリガはマフムートの従者として以外の一面も持つ。キュロスはそれが気に入らない。

「あいつこそ、ばれたらヤバイでしょう」

「そうですね、一応、国外へ出る口実とはいえ、追放された身ですからね。だから、こっそりとです」

「なるほど、この祭りの時期なら仮装して仮面で素顔を隠しちまえば、誰にもわかりませんからね」

「同じことを考えているのは、何も我々だけではないかも知れませんがね」

眼下の人の群は、無表情な仮面のせいでどこか薄気味悪くもある。ただ、賑やかな人々のざわめきのおかげで、異様な光景にも見える仮面の一団を祭りの絢爛さと熱狂を伝えるだけに留めていた。

「確かに。バルトラインだろうが、トルキエだろうが、仮装と仮面をしてしまえば、どっちの人間だか分からない。でも、それはあいつも同じでしょう?」

キュロスの言葉にマフムートが苦笑した。
ポイニキアへの援軍がこなかった一件で、キュロスが一方的にアビリガにきつく当たるのはいつものことだ。

「アビリガさんは、大丈夫ですよ」

「そうならいんですがね」

「いろいろマイナス思考になるのはお腹が減っているからですよ」

「まあ、確かに腹は減りました」

「そうですね。待ちあわせの時間もありますし、そろそろ行きましょうか」

マフムートが笑いながら、キュロスを促して宿を出た。
祭りは、想像以上の賑わいで、色とりどりの豪奢な衣装を着た人々の群れに、小柄な二人はすっかり埋没してしまっていた。
予想以上の混雑に閉口したのはキュロスだ。

「ちょっ……マフムート将軍、引き返した方がいいんじゃ」

「困りましたね。身動きが取れません」

「こんなんじゃ、はぐれたらすぐに迷子になってしまいますよ」

「それにしても、この都は二度目ですが、毎回迷いますね」

「って! ええっ、もう迷ったんですか!?」

アビリガと元首官邸前の広場で落ち合うことになっていたが、人波に流されるように歩くしかなかったため、既にどこをどう歩いているのか分からなくなっていた。

「仕方ありません。一旦、この人混みから出ましょう。――キュロスさん?」

気付けば、隣を歩いていたはずのキュロスの姿が見えなくなっていた。

「キュロスさん! どこです!」

祭りの喧噪と笑い声に掻き消され、マフムートの声は届かない。立ち止まろうとしても、後ろからどんどん押されて、流されるばかりだ。マフムートは仕方なく、人の間を縫うようにして脇に続く細い路地へと一時逃れた。
仮面の人波の合間にキュロスの姿がないか探したが、見つかる気配もない。キュロスもこの人ごみにこちらを探すことは早々に諦めるだろう。マフムートは、回り道をして目的地を目指すことにした。







人通りのほとんどない路地裏というような雰囲気の狭い道を進むとすぐに水路に行き当たってしまう。橋もないので、向こう側には渡れない。

「やはり、土地勘がないと難しいか。アビリガさんが勧めてくれたように舟で移動した方が良かったな」

マフムートは歩き回って、ようやく水路の向こうへと渡る小さな橋を見つけた。
橋の前には、三人の若い男達がいた。マフムートは、道を尋ねようと思って、三人に向かって歩いていく。すると、男達もマフムートに気付いて、こちらへ向かって歩いてきた。

「迷ったのかい?」

「あんた、ここの人間じゃないな? カーニバル目当ての観光客か?」

服装はヴェネディックの装束に替えたのに地元民でないことがばれてしまった。道に不案内なのが災いしたようだ。こうなったら、近郊に住んでいる旅行者の振りをするしかない。

「どこへ行きたいんだ? 案内してやろうか?」

「ええ、すみません。ドージェ宮前の広場へ行きたいのですが……」

マフムートが尋ねると、するりと男の手が伸びて、馴れ馴れしく肩を抱かれた。頬にかかった男の息が酒臭い。だいぶ、酔っているようだ。

「仮装だからって、女の子が男装かい? 可愛いねぇ」

思わず渋面になったマフムートは、男の手を払いのけた。

「何か誤解しているようですが――」

「なあ、俺たちが面白いとこ連れていってやるよ」

「結構です」

「まあ、そんなこと言うなよ。せっかくの祭りなんだから楽しくやろうぜ」
「それとも俺たちと滅多にできない冒険しちゃう?」

ゲラゲラと大声で笑う男達は、いつの間にかマフムートが逃げられないように取り囲み、建物の壁際に追い詰めた。

「禁止されてる男装してるってことは、あんたもそのつもりなんだろ?」

男装の何がいけないのかと内心首を傾げたが、そもそも根本的なところが違うので、仕方なくマフムートは男達を見上げ、こう宣言した。

「私は男ですよ?」

マフムートがそう言った瞬間、男達が静まりかえり、顔を見合わせた。そして、どっと笑い出した。

「お嬢ちゃん、冗談キツイって」
「男装してるからって、なりきりすぎだぜ? そこが可愛いけどな!」
「こんな可愛い男がいるかっての!」

なんと、信じてもらえなかった。男としてこれ以上の屈辱はない。マフムートは、思わず拳を震わせた。

「俺、マジ気に入っちゃったわ。なあ、黙っててやるからさ、これから飲みに行こうぜ?」

さて、どうしようか。とマフムートは思案する。
どこの国にも破落戸という奴らはいるようで、男達は、マフムートが連れもなく一人でいると知って絡んできた。それとも、道に不案内な旅行者を狙って、同様の手口を働く者たちかもしれない。
思わずため息を洩らす。国を憂えて、必死に奔走する者がいるかと思えば、こうやって人の弱みにつけ込んで面白おかしく生きる者もいる。

(一国を掠め取ろうというどこかの大臣に比べたら、かわいいものだが)

たかが破落戸、片づけようと思えば造作もないことだが、隠密行動中のこちらとしても騒ぎになるのはまずい。
イスカンダルを呼んで、気を逸らせて逃げるのが一番良さそうだが、地の利がない以上、地元の男達から逃げ切るのは難しい。

(いっそ命を狙ってくれた方が、やりやすいのに)

相手がマフムートをトルキエの将軍だと知って襲ってくるなら、手加減はいらない。だが、相手が素人のヴェネディックの民だと、後々問題になりかねない。
悩んでいる間にも、男達は図に乗って、マフムートに迫り、腰に手を回し抱き寄せようとした。
思わず、鳥肌が立ったマフムートが「やめなさい!」と抵抗しても、男達には、逆にそれが堪らないようで、益々身体を押しつけてくる。髪や頬を撫でられ、手首を掴まれた。

「いい加減に……!」

マフムートの堪忍袋の緒が切れかかった時、突然、男の一人から呻き声が上がった。







続きは「マフムート将軍を可愛がる本」にて。

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